『絶望を希望に変える経済学』 アビジット・V・バナジー & エステル・デュフロ著 村井章子訳 (2020年4月17日第1刷)

 

 

 

第2章 ①鮫の口から逃げて [注:移民について]

 

(第2章は①から③まで)

 

 

移民が重大な問題になっている。ヨーロッパの多くの国とアメリカの政治を揺るがすほどの大問題だ。移民の流入は、世界の最富裕国が抱えるさまざまな問題の中で、単独では最も社会的に影響の大きい政治問題と言えるだろう。

 

移民問題は発展途上国ではあまり表面化していないように見えるが、南アフリカに流入するジンバブエ難民、バングラデシュのロヒンギャ危機、インド北東部アッサム州のイスラム教徒の市民権喪失など、標的にされた人々にとってはおぞましい問題がそこここで発生している。

 

なぜ移民をめぐってパニックが起きるのか。2017年に国境を越えた移民が世界人口に占める比率は3%。欧州連合(EU)は平均して年150万~250万人の移民を域外から受け入れているが、250万人という数字はEU総人口の0.5%未満だ。

 

しかもその多くが、雇用証明書を持っているか、域内に住む家族に合流する合法的な移民である。2018年には難民認定申請者の数は63万8000人で、うち認定されたのは38%にとどまった。つまり、EU市民2500人当たり1人である。洪水のように押し寄せる、とはとても言えまい。

 

移民が重大な政治問題となっている6か国(フランス、ドイツ、イタリア、スウェーデン、イギリス、アメリカ)で生まれ育った人2万2500人を対象に行われた調査では、移民の数や構成について大きな誤解が存在することがあきらかになった。

 

たとえばイタリアでは、移民が総人口に占める比率は10%だが、回答者の推定数字の平均は26%だった。また回答者は、イスラム系移民の比率を大幅に多く見積もっていることもわかった。回答者の多くが、移民を実際以上に教育水準が低く、貧しく、大方が失業し、政府の補助金で暮らすことになると考えていた。

 

政治家は大幅に水増しした数字を振りかざして、こうした誤解や懸念を煽り立てる。2017年のフランスの大統領選挙では、マリーヌ・ルペンは、移民の99%が成人男性であると繰り返し (実際には58%)、フランスに定住する移民の95%は働かずに 「国に世話してもらう」 のだと述べた (実際には55%の移民がちゃんと働いて労働力人口にカウントされている)。

 

最近行われた二つの実験は、事実確認が手順に則って行われるような国でも、こうした選挙戦術が有効であることを示した。アメリカで行われた実験では二種類の質問が用意された。第一の質問では、実験参加者は移民について自分の意見を求められる。第二の質問では、移民の数と特徴について時事に基づく知識を訊ねられる。

 

すると、第二問に先に答えてから第一問に答えた回答者、つまり自分の事実誤認を再確認してから意見を述べた回答者は、その逆と比べ、移民受け入れに反対する傾向が顕著に強いことが認められたのである。しかも実際の数字を教えられたあとも、事実認識は変わっても、意見は変わらなかった。

 

マリーヌ・ルペンのまちがった主張を繰り返し聞かされた有権者は、彼女に投票したいと考えるようになるという。悲しいことに、ルペンの主張は事実無根だと有権者の前で証明しても、有権者の考えは変わらなかった。事実は無力だったのである。

 

なぜ事実が無視されるのか――そこにはある重要な理由が存在する。それは断片的ながらも経済学に基づいており、しかも一見すると完全に自明で、多くの人が納得してしまうようにできている。

 

移民の経済分析は、多くの場合もっともらしい三段論法に拠っている。世界は貧しい人々で満ちあふれている。人々はもっとお金を稼ぎたいと考えており、賃金の高い国ならどこへでも行く (=供給が増える)。すると労働供給曲線と労働需要曲線の交点が下へ移動する。すなわち全員の賃金が下がる。受入国の労働者にとってはまったく好ましくない。アメリカはもう 「いっぱいだ」 と主張したトランプ大統領は、まさにこのことを言いたかったのだろう。この理屈は単純明快であり、紙ナプキンの裏にも簡単に書ける。

 

希望を絶望に変える経済学p.25 図2-1

 

この論理は単純明快でわかりやすい――が、まちがっている。第一に、国家間あるいは地域間の賃金格差は、人々が移民になる決意をするかどうかと実際にはほとんど関係ない。国を出られるのにとどまる人も大勢いることも事実であり、この謎はこの論理では解決されない。

