『 良い戦略、悪い戦略 』 リチャード・P・ルメルト著 村井章子訳(2012年6月22日第1刷)

 

 

 

◇ 第1部 良い戦略、悪い戦略(序章、第1章から第5章) ◇

 

 

 

第2章 強みを発見する

 

 

多くの良い戦略の備わっている2つ目の価値は、新たな強みを知り弱点に気づくところから生まれる。これまでとは違う視点から、あるいはまったく新しい角度からものごとを見直すと、気づいていなかったチャンス、あるいは弱点や脅威を発見できることがよくある。

 

 

■   ダビデとゴリアテ

紀元前1030年頃のこと、ダビデという羊飼いの少年が巨人兵士ゴリアテを倒した物語が旧約聖書に記されている。ゴリアテは身長3mはあろうかという巨漢で、その槍は7kgの重さがあり、太陽を浴びて輝く青銅の兜と鎧は威力十分だった。イスラエルのサウル王は、ダビデに鎧兜を与えた。しかしダビデは重すぎるからと脱ぎ捨ててしまい、投石器と滑らかな石だけを携えてゴリアテとの戦い挑んだ。ゴリアテが突進してくると、ダビデは石を発射し、みごとにゴリアテの眉間に命中させている。

 

相手がこちらより弱いところにこちらの強いところをぶつけるのが戦略の定石とされる。圧倒的にゴリアテが有利であった。だからこそサウル王は心配し、ダビデを引き止めたのだし、ついに折れたときも、頑丈な鎧兜を与えたのである。旧約聖書の読者は、石が投じられて初めて見方を改め、少年が羊の番をしながら投石の腕を磨いていたこと、若くて機敏だという強みを備えていることに気づく。そして、ダビデが鎧兜を脱いだのは重すぎて動きが鈍くなるからであり、ゴリアテの槍が届く範囲まで近づいたらどのみち鎧兜など役に立たないことに思い至る。さらに石がゴリアテの眉間に命中したとき、これこそが巨人の致命的な弱点であったこと、しかもゴリアテの兜はこの決定的な部分を覆っていなかったことを発見するのだ。

 

自らの強みに気づき、敵の弱みを発見して戦いを一気に有利にしたことに感銘を受ける。相手が持っていないもの、気づいていないものをどうやって見抜くか、そしてこちらの強みをどこに見出すかどう活かすか。その強みは私たちの視界のはずれのほうに存在し、かすかにきらめくだけで、よほど注意を集中しないと見えてこない。良い戦略がすべてこのような発見に支えられているわけではないが、このような気づきから導き出された戦略は、「ふつうの強み」を「圧倒的な強み」に変えることができる。

 

 

■   ウォルマート

MBAのコースや企業研修では、隠された強みを発見する演習をやってもらうことが多い。そのときに教材としてよく使うのがウォルマートである。ウォルマートはなぜ急成長を遂げ、創業者のサム・ウォルトンが1986年に全米最高の富豪の地位にまで上り詰めることができたのか。1962年の創業当時は、いまとなってはとても想像できないが、ウォルマートはゴリアテではなくダビデだったのである。

 

【 定説:「業界の常識――フルラインナップのスーパーマーケットを出店する条件として、最低10万人以上の人口が必要である」 】

 

課題はごく単純である。ウォルマートが成功したのはなぜか、その原因を探り出すことだ。手始めに私は小売業界で働いた経験を持つビルを指名した。ビルが最初に挙げたのは、サム・ウォルトンのリーダーシップである。さらに続きを促す。

 

「ウォルトンは、どんなことをして他社と差をつけたのかい」

 

6人が次々に発言して、30分ほどでビルの答えに肉づけしていく。店舗はどのぐらいの大きさか。町はどのぐらい小さいのか。コンピュータ化されたロジスティクス・システムとはどのようなものか。どうやって経費を切り詰めたのか、等々。

 

ここで私は部屋を見渡して全員の注意を集めたうえで、おもむろに切り出す。

 

「いま挙げられたことがウォルマート躍進の原因だとしよう。しかしこれらのことは1986年の時点ではわかっていたはずだ。それなのに、なぜその後10年間もライバルのKマートを圧倒することができたのか。どうすればいいかKマートにはわかっていたはずなのに、なぜ競争にならなかったのか」

 

