『 良い戦略、悪い戦略 』 リチャード・P・ルメルト著 村井章子訳(2012年6月22日第1刷)

 

 

 

◇ 第1部 良い戦略、悪い戦略(序章、第1章から第5章) ◇

 

 

 

第3章 悪い戦略の4つの特徴

 

 

悪い戦略とは、単に良い戦略の不在を意味するのではない。悪い戦略をもたらすのは、謝った発想とリーダーシップの欠如である。

① 空疎である

戦略構想を語っているように見えるが内容がない。華美な言葉や不必要に難解な表現を使い、高度な戦略思考の産物であるかのような幻想を与える。

② 重大な問題に取り組まない

見ないふりをするか、軽度あるいは一時的といった誤った定義をする。問題そのものの認識が誤っていたら、当然ながら適切な戦略を立てることはできないし、評価することもできない。

③ 目標を戦略と取り違えている

悪い戦略の多くは、困難な問題を乗り越える道筋を示さずに、単に願望や希望的観測を語っている。

④ 間違った戦略目標を掲げている

戦略目標とは、戦略を実現する手段として設定されるべきものである。これが重大な問題とは無関係だったり、単純に実行不可能だったりすれば、まちがった目標と言わざるを得ない。

 

 

■   悪い戦略の目標――アメリカの国家安全保障戦略

私が「悪い戦略」という言葉を初めて使ったのは、ワシントンで行った国家安全保障戦略に関するセミナーのときである。戦略予算評価センター(CSBA)が主催するもので、セミナーの目的は、国家レベルの戦略策定の質が低下しているのはなぜか、理由を探ることにあった。

 

安全保障戦略を根本的に見直す必要性は、2001年9月11日の同時多発テロ以降、ますます高まることになった。プリンストン国家安全保障プロジェクトでは、当時の状況が的確に説明されている。「ブッシュ政権の2002年度の国家安全保障戦略には国家としての一連の目標が掲げられているが、9.11以後の世界でアメリカが何を目指すのか、国家としてのビジョンを打ち出すことは意味があるし、重要でもある。しかし終着点を示しても、そこへたどり着くまでの道のりが示されなければ意味がない」。

 

セミナーではCSBAのメンバーであるバリー・ワッツの論文を資料に使った。ワッツは「戦略と称されているものの大半が、実際には戦略ではない。問題は、多くの人が戦略と戦略目標を混同していることである」とし、「2002年度の戦略文書を見ても、2006年度のものを見ても、どれも目標や中間目標ばかりで戦略とは言えない」と断じていた。私はワッツの主張に同意せざるを得なかった。たくさんの立派な目標を掲げられているけれど、現実の状況にどう取り組むのかがまるで見えてこない。

 

戦略の柱とされているのは、ジョージ・W・ブッシュ大統領が掲げた画期的なドクトリンだが、このドクトリンをどう行動につなげるのかはどこにも示されておらず、たとえば大量破壊兵器の使用をどうやって阻止するのか、どの時点でどんな状況で介入するのか、といったことは曖昧なままだった。

 

しかも、このようなドクトリンを発表したらどんな問題が起きるか、相手はどんな反応をするのか、ということを熟慮した形跡がない。予防的な戦争、つまりは先制攻撃を仕掛けようとするからには、先制攻撃を正当化できるような十分な情報収集能力を備えることが、大きな戦略目標とならなければおかしい。しかし、ブッシュ・ドクトリンではそのような目標は設定されていない。

 

国家安全保障戦略が単なるスローガンに終わっていることを示す例は、まだある。たとえば「アメリカは地域紛争を解決するために他国と協力する」という「目標」がそうだ。これはまた中身のない文章と言わざるを得ない。地域紛争に対して、ほかのやり方があり得るだろうか。となればこの一文は、誰にとっても何の役にも立たない。しかも、このやり方では次第に地域紛争が解決できなくなっているという、都合の悪い事実から目をそらしていた。

 