 

第二に、低技能移民がかなり大量に流入した場合でも、受入国住民の生活水準を押し下げるという信頼に足る証拠はない。それどころか移民は、移民自身と受入国住民の両方の生活水準を押し上げると考えられる。なぜそうなるのかは、労働市場特有の性質と関係がある。労働市場には、標準的な需要と供給の関係はほとんど当てはまらないのである。

 

 

■ 家を捨てて

人々が命がけで逃げ出そうとする国、たとえばイラク、シリア、グアテマラ、さらにイエメンでさえ、最貧国にはほど遠い。イラクの国民1人当たり所得は、物価調整後で(経済学者は 「購買力平価(PPP)でみると」 と言う)リベリアの約20倍、モザンビークやシエラレオネの10倍以上に相当する。トランプ大統領がさかんに狙い撃ちするメキシコは、世界の中では高中所得国と位置づけられ、その社会福祉制度は広く称賛され、模範とされるほどだ。

 

彼らが生まれた故郷の生活を耐えがたいと感じるのは、日々のふつうの暮らしが破壊されてしまったからである。北部メキシコでは麻薬戦争による暴力が市民に襲いかかっている。グアテマラでは軍や秘密治安組織による暴力が常態化し、中東では内戦が絶えない。ネパールでは長年くすぶっていた毛沢東主義者の武装勢力が圧力を強め始めると、国を捨てる人が急増した。いったんそうなると、もはや引き留めることはできない。なぜなら、彼らの心の中ではもう戻る故郷はないからだ。

 

これとはまったく違う理由で国を離れる人も、もちろん大勢いる。インドが生んだ世界的な映像作家サダジット・レイのように大望を抱いて、生まれた貧しい村を出る人たちだ。あるいはまた、中国からの移民の多くがそうだ。彼らは二つの仕事を掛け持ちし、倹約に倹約を重ねて貯金する。いつの日か自分の子どもたちをハーバード大学に行かせるためだ。

 

そして、両者の中間に位置づけられる人々がいる。つまり、どうしても国を出たいと感じるような外的要因にも内的動機にも直面しない大多数の人々だ。国境に検問所がなく、入国審査を簡単にパスできるような状況でも、大方の人は自分の国にとどまる。いや国内の移動が自由で、同じ国の中で農村部と都市部の賃金格差が大きいケースでさえ、多くの人が農村部にとどまっている。

 

よりよい経済条件を求めて移動しようという気を起こさないのは、発展途上国の人々だけではない。ギリシャでは、経済危機が深刻化した2010~15年に35万人のギリシャ人が国外に移住したと推定されるが、実際にはギリシャの総人口の3%にすぎない。2013年と14年のギリシャの失業率は27%に達し、しかもEU加盟国であるギリシャの人々は自由にEU域内を移動し、働くことができるのに、である。

 

 

■ 永住ビザの抽選

だが考えてみれば、これは謎でも何でもないのかもしれない。私たちは移民になることのメリットを過大評価しているとも考えられるからだ。ここでいちばん問題なのは、移民になった人の賃金だけに注目し、この人たちが移民になることを選んだ多くの理由や、それを可能にした多くの条件を無視しがちだということである。

 

移民推進論者がよくやるように移民の収入ともとの国に残った人の収入を単純に比較し、移民になるメリットは大きいと安易に結論づけることはできない。これは、計量経済学で識別問題 [identification problem] と呼ぶものである。収入のちがいが場所のちがいだけに起因するのであって、他の要因は無関係だと言うためには、明確な因果関係を立証しなければならない。

 

そのために好都合なのが、永住ビザの抽選である。当選者と落選者のちがいは、幸運に恵まれたか恵まれなかったかだけで、他の条件はほぼ同じと考えてよい。したがって当選者の移住後の収入が増えたとすれば、それは国のちがいだけで、それ以外の要因は無関係だということになる。

 

ニュージーランドの永住ビザ抽選に応募したトンガの人々(その多くがきわめて貧しい)について、当選者と落選者のその後の収入を比較した研究がある。すると、移住後1年間で前者の収入は後者の3倍以上に増えたことがわかった。

 

 

■火山の噴火

だが、ビザを申請しない人の場合はどうなのだろう。まったくの偶然によって移住を余儀なくされた人々に関するじつに興味深い調査がいくつか存在する。

 

