板垣 征四郎1885年(明治18年)121 - 1948年(昭和23年)1223日)は、大日本帝国陸軍軍人で最終階級は陸軍大将。満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長、陸軍大臣などを務めた。



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関東軍高級参謀として石原莞爾とともに満州事変を決行した張本人であり、その後の日本を後戻りのできない戦争地獄へとたたきこんだ許しがたき人物。そもそもこのような人間があの戦争を始めたのである。


1917年から1919年まで、板垣は参謀本部部員を務め、中国へ派遣されて特務活動に従事した

1922年より、日本参謀本部中国課課員となって、さらに頻繁に中国へ出入国するようになり、中国侵略の陰謀活動に従事し、中国各地へ足跡を残した板垣は長期にわたって中国へ出入りし、陰謀活動に携わったことから、土肥原賢二や磯谷廉介と共に、日本陸軍における三大「中国通」と呼ばれた。


板垣は、日本関東軍と東北三省の中国軍との衝突は避けられないと見て、関東軍の先制攻撃を強く主張した。このため、19306月より、板垣はいわゆる「参謀旅行」を開始し、ハルビン、錦州、旅順等に対する徹底調査を行った。19313月、板垣は日本陸軍歩兵学校で「軍事上から見た満蒙」と題する演説を行い、中国東北地区は日本の「国防の第一線」であるとし、中国東北地区の占領をぶち上げた


1929年(昭和4年)に関東軍の高級参謀に就任

1931年(昭和6年)、石原莞爾らと謀り満州事変を実行した(現在、中国では柳条湖事件の記念館に首謀者として板垣と石原のレリーフが掲示されている)。板垣と石原は詳細な計画と手筈を整え、奉天(現在の瀋陽)北郊の柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破し、これを口実に奉天へ出兵、さらに中国東北三省を占領することを決定した

1931918日夜10時頃、関東軍南満鉄道守備隊柳条湖分遣隊は、本庄繁関東軍司令官の密令により、奉天北郊の柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破。その後、中国軍が線路を破壊し、日本軍を襲撃したように装った。



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193288日、板垣は陸軍少将へ昇進し、関東軍の主導により建国された「偽満州国」の執政顧問へ就任した。193481日、「偽満州国」軍政部最高顧問となり次いで同国軍政部最高顧問(19348月~12月)、関東軍参謀副長兼駐満大使館附武官(193412月~19363月)、1936323日に関東軍参謀長へ昇進する。


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二・二六事件後の皇道派の掃討のあとは、いわば「東条派」との対立の中で「石原派」の重鎮として193863日より、第一次近衛内閣の陸軍大臣となる。宇垣一成外相による日華和平交渉に際しては、「蒋介石の下野」を講和の条件とする強硬論をぶち上げ、結果として交渉不成立の原因を招いた。


193915日から830日まで、平沼騏一郎(過去ログ①)内閣の陸軍大臣と対満事務局総裁を兼任。内閣会議で、板垣は中国侵略戦争を拡大し、中国国民政府を打倒して、代わりに傀儡政権を樹立せよと強硬に主張したまた日本とドイツ、イタリア等のファシスト国家との軍事同盟強化を提唱し、対ソ戦争を積極的に画策した。


19392月、板垣は陸軍省の名で「支那事変地より帰還する軍隊および軍人の言論指導取締に関する件」という命令を出し、帰国した日本軍将兵が中国における日本軍の暴行を言い立てることを禁止した193994日、板垣は支那派遣軍総参謀長に任命され、引き続き中国侵略戦争の指揮に携わった


194547日、板垣は第7方面軍司令官となり、司令部をシンガポールに置いて、オランダ領東インドおよびマレーア等における同盟軍の作戦を指揮した。815日、日本は無条件降伏を宣言。9月、板垣は第7方面軍を率いて、シンガポールでイギリス軍に投降する。

イギリス軍への投降後、板垣は駐シンガポール司令官のスミスを買収し、偽名を使って裁判を逃れ、命拾いをしようと企んだが失敗。


極東国際軍事裁判開廷初日の1946年(昭和21年)53日に、空路東京へ移送された。

裁判においては満州事変の中心的人物および残虐行為の主犯格とされ、中国・シンガ

ポールにおける戦争犯罪を問われ、死刑判決を受け、1948年(昭和23年)1223日、

絞首刑に処せられた。


死刑が宣告された後、板垣は教誨師に対して「自分のようなものが、この糞土の身を

変えて黄金の身とさせてもらえるということは、実に幸福である。ポツダム宣言を実行

されて、自分が永久平和の基礎となるならば、非常に幸いであり喜びである」と述べた

というが日本を地獄へと導いておきながら「永久平和の基礎となる」とはなんという言い

草だろうか。


過去ログ①:平沼一郎 http://ameblo.jp/valtan56/entry-10758270746.html


(参考:ウイキペディア・人民網日本語版)