となれば先ほどの一文は「もう国連は見限って、協力してくれる国とならどこでも手を組む」とも読める。だが誰とでも手を組むというのでは、とうてい「戦略」の名には値しない。いやしくも戦略たるものは、なぜ地域紛争が起きるのか、原因を明確にしたうえで、アメリカはどのような力を行使して他国の協力を得るのかを提示しなければならない。

 

戦略がスローガンに堕している例をもう1つ挙げておこう。「敵対的な国家がわが国あるいは同盟国や友好国を大量破壊兵器で脅かすことを阻止する」という目標が、それだ。この文章は、いったい何が言いたいのだろうか。大量破壊兵器では目標達成はできないと「理解させる」ことが果たして可能なのだろうか。

 

悪い戦略とは、戦略が何も立てられないという意味ではなく、また失敗した戦略を意味するのでもない。悪い戦略では、目標が多すぎる一方で、行動に結びつく方針が少なすぎるか、まったくないのである。多くの人が戦略というものを誤解している。大方の経営者は、目標を掲げることだけが自分の仕事だと心得ているらしく、矛盾する目標や、どうかすると実行不可能な目標を得々として発表する。そのような「戦略」では壮大な言葉遣いが高揚感を演出し、中身のなさを隠している。

 

 

■   悪い戦略の特徴

 

(1) 空疎である

空疎な戦略とは、わかりきっていることをふんだんな専門用語や業界用語で煙に巻くような戦略を意味する。そのような戦略は、専門知識や戦略思考や高度な分析の末に練り上げられたような顔をしているが、実際にはまったくちがう。

 

ある大手リテール銀行の戦略を紹介したい。それは「われわれの基本戦略は、顧客中心の仲介サービスを提供する」というものである。「仲介サービス」というのはなかなか響きの良い言葉だが、要はお金を預かって貸し出すということで、銀行の本業にほかならない。「顧客中心」は最近の大流行の言葉で、サービス業なら改めて言うまでもないことである。要するに「顧客中心の仲介サービス」はまったく中身のない言葉である。この銀行の戦略から厚化粧をはがせば、「われわれの基本戦略は銀行であることである」となってしまう。

 

本物の専門知識や知見の特徴は、複雑なことをわかりやすく説明できることにある。これに対して悪い戦略の特徴は、わかりきったことを必要以上に複雑に見せかける。中身のないことを厚化粧で覆い隠しているのである。

 

 

(2) 重大な問題に取り組まない

 

戦略とは、本来困難な課題を克服し、障害物を乗り越えるためのものである。その課題に立ち向かわないなら、戦略の意味をなさないし、それを評価することもできない。戦略の質的な評価ができないとすれば、悪い戦略を排除することも、良い戦略をより良くすることもできないだろう。

 

農機具メーカーのインターナショナル・ハーベスターは、かつては全米4位の大企業であった。1977年、ハーベスターはゼロックスの社長を務めたことのあるアーチ―・マッカーデルをCEOに迎える。そして取締役会は、ぬるま湯的な会社を再生する権限を彼に与えた。マッカーデルは、革新に次ぐ革新を打ち出した。コンサルティング会社のブース・アレン・ハミルトンが組織設計を全面的にやり直した。1979年7月、彼らは「戦略プラン」と銘打った分厚い書類を完成させる。それは、典型的な悪い戦略だった。

 

これによれば、1978年の落ち込みから速やかに立ち直り、あとは右肩上がりの成長を続けることになっている。しかしこの戦略プランの最大の問題点は、部屋の中の象、つまり誰もが気づいていながら口に出さない脅威を無視していることだった。目を皿にしてこのプランを読んでも、象がいることはわからない。なぜなら、一言も書かれていないからだ。

 

ハーベスターの象は、余剰人員を大量に抱えた非効率な組織だった。この問題は、いくら設備投資をしても、シェアを拡大しても、解決しない。たとえば同社の工場では年功の順に好き勝手に職場を変わって良いことになっていた。すると空いたポストに誰かが移るというわけで、こんな無秩序なことをしているものだから、同社の利益率は長いこと業界標準の半分に過ぎなかった。しかもハーベスターの労使関係は、国内でも最悪だった。

 

重大な問題を無視し、分析をしようともしなかったら、戦略を立てることなどできない。重大な問題と無関係の目標や予算は、戦略とは呼べない。

 