1973年1月23日に、アイスランド沖ヴェストマン諸島に属し、漁業で栄えるヘイマエイ島で突如火山の噴火が起きた。島の住民2500人は救出されたが、噴火は5か月も続き、民家の3分の1が失われる。もはやそこに再び家を建てることはできない。家を失った人と失わなかった人との間に顕著なちがいはなく、家の市場価値もほぼ同じだった。これは社会科学者が自然実験 [natural experiment] と呼ぶ状況である。サイコロを投げたのは自然なのだから、家を失った人と失わなかった人との間に事前にちがいはなかったと仮定することができる。

 

しかし事後には大きな違いが現れた。家を失った人には、家と土地の価値に見合う現金が支給された。それで島のどこかに家を建ててもいいし、どこか別の土地に移住してもいい。うち42%が島を離れた。アイスランドは非常によく記録が整備されており、納税その他の記録を使って島の全住民の長期的な経済状況を追跡調査することが可能だ。この国は国民の遺伝子情報が整備されていることでも知られており、家を失った人の子孫から親を特定することもできる。

 

研究者たちはこのデータを使って、噴火発生時に25歳以下だった人のうち、家を失った人たちは収入が大幅に増えたことを確認した。2014年には、家を失わなかった25歳以下の人の収入を年間3000ドル以上上回ったのである。収入の増加は、噴火発生時若かった人に集中してみられた。その一因は、家を失った若者のうち大学進学者が増えたことにあるだろう。また、移住を余儀なくされたことで、島ではごく一般的な職業である漁師にならず、自分に適した職業を見つけられたことも大きい。家を破壊されなかった人の大半は島に残り、先祖代々の仕事である漁師として人生を送っている。

 

生まれ育った土地を離れようとしない傾向を表す事例として、もう一つ注目すべきものがある。第二次世界大戦直後のフィンランドだ。ドイツ側についたこの国は敗戦国となり、カレリア地方など領土のかなりの部分をソ連に割譲することになる。この地域に住んでいた43万人(フィンランド総人口の11%に相当する)

の人々は、国土の他地域への移住を余儀なくされた。

 

戦争前にこの地域に住んでいた人々は都会暮らしとは無縁で正規に雇用されている人が少ないという特徴があったが、強制移住した人々は25年後には、移住先にもとから住んでいた人より裕福になったのである。これはおそらく、強制移住者は身軽で機動的になり、都会に住んで正規の仕事に就くことができたからだろう。強制移住の経験は、この人たちを現状維持から脱却させ、より冒険的にしたのだとも考えられる。

 

人々が高賃金の国をめざすことを選ぶためには、このように自然災害や戦争が必要だった。このことから、経済的インセンティブだけでは人々が祖国を離れて他国をめざす要因としては不十分であることがわかる。

 

 

■ バングラデシュの出稼ぎ

貧しい人々は、移住によって生活を楽にするチャンスがあることに気づいていない、という可能性ももちろんある。この点に関しては、バングラデシュで行われた興味深いフィールド実験があり、無知だけが移住を選ばない原因ではないことがあきらかになった。

 

バングラデシュには、洪水による氾濫やサイクロンの襲来などが原因で食糧が得られない季節が毎年めぐってくる。この時期はモンガ(飢餓の季節)と呼ばれるほどだ。ところが、最も被害を受けた地域の人々も土地を離れようとしない。都市部に行けば建設や運輸など未熟練労働者でも就ける雇用機会があり、また収穫のサイクルの異なる他の農村部へ行くことも可能だというのに、なぜなのか。

 

その理由を探り、季節的な出稼ぎを奨励するために、研究者は地元の非政府組織(NGO)の協力を得て、モンガの時期にバングラデシュ北部のランプル県の人々に出稼ぎを奨めてみることにした。まず無作為にいくつかの農村を選び、二つのグループに分ける。第一のグループには、出稼ぎのメリットに関する情報だけを提供する。第二のグループには、同じ情報とともに11.50ドルの現金または融資を提供する。このお金は、大都市への交通費と2日分の食費に相当する。ただし、実際に出稼ぎに行かなければお金はもらえない。

 

この結果、出稼ぎを奨められお金を提供された世帯の約4分の1(22%)から働き手が出稼ぎに行った。その大半が首尾よく仕事にありつき、出稼ぎ期間中に平均して105ドルの収入を得ている。その結果、家族の中から出稼ぎ者を送り出した世帯は、そうでない世帯のなんと1.5倍のカロリーを摂取することができたのである。おかげで食事に関する限り、飢餓状態から快適と言える水準を維持することができた。

 