部屋は静まりかえる。この質問には全員が虚をつかれてしまうらしい。これは、最初にウォルマートのケースを持ち出したときに、ディスカウント業界の常識を示しただけで、競争について言及しなかったせいもあるだろう。それでも「成功要因を挙げよ」と言われると、競争相手のことはとんと忘れてしまう。このケーススタディでは毎回こういう結果になる。そして参加者は、戦略を考えるときはつねに競争相手を考慮しなければならないことを学ぶのである。

 

勝ち組の行動に注目するだけでは、全体の半分しか見たことにならない。大勝ちする企業があるときには、必ず競争に参加できないか、負けを喫する企業が存在する。創業間もないウォルマートに大負けを喫したのは、Kマートである。Kマートは、かつては全米最大手のディスカウント・ストア・チェーンだった。そして2002年には破産申請をする羽目に陥っている。

 

私はより具体的な質問を発した。

 

「ウォルマートもKマートも、1980年代前半にはレジにバーコード・スキャナーを導入していた。それなのに、ウォルマートはそのデータをKマートより巧みに活用できたのは、なぜだろうか」。

 

ウォルマートは、通信衛星を使った自前の情報システムを構築し、このデータを自社のロジスティクス・システムに活用するとともに、サプライヤーにも値引きと引き換えにPOSデータを提供している。人事担当エグゼクティブのスーザンが手を挙げた。

 

「POSのデータだけではたいして意味はありません。Kマートは、流通センターやサプライヤーにもデータを供給すべきでした。そうすれば、統合的なロジスティクス・システムを構築できたはずです」

 

「その通り」と私は頷き、ウォルマートではバーコードによるPOSデータ管理、サプライヤーを巻き込んだ一体的なロジスティクス、ジャスト・イン・タイムの在庫補充、大型店と少量在庫といったことが相互補完的に作用し、全体として1つの整然としたシステムを形成していること、方針と行動が一致していることに注意を促す。システムを構成するパーツは、どれ1つとっても欠かすことができない。当時のライバル企業の多くはこのようなシステムを持っておらず、これではウォルマートには太刀打ちできない。一部だけをまねしてもほとんど効果はあがらないからである。ライバルは、ウォルマートの卓越したロジスティクス・システムをそっくりまねするべきだったと言える。

 

だが、ウォルマートの競争優位はこれだけだろうか。どうやら全員が気づいていないらしい重要な点を指摘する。それは、最初にホワイトボードに書き出した「常識」と関係がある。フルラインナップのスーパーマーケットを出店するには、最低10万人以上の人口が必要である―ウォルマートの戦略は、この常識に反するのか、反しないのか。

 

私は再びビルを指名する。

 

「君は最初に、ウォルトンが常識を打ち破ったと言ったね。ウォルマートはどうやってこの常識を打ち破ったのだろうか」

 

考えあぐねるビルを励ますように、私はヒントを与える。

 

「では、ウォルマートの店長になったと考えてほしい。資産家のパパに相談していっそのこと店を買いとってしまおうよ、とね。君ならこの考えをどう思う?」

 

ビルは意外な提案に目を丸くし、そしてすぐに答えた。

 

「いや、それはいい考えとは思いません。1店舗だけ経営してもうまくいくはずがない。ウォルマートの店は、ネットワークの一部であることが必要なんです」

 

それだ。私はホワイトボードに向き直り、「フルラインナップのスーパーマーケットを出店するには、最低10万人以上の人口が必要である」の横に「ウォルマートの店はネットワークの一部であることが必要である」と書き足し、「店」を大きな赤丸で囲んで教室を見渡す。そう、1店舗ではない。150店舗の地域ネットワークである。情報が共有されたネットワークは、1つの店舗に相当する。そして150店舗の地域ネットワークは、100万人の人口をカバーしている。ウォルトンは常識を破ったのではなく、店舗の定義を覆したのだった。

 

このことに気づけば、ウォルマートのさまざまな事業方針の相互補完性が見えてくる。たとえば、出店の決定がそうだ。どこに出店するかは、単に需要を開拓できそうかどうかだけでなく、ネットワークの経済性を考えて決められる。さらに重要なのは、ウォルマートでは店ではなく地域ネットワークが経営の基本単位となっていることだ。

 