マッカーデルは、労組を甘く見て労使交渉で強硬姿勢を貫いた結果、6ヵ月におよぶ長期ストライキを招いてしまう。結局、相手の譲歩をほとんど勝ちとれないまま妥協せざるを得ず、ようやくストが終結したときには、もはや会社は立ち直れない状況に陥っていた。

 

ハーベスターがやったような戦略プランニングは、今日ではすっかり流行遅れになった。いま人気なのは、穴埋め式のテンプレートである。まずは「ビジョン」を書き込み、次に「ミッション・ステートメント」あるいは「中核となる価値」を書き入れる。お次は「戦略目標」だ。そして目標ごとに「戦略」を書き出し、最後に「イニシアチブ」を付け加えれば一丁あがり。こうして出来上がった戦略プランは、インターナショナル・ハーベスターに負けず劣らず始末に悪い。読者はすでにお気づきと思うか、企業の前途に立ちはだかる重大な問題や困難な課題が認識されていないのである。このような戦略プランを見ると、戦略思考が何もないことがすぐにわかるだろう。そこにあるのは立派な目標と、予算を投じて頑張ろうというプランだけである。

 

 

(3) 目標を戦略と取り違えている

 

グラフィックアート会社を経営するチャド・ローガンと知り合ったのは、あるセミナーの席上でのことである。彼はセミナーの後で自己紹介し、ウチの経営チームの「戦略思考」にアドバイスしてくれないか、と依頼してきた。ローガンによれば、同社の戦略目標はきわめてシンプルである。名づけて20/20プランという。これはつまり、売上高を毎年20%伸ばし、利益率を20%以上にすることだそうだ。私は戸惑いながら、20/20プラン以外に戦略はないのかと質問した。彼はテーブル越しに書類を渡してよこした。表紙には「2005年度戦略プラン」と書かれている。

 

「わが社の主要戦略」として挙げられているのは、次の項目だった。

・お客様に選ばれる会社になる。

・創造性にあふれる独自のソリューションを提供する。

・売上高を毎年20%伸ばす。

・利益率を最低でも20%確保する。

・意欲的に取り組む文化を根づかせる。

・オープンな意見交換のできる職場にする。

・会社の営業圏の地域コミュニティに貢献する。

 

「いろんな人の意見を聞いてこれを作るのに3週間かけたんだ」とローガンは満足そうだった。「20/20プランは非常に意欲的な財務目標だと思う」と私は言った。「これを達成するにはどうしたらいいか、何か考えはあるのか」。ローガンは指で書類を叩きながら力強く言った。「20/20プランは困難な目標だが、成功の秘訣は高い目標を持つことだ。そうじゃないか。われわれは達成するまでやり抜く。それが大事だ」。

 

それは、私が期待していた答えではなかった。私が知りたかったのは、何か飛躍のきっかけになるようなもの、テコの支点となるようなものがあるのか、言い換えれば、この安定した小さな会社が急激に売上を伸ばせると考える理由が何かあるのか、ということだった。「チャド、君が狙っているような飛躍的な業績改善を目指すときには、何か圧倒的な強みを持っているとか、業界の変化によって新たな商機が生まれるといったことが必要だ。いまの君の会社にとってテコの支点となりうる強みは何だろうか」。

 

ローガンは不快そうに眉をひそめて唇をきっと結び、一枚の紙きれを引き出しから取り出し、マーカーを引いた箇所を読み上げる。「不可能と見えることをやり遂げて初めて、不可能が可能であることがわかる」。そして説明した。「ジャック・ウェルチがこう言っているんだ。だからわれわれにもできる」。

 

私には、20/20プランが功を奏するとは思えなかった。戦略目標は、もっと具体的で明確であるべきだ。たとえば顧客への応答時間を半分に短縮するとか、フォーチュン500社から契約をとる、などである。だがあのプランでは、どう行動すればいいのかさっぱりわからない。ローガンは勇気や意欲や根性を信じているようだが、それは私には第一次世界大戦中のパッシェンデールの戦いを思い出せた。

 