それにしても、なぜ彼らは強く奨められるまで出稼ぎを決意しなかったのだろうか。飢餓寸前だという極限状態は、行動を決意する動機にならないのだろうか。

 

この場合、情報不足が制約になったわけではないことははっきりしている。NGOが都市部の雇用機会の情報を提供しても (お金を渡さずに)、何の効果もなかった。しかも、お金をもらって出稼ぎに行き仕事を見つけた人の半分は、自分自身の成功体験にもかかわらず、翌年のモンガの季節には村に残ったのである。

 

言い換えれば、こうだ。強制的であれ自発的であれ、ともかくも移住をした人が経済的利益を得たことは事実ではあっても、大方の人がすべてを捨てて富裕国へ行くチャンスをうかがっているという見方は、到底まじめには受け取れない。経済的な見返りの大きさに比して、移民の数は思うほど多くない。何かが彼らを押し止めるのである。それが何なのかについては後段でまた論じることにして、その前に移民の流入と労働市場の反応を見ておきたい。とくに多くの人が信じているように、移民の利益が受入国の住人を犠牲にしてほんとうに増えるのかどうかを検証することにしよう。

 

 

■ マリエル難民事件

この問題は経済学者の間でも激しい議論になってきた。だが全体としては、たとえ大量の移民が流入しても、受入国住民の賃金や雇用に与えるマイナスの影響はきわめて小さいことを多くの研究が示している。

 

それでも議論が終わらないのは、簡単に結論が出る問題ではないからだ。現実には多くの国が移民を制限している。移民は移民で、行動で意思表示する。つまり、より好ましい選択肢のあるところをめざす。この二つが重なって、都市部の移民の比率に対して非移民の賃金水準をプロットすると、右肩上がりのグラフになるはずだ。つまり移民の比率が増えるほど、賃金水準は上がる。移民擁護論者にとっては好ましい結果だが、おそらくこれは完全なまちがいだ。

 

移民が受入国住民の賃金水準に与えるほんとうの影響を知るためには、移民が賃金に与えた直接的な影響以外の変化も考慮しなければならない。しかも、それでも十分ではないだろう。なぜなら、受入国の住民や企業も行動で意思表示するからだ。

 

これらの問題の一部をうまく回避したのが、デビッド・カードによるマリエル難民事件の研究である。1980年4~9月に12万5000人のキューバ人がマリエル港をボートで出発してマイアミに押し寄せた。その多くがほとんど教育を受けていない人たちである。こんなことになった理由は、フィデル・カストロが出国したい物はしてよいと突然許可を出したからだった。4月末には人々は国を出て、その多くがマイアミに定住している。このためマイアミの労働力人口は7%も一気に膨らんだ。

 

カードは、差分の差分法 [difference in differences] と呼ばれる手法を用いている。まず、マイアミにもとから住んでいた住民の賃金と雇用率について、難民流入前と流入後の変化を調べた。次に、マイアミとよく似た4つの都市(アトランタ、ヒューストン、ロサンゼルス、タンパ)の住民についても同じ項目を調査し、両者を比較した。マイアミ住民の賃金上昇率と雇用率が難民流入後に変化したとして、その変化が他の4都市より大きいかどうかを見るためである。

 

結論としてカードは、流入直後についても、その数年後についても、何ら変化は見られなかったとしている。つまりマイアミ住民の賃金は、難民流入によって何ら影響を受けなかった、ということだ。

 

マリエル事例研究は、移民の影響という問題に堅実な答えを出すための重要な一歩になったと言える。マイアミは、よい雇用機会があるからという理由で選ばれたわけではない。単にキューバのマリエル港から最も近い上陸地点だったというだけである。カードの研究は、需要と供給モデルが移民にそのまま当てはまるとは限らないことを示した最初の研究だった。

 

世界各地から西ヨーロッパに流入した移民の影響を調べた研究の中で、とくに興味深いのは、デンマークを取り上げたものである。デンマークはさまざまな意味で注目すべき国だが、その一つに、国民一人ひとりの記録がしっかり保管されていることが挙げられる。過去の例を見ると、難民は本人の希望や雇用機会の多寡といったこととは無関係に、受入国内のさまざまな都市に振り分けられることが多い。その際に問題になるのは、公共住宅に空きがあるか、行政側に定住支援をする余力があるか、ということだけだ。

 

1994~98年には、ボスニア、アフガニスタン、ソマリア、イラク、イラン、ベトナム、スリランカ、レバノンなどからの大量の難民や移民がデンマークに流入した。彼らはおおむねランダムにデンマーク国内各地に送られている。1998年に政府が振り分け措置を打ち切ると、それ以降にやってくる移民の大半は、同国人がすでに定住している地域をめざすようになった。

