フロイトが提唱した性的5段階説の2番目・男根期におけるエディプスコンプレックスというのは)、あまりに父親からの「ペニスを去勢するぞ!」というような威喝が強かった場合(どうやら女性の場合はまた別な考え方らしい)、そのような経験は去勢不安として成人まで残る事になるのだそうで、その恐怖は恐怖症や権威への恐れなど、様々な不安へと転換され、神経症の素地を作るのだそうです。

 

このような「男根期固着」という概念は精神分析におけるエディプスコンプレックスの理論と強く関係しているらしい。

 

↓エディプス的要素たっぷりな「カタロニアのパン」(ダリ作)

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さて、不条理な世界とか事物のありえない組み合わせなどを写実的に描いたのはシュルレアリズムの画家たちです。

 

彼らは夢や無意識下でしか起こりえない奇妙な世界を描いたのですが、彼らの絵の中に出てくる人物や風景は具象的でした。

 


 

その中でもダリは特にある意味、究極の具象画家であったとも思います。


 

↓スペイン・フィゲラスの名士・公証人であるダリの父


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そしてそこにはダリの厳格な父親の存在があったのです。


 

ダリは父親から精神的に去勢され続けていたといえるのかもしれないですね(少なくとも永遠の女性ガラと出会うまでは)、それは大人になっても続いた父親との確執が物語っています。


 

 

まず、ダリ父親との最初の確執は、ダリの進路について父はダリが学者の道を進むことを強く望んだそうですが、ダリは画家というまったく異なる道を選択したことでしたが、それは美術学生時代に学校側に対する不満からデモ運動を行ったダリは、サン・フェルナンド・アカデミーから停学処分を受けたことにはじまります。


 

ダリ父親との間の問題を決定的にした、といわれているのはのちの1934年11月、彼がパリにいた際にフィゲラスで買ったキリストの心臓のリトグラフをシュルレアリストたちに見せた際、「私は面白半分で母の肖像につばを吐くことがある。」と発言したことがバルセロナの新聞で記事にされたことで、父親はこの発言に激怒したということです。


なお、ダリの絵画に登場するウィリアム・テルは強力かつ頑迷な英雄でダリにとっては父的な存在であると解釈されているのだそうです。


↓ダリ作・ウィリアム・テルの謎


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しかし、ダリは堅牢頑固な父親という存在に何度も挑戦しては挫折し傷ついていたのだろうと思われるのです。


 

ダリ父親は実際に厳格的で威圧的な人物であったそうで、その様子は作品『『子供女の記憶』』の中でもうかがえます。



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中央の物体の右外に描かれた抱擁する二人の男性像によって、ダリ父親と和解をしたいと言った気持ちが表れているのだそうです。

 

 

また、そこには母への呼びかけやウィリアム・テルについてなどの言葉が浮かび上がっており、中央の物体に空いた穴から、ダリの悲痛の心の叫びが聞こえるようである。


 

 

まさしくそこでダリを困惑させ続けた幼い頃からの「エディプスコンプレックスという悪夢」を、彼は絵画の中の「支え棒」を去勢され萎えてしまった男性器をなんとか持ち堪えさせようとする道具で表現したのではないでしょうか。


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そしてダリが描くエディプスコンプレックスがこれです↓。


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うーむ?