パッシェンデールの教訓はいまも生きている。たとえばアメリカではモチベーションが重視され、実業界で政治家のロス・ペローが「多くの人はあと一歩というところで諦めてしまう」などと言うと、大勢の人が賛同する。だがヨーロッパの人々は、「最後のひとぶんばり」という言葉を聞くと、パッシェンデールを思い出すのだ。あの戦いでは、大量の犠牲を出した連合軍にけっしてやる気がなかったわけではない。彼らに欠けていたのは、有能で戦略的な指揮官だった。がんばることは人生において大事ではあるが、「最後のひとふんばり」をひたすら要求するだけのリーダーは能がない。リーダーの仕事は、効果的にがんばれるような状況を作り出すことであり、努力する価値のある戦略を立てることである。

 

数日後、私はチャド・ローガンに会い、自分の考えを述べた。「先日見せてもらった戦略プランはとても野心的だが、あれは戦略ではない。私にはあれが有効とは思えないし、経営チームがあれに沿って行動を起こせるとは思えない。私からアドバイスしたいのは、まず会社にとって最も有望な機会は何かを、見つけることだ。そうした機会は社内にあるかもしれない。たとえば制作工程のボトルネックを解消するとか、作業上の障害物を取り除くといったようにね。あるいは社外にあるかもしれない。機会を発見するためには、少人数のチームを編成し、1ヵ月ほど時間をかけて調査するといいだろう。自分の業界にどんな変化が起きているか、くわしく調査することはどんなときにも役に立つ。そこの飛躍のヒントが隠されているかもしれない。こうすれば、1つか2つの最も魅力的な機会やブレークスルーにエネルギーを投入する戦略ができあがるはずだ。いまの君の方針では、モチベーションだけが頼りということになる。率直に言って、そのやり方は奨められない。ビジネスの競争は力と意志だけではどうにもならないからだ。モノを言うのは洞察力や差異化を図る能力だ。私の見るところ、モチベーションだけで君の掲げる目標を達成できるとは思えない」。

 

ローガンは礼を言い、1週間後に別のコンサルタントを雇ったと連絡してきた。その新しいコンサルタントの指導の下で、マネジャーたちは「ビジョニング」というエクササイズをしているそうである。これは、望ましいイメージを描くことであるらしい。「この会社はどれほど大きくなれるでしょうか」とファシリテーターが訊ねる。そして「もっと大きく」と要求する。翌日になると「2倍に大きくなった会社を想像しましょう」。ローガンは喜んでいる。私も別の仕事ができるので喜んでいる。

 

ローガンの戦略プランは、戦略ではなく業績目標である。ローガンの会社だけでなく、多くの企業がこの取り違えをしている。経営者は戦略が必要だと理解しているが、戦略プランニングと呼ばれるプロセスには不満を抱いている人が多い。というのも、ほとんどの企業では、基本的には業績予想に基づいて3年あるいは5年単位の継続的な予算を組むことをプランニングと称しているからだ。これでは、予算編成とセットで戦略ができあがるという誤解を与えかねない。

 

もちろん、計画を立てるのは悪いことではない。いや、経営には必須の作業である。たとえば急成長中の小売りチェーンだったら、土地購入、建設、店舗スタッフ教育などの計画が必要である。このタイプの計画は資源計画と呼ばれる。またグローバル展開する企業なら、地域ごとの人材採用計画やオフィスの開設・拡張計画・資金調達計画などが必要になるだろう。

 

毎年繰り返されるこうしたプランニング・プロセスをどうしても「戦略プランニング」と呼びたければそうしてもいいが、これらは戦略ではない。なぜならより上を目指す道筋をつけることはできないからである。より上を目指すには、機会を見極めたうえで前進を阻む障害物を見抜き、乗り越える方法を考えなければならない。それは製品の差異化を図ることかもしれないし、販売網の見直しかもしれないし、組織改革かもしれない。あるいはまた、外部環境の変化、たとえば技術、顧客の嗜好、法規制、資源価格、競争相手の動向などを見極めてそれをうまく活かすことかもしれない。

 