 

したがって第一陣の移民、たとえばイラク人がほぼ偶然に定住したところへ、新たなイラク人がやって来ることになる。こうしてデンマークの一部の地域は、他地域より移民の比率が高くなったわけだが、その理由は1994~98年のどこかの時点で、たまたま公共住宅に空きがあったということにすぎない。

 

デンマークへの移民流入を調査したこの研究でも、過去の他の事例と同じ結果が出た。移民が大量に流入した都市について、教育水準の低いデンマーク人の賃金と雇用の変化を他の都市と比較したところ、マイナスの影響は認められなかったのである。

 

これらの研究はどれも、低技能移民の流入が受入国の既存労働者の賃金と雇用を押し下げることはない、と結論づけている。だが現在の政治議論でさかんに使われる激越な表現には、事実による裏付けも事実の尊重もない。そこに表れているのは、ひたすら論者の政治的見解だけである。

 

では体系的な調査に裏付けられた冷静な意見はどこに行けば入手できるのか。学術分野におけるコンセンサス醸成に関心のある読者は、米国科学アカデミーがまとめた移民の影響に関する報告(無料)の267ページをぜひ読んでほしい。米国科学アカデミーは、アメリカの研究者から最も尊敬されている学術団体である。移民に関する討論会には、移民擁護派と懐疑派の両方が参加しており、双方の意見を踏まえ、その結論は次のとおりだ。経済学者の集団から得られたものとあきらかに近い。

 

 「ここ10年間の実証研究は、これらの研究成果が、全米研究評議会の報告(1979年)とおおむね一致することを示している。すなわち、10年以上の長期にわたって計測した場合、移民が受入国住民全体の賃金に与える影響はきわめて小さい」

 

 

■ 需要と供給理論は、なぜ移民に当てはまらないのか

古典的な需要と供給理論(モノの供給が増えればそのモノは値下がりするという、あれである)は、なぜ移民に当てはまらないのか。この点はとことん追求しておかねばならない。

 

基本的な需要と供給の法則が当てはまらなくなる要因は、じつはいくつもある。第一は、新たな労働者の流入によって労働需要曲線が右へ移動することだ。このため、賃金水準の押し下げ効果は打ち消される。なぜ右へ移動するのか。それは、新たに流入した人々がお金を使うからである。レストランへ行くし、髪も切るし、買い物もする。それらを通じて雇用を創出するが、その大半はとくに技能を必要としない。図2-2に示すように、その結果として賃金は押し上げられ、労働者の供給拡大の影響を打ち消す。よって、賃金水準も失業率も変化しない。

 

希望を絶望に変える経済学p.41 図2-2

 

事実、需要が増えない場合には、移民の流入は受入国の既存労働者に 「期待通りの」 マイナスの影響をもたらす。かつてチェコの労働者がドイツ国境を越えて働くことを許可された時期がある。ピーク時には国境近くのドイツの町で労働力人口の最大10%がチェコからの出稼ぎ労働者で占められた。

 

この現象が起きたとき、ドイツの既存労働者の賃金水準にほとんど変化はなかったが、雇用が大幅に減ったのである。なぜか。これまで取り上げた事例とは異なり、チェコの出稼ぎ労働者たちは、収入を母国に持ち帰って使ったからだ。したがって、ドイツの労働需要にプラスの波及効果は生じなかった。

 

移民は、移住先で得た収入をそこで使わない限り、受入国に新たな需要を生み出すことはできない。収入を母国に持ち帰る場合には、移民が受入国にもたらすはずの経済効果は失われる。すると図2-1のとおりの事態が起きるわけだ。労働需要曲線は右へ移動しないため、移民の流入(=供給の増加)によって労働需要曲線との交点は下へ移動する。すなわち賃金水準は下がることになる。

 

とくに低技能移民の流入が労働需要を押し上げる第二の要因は、機械化の進行を遅らせることだ。低賃金労働者が安定的に供給されるのであれば、わざわざ機械化に投資する誘因は乏しくなる。メキシコから米国へ出稼ぎにいく季節労働者はブラセロと呼ばれるが、このブラセロが1964年12月にカリフォルニア州から締め出された。

 