統合化されたネットワークを事業の基本単位としたことによって、ウォルトンは当時のもっと根深い「常識」を打ち破ったと言える。と言うのも当時の組織経営では「分散化」が大流行だったからだ。小売チェーンで言えば、各店舗に権限を委譲せよ、ということである。Kマートは頑固にこの教えを守った。権限委譲はよいことだ、と私たちもさんざん聞かされたものである。だが利点にばかり注目していると、事業単位間の調整がとりにくくなるという欠点を見落としやすい。また何がうまくいき、何がうまくいかないか、他店での経験や教訓を共有することもできない。

 

ウォルトンがネットワークの強みを最大限に活用しはじめると、Kマートは一気に不利になった。大規模な組織は、新しい技術の採用を躊躇することはあるかもしれないが、いずれは変化に対応していくものである。だが長年信奉してきた経営哲学を変えるのは、きわめて難しい。

 

以上のように、ウォルマートの戦略の価値は、視点を変えるところから生まれた。従来は都市部の人口が必要だとされていた業界で、ウォルトンは小さな町の店舗を情報ネットワークとロジスティクスで結ぶことによって効率を実現した。いまでこそ彼の方式はサプライチェーン・マネジメントと呼ばれるようになったが、1984年の段階では、まったく予想外の視点の転換だったことを忘れてはいけない。だからこそ、ダビデの一撃となったのである。

 

 

■   アメリカの国防計画

国防総省相対評価室長のアンディ・マーシャルと私は、どのような思考プロセスから戦略が形成さるのか、とういことに興味をもっていた。マーシャルによれば、冷戦中の国防予算の編成方式がマンネリ化し、相手の出方に合わせる意識が根づいてしまったという。

 

「アメリカの国防計画は、まず毎年、統合参謀本部がソ連の脅威を分析評価する。次にこの脅威にどう対応するかを決めて、調達リストを作成する。すると議会が検討する。このサイクルが例年繰り返される。要するにアメリカの国防予算は、ソ連がこれだけの予算をつけているから対抗すべきだという理屈で決められていた。言い換えれば、脅威という相手の強みに対応しているのであって、相手の弱点をついているわけではない」。

 

アンディ・マーシャルと後に空軍長官を務めたジェームズ・ロシュが1976年に作成した「継続的な政治・軍事競争が続く状況において軍事部門でソビエトに対抗するための戦略」というみごとな分析では、「国防」という言葉に新たな定義を与えていた――まさに視点の転換である。そこには、「他国に効果的に対抗するためには、個々の領域でも全体においても、自国の明らかな能力を活かして競争優位を確立する方法を探らなければならない」と書かれていた。

 

さらに重要なのは、相手に多大なコストを強いるような行動をこちらが起こすべきだと述べている点である。具体的には、相手が対抗するにはひどくコストがかかり、かつ相手の攻撃力にはさしてプラスにならないような技術にこちらが積極投資することを提言している。またソ連のシステムが陳腐化するような技術に投資することも、相手に予算を使わせ、かつこちらの高度な技術を見せつける効果がある。

 

マーシャルとロシュのアイデアは、1976年当時の兵力均衡型予算の時代にはまことに画期的だった。しかもきわめてシンプルなアイデアである。アメリカは、強みを最大限に活かして相手の弱点を突けば十分に優位に立つことができる――ただ、これだけだ。複雑なチャートやグラフもなければ、あやしげば数式も、専門用語だらけの説明もない。驚くべきシンプルなアイデアが、拮抗状態の中から隠れた強みを発見したのだった。

 

彼らの洞察を経営戦略に置き直すと、「自社の強みと弱みをみきわめ、状況のチャンスとリスクを評価し、自社の強みを最大限に活かす」ということになろう。しかし彼らの戦略がすぐれて効果的なのは、従来とはちがう視点から自らの強みを発見したことにある。それは、保有兵器など純粋な軍事力だけに着目する従来のやり方を変え、相手に余計にコストを強いる方法へと発想を転換したことそのものである。

 

マーシャルとロシュの分析には、米ソそれぞれの強みと弱みを列挙したリストが含まれている。このようなリストを作成すること自体は昔から行われてきた。だが従来は相手の強みを打ち消してバランスをとることに注意が払われていたのに対し、マーシャルとロシュは、隠れた強みを発見し優位に立つ方法を考え出したのである。