どの道を選ぶのが最も実りが多いかを判断し、自社の知識、資源、エネルギーをそこの集中的に投入する方法を設計することが、リーダーの仕事である。機会も、障害物も、変化も、年1回セットになってやってくるわけではない。したがって、戦略策定は時に応じて必要になるものであって、毎年機械的に行う性格のものではない。

 

 

(4) 間違った戦略目標を掲げる

 

CEOや社長をはじめとする経営幹部は、一般の社員より多くの権限を持ち、目標設定に関する自由度が高い。そのうえで社内の各部署が追及すべき下位の目標を設定する。この下位の目標が戦略目標に相当し、どのような戦略でも遂行の決め手となる。

 

リーダーになるということは、「誰かが自分の目標を決めてくれる」ポジションから「組織の目標を自分で決める」ポジションに移ることを意味する。これこそがリーダーとしての課題と言えよう。リーダーは、組織としての理想や価値観や期待を表す「努力目標」あるいは「最終目標」と、戦略実行のための「戦略目標」を明確に区別することが望ましい。最終目標に即して戦略目標を絶えず微調整するのはリーダーの大切な仕事である。

 

ここでは、急成長中の高級食品チェン・ブラザーズを紹介しよう。チェン・ブラザーズの最終的な目標は、利益の拡大と働きやすい職場の実現、そして信頼できるオーガニック食品卸になることである。これらは立派な目標であるが、戦略ではなく、むしろある種の枠組みであることを経営陣はわきまえていた。

 

では同社の戦略は何かと言えば、それは、大手スーパーでは扱わない高級食品や珍しい食材を高値で仕入れてくる地元の食品店にターゲットを絞り込み、そこでシェアを拡大することである。経営チームはターゲット顧客を3つのランクに分け、それぞれに戦略目標を設定している。

 

最近になって、ホールフーズが急成長を遂げ、チェン・ブラザーズがターゲットにしていた地元の食品店を圧迫しはじめた。そこで経営チームは、地元の食材メーカーに働きかけて仕入商品を1つのブランドとして統合し、ホールフーズに売り込むという新たな戦略を立てる。この戦略を導入しても会社の最終目標は何ら変わらないが、戦略目標は見直さなければならない。チェン・ブラザーズは仕入・販売からマーケティング、広告、財務担当者までそろえたホールフーズ・チームを発足させ、新ブランドのホールフーズへの売り込みに総力を挙げる。この戦略目標が達成されると、次には他の商品の売り込みへ、さらには店頭シェア、地域シェアの拡大へと目標を修正していった。

 

このように、チェン・ブラザーズはビジョンや業績目標を戦略と取り違える誤りとは無縁である。同社は1つか2つの重要な戦略目標を絞り込み、確実に実現させる戦略を立てる。1つの目標が達成されると新たな機会が視界に入ってくるので、より高い目標を立てるというふうに、会社は前進を続けることができる。

 

良い戦略は、1つか2つの決定的な目標にエネルギーとリソースを集中投下し、それを達成することによって次々と新しい展開へとつなげていく。これに対して悪い戦略では、いろいろなことを詰め込みすぎてごった煮状態の目標が掲げられていることが多い。

 

さまざまな部署から関係者が集まってそれぞれにやるべきこと、やってほしいことを言い合うような戦略プランニングをやっていると、えてして寄せ集めの「戦略プラン」ができやすい。そして、さすがにこれではやることが多すぎてすぐにはできないと気づくのか、「長期的」という言葉が追加される。これでもう、誰も今日明日やる必要はない。

 

悪い戦略目標の第2のタイプは、現実的ではない目標である。良い戦略は重要な課題をみきわめ、その課題にどう取り組むか、行動の道筋をつける。言い換えれば願望と手の届く目標との橋渡しをする。このため、良い戦略が設定する目標は、手持ちのリソースや能力で取り組んでも成功率が高い。対照的に非現実的な目標は、それを実現あるいは克服するにはどうすればいいか、この肝心要のところが無視されている。戦略目標がそもそもの課題と同じくらい歯の立たないものだったら、戦略を立てる意味はない。

 