彼らのせいでカリフォルニア州の既存労働者の賃金水準が圧迫される、という理由からである。だがブラセロが出て行っても、既存労働者の賃金も雇用も増えなかった。なぜなら、ブラセロがいなくなってしまうと、彼らに頼っていた農園主が二つの策を講じたからだ。まず、機械化を進めた。トマトを例にとると、ハーベスターを導入している。1964年時点での普及率は限りなくゼロに近かった。だが1967年には100%に達している。対照的にもともとブラセロがいなかったオハイオ州では、同時期のハーベスター普及率に顕著な変化は見られていない。

 

さらに農園主は、機械化のむずかしい作物を機械化しやすい作物に転換した。このためカリフォルニア州では、すくなくとも一時的に、アスパラガス、イチゴ、レタス、セロリ、ピクルス用キュウリなど繊細な扱いを要する作物の生産が打ち切られている。

 

第三の要因は、第二の要因とも関連するが、雇用主が流入した労働者を効率的に活用すべく、生産方式を再編成することだ。すると、既存の未熟練労働者に新たな役割が出現する可能性が出てくる。たとえば先ほど取り上げたデンマークへの移民流入のケースで、デンマーク人未熟練労働者が移民の流入によって最終的にプラスの影響を得られたのは、職務内容や職業自体を変えられるようになったことが一因に挙げられる。

 

移民が増えると、デンマーク人未熟練労働者は肉体労働からそれ以外のポストに昇格したり、さらには転職したりした。より複雑で高度な仕事、コミュニケーション能力や技能を必要とする仕事に移ったのである。移民は、すくなくともデンマークにやってきた時点ではデンマーク語をほとんど話せないので、そうした仕事ではライバルにはなり得ない。

 

言い換えれば、受入国の既存の未熟練労働者と低技能移民は必ずしも直接対決するわけではない。それぞれに適した仕事はちがう。移民はコミュニケーション能力をさほど必要としない仕事に、受入国の労働者は必要とする仕事に就くというふうに。

 

単純な需要と供給の法則が当てはまらない第四の要因は、移民が受入国労働者と競合せず、むしろ補完することである。移民は、受入国の労働者がやりたがらないような仕事をよろこんで引き受ける。芝を刈る、ハンバーガーを焼く、赤ちゃんや病人の世話をする、などだ。だから移民が増えると、こうしたサービスの料金は下がる。すると受入国の労働者は助かるし、こうした仕事に就いていた人は別の仕事へ移ることが可能になる。とくに高度な技能を持つ女性は、移民を雇えるようになれば、就労や職場復帰が可能になる。

 

移民の影響は、どんな人が移民としてやってくるのかに大きく左右されることを忘れてはならない。起業家精神旺盛な移民であれば、何かビジネスを始め、受入国で雇用機会を創出するだろう。これに対して技能を持たない移民であれば、未熟練労働者の大集団に加わり、受入国の未熟練労働者と競合する可能性がある。

 

そしてどんな移民がやってくるかは、彼らが乗り越えなければならない障壁に左右される。19世紀後半~20世紀前半の大移住期にアメリカにやってきたノルウェー移民を調べた研究が実際に存在する。当時は、渡航費用以外に移住を阻む要因は何もなかったことに注意されたい。移民が1人も含まれない家族を比較した研究では、移民が最貧層に属する家庭から来ているケースが多いこと、つまり彼らの父親が最貧層だというケースが極端に多いことがわかった。

 

対照的に、今日貧しい国から来る人々は、立ちはだかる厳格な入国管理制度を乗り越えるために、まず渡航費用と頑健な体(または高度な資格)を持ち合わせていなければならない。このため、移民の多くは、技能なり、野心なり、忍耐力なり、体力なり、何かしら並外れた能力を備えている。移民あるいは移民の子ども世代が起業家を多く輩出するのはこのためだろう。

 

全米起業家センターの2017年の発表によると、フォーチュン500社の43%は、設立者または共同設立者が移民または移民の子どもだという。さらに、最上位25社の52%、上位35社の57%、最も価値のあるブランド上位13のうち9ブランドは移民が設立したこともわかった。現にヘンリー・フォードはアイルランド移民の息子である。スティーブ・ジョブズの生物学上の父親はシリア移民、セルゲイ・ブリンはロシア出身だ。ジェフ・ベゾスは、キューバ移民だった義父マイク・ベゾスの名を受け継いでいる。

 

以上のように、需要と供給の法則を移民に当てはめる際に気をつけなければならないのは、移民の流入は労働者の供給を増やすと同時に、労働需要も増やすということである。移民が増えても賃金水準が下がらない理由の一つは、ここにある。