2006年、元アメリカ海軍中将のデービッド・ブリューワーはロサンゼルス統合学区の教育長に任命された。この学区は全米最大の規模を誇っており、ブリューワーはその成績評価の立て直しを期待されたのである。カリフォルニア州では統一学力テストが実施され、公立学校はその点数を基にしたAPIと呼ばれる指数で評価される。

 

ロサンゼルスにある991校の大半はこのテストでかなり良い成績をとっているが、309校は教育省が定める「落ちこぼれゼロ基準」に到達していない。状況をざっと把握したブリューワーは、学区全体を底上げするためには、最も成績不振の34校の点数を大幅に引き上げることが必要だと判断する。

 

たしかにこの34校はずっとAPIが最低の問題校だったのだし、的を絞った戦略を立てた点で、ブリューワーは称賛に値する。実際のところ、この問題1つに絞り込んでいたら、なにがしかの成果は得られたかもしれない(しかし、戦略は7つもあった)。

 

とは言え、APIの点数を上げるのにいささか不愉快な戦略があり得ることは、指摘しておかねばならない。じつはAPIでは、ロサンゼルス統合学区の中退率がおそろしく高いことが無視されている。とりわけ中退が多いのは黒人とヒスパニックの生徒である。APIは在籍生徒の成績しかカウントしないので、出来の悪い生徒はどんどん退学させてしまうほど点数は上がることになる。

 

成績不振であれ業績不振であれ、望ましくないこと自体を取り組み課題に掲げるのは悪い戦略だということを覚えておいてほしい。成績不振は結果に過ぎない。取り組むべきは、なぜ成績が悪いのか、その原因のほうである。なぜうまくいかなかったのか、なぜ改善が難しいのか、その原因を見つけようとしない限り、良い戦略を立てることはできない。

 

これは、ブリューワーの立てた他の「戦略」についても言える。「改革リーダーを置き、学校運営に必要とされるスキルをみきわめ、育成し、適用するプログラムに力を注ぐ」という。これは、典型的な悪い戦略目標である。第1に、「質の高い教育を実現」できていないのはなぜか、原因究明がまったく行われていない。この点に真剣に取り組んでいたら、いろいろなことが見えていたはずである。熱心な校長や先生はもちろんいるが、無能な先生も多い。さらに、管理職がむやみに多い官僚的な組織が何事につけ改革を阻んできたこともわかっただろう。

 

第2に、「改革リーダー」なるものに何かを期待するのは、まったく非現実的である。学校そのものは巨大な官僚制度と教育員組合にがっちり首根っこを押さえられており、誰にせよ、上層部の許可を得ない限り、学校で使う紙の色すら変えられないのだ。何をするにしても水面下の交渉や根回しが必要だという現実は、組織の硬直化とムダの多さを雄弁に物語っている。

 

ブリューワーの戦略で1つ興味深いのは、リーダー・チームは「信念・価値観・目標をすべての生徒および保護者と共有」すべきだと謳われていることである。こういうことを言う人たちは、北朝鮮のように全員が同じ価値観を抱き同じ信念を共にすることが学業成績の向上につながると信じているのだろうか。

 

これと関連するもう1つの戦略に、「コミュニティの連携」が必要であるとし、ボランティア・プログラムを義務づけている。コミュニティの関与は、教育にとって望ましいことかもしれない。だがこれは、非現実的な目標である。重点校34校の問題は生徒の幼稚園時代から表れ、成長とともに深刻化する。その主な原因は、これらの学校が貧しく無秩序な環境に置かれていることにある、と言えるだろう。ロサンゼルス統合学区では、多くの生徒が不法移民か、不法移民の子供である。名前も仮名なら住所も架空で、そもそも学校へ行かせたがらない親が多い。このような環境で、低賃金の労働に従事している疲れきった親たちが、コミュニティ活動などに参加できるはずはあるまい。そしていまここに列挙したことこそ、良い戦略が認識し取り組まなければならない問題なのである。

 

悪い戦略は空疎であり、矛盾を内包し、ほんとうの問題に取り組まない。悪い戦略は、読んだり聞いたりするだけでうんざりさせられるので、すぐにわかる。