『良き社会のための経済学』 ジャン・ティロール著 村井章子訳 (2018年8月24日第1刷)

 

 

 

◇ 第Ⅱ部 経済学者の仕事 ◇

 

 

 

第4章 ①研究の日々

(第4章は①~③まで)

 

 

経済学者の世界はあまり一般の人々には知られていない。また経済学の研究は、さまざまな批判にもさらされている。そもそも経済学は科学なのか。あまりに抽象的ではないか、机上の空論ではないか、数式を使いすぎではないか、等々。

 

本章と次章では、こうした質問や批判に答えたいと思う。経済モデルの構築と検証のプロセスを説明したのち、研究の評価プロセスの長所短所を解説する。最後にこの40年ほどで経済学に革命的変化をもたらした二つの理論、すなわちゲーム理論と情報の経済学を取り上げ、方法論への貢献を検討して締めくくる。

 

 

 

1  理論と実証の間を行き来する

 

 

他の科学分野と同じく、経済学の研究でも理論と実証の組み合わせが求められる。理論は思考の枠組みを提供する。また理論は、データを理解するカギでもある。理論なしではデータは単なる観察結果にすぎず、何も語りはしない。逆に理論は実証データを糧にする。データは仮説や結論を無効にすることがあり、それによって理論をより良いものへと導いたり、捨て去ることを強要したりする。

 

哲学者のカール・ポパーは、観察から一般法則を導き出し、次にそれが正しいかどうかを確かめるための検証を行うことが科学的アプローチであるとした。経済学者もこれに従っている。理論と実証の間を行ったり来たりするこのプロセスからは確信は生まれないが、さまざまな現象の理解が徐々に生まれる。

 

理論は、初めははっきりとした形をとらなかったが(アダム・スミスの時代)、徐々に数式を取り入れるようになった。経済学という学問の発展において、理論が果たしてきた役割は大きい。

 

数十年前から、データ処理が経済学で重要な地位を占めるようになった。計量経済学に応用される統計技術の進化、臨床試験で使われるのとよく似たランダム化比較試験(RCT)技術の開発(マサチューセッツ工科大学〔MIT〕教授のフランス人経済学者エスター・デュフロは、この分野の第一人者である)、ラボラトリー実験とフィールド実験のより組織的な活用などだ。そして情報技術によって、大規模なデータベースの分散配置が可能になり、また効率的で安価なプログラムと桁外れの演算能力のおかげで統計処理がはるかに容易になった。いまやビッグデータが経済学を大々的に変えようとしている。

 

競争法から財政・金融政策にいたる公共政策の立案において、理論は引き続き重要な役割を果たすにしても、データ重視の姿勢はかつての比でない。実際には実証的な部分が研究において重要な地位を占めている。

 

経済学におけるモデルの構築の出発点は、具体的な問題である。次に抽象化を行う。問題の本質的な部分に注意を集中するために、エッセンスを抽出する作業である。理論モデルは当面の問題を考えるためのものであって、真実の再現ではない。モデルで置く仮定は単純化されており、現実を総合的に説明する結論を導き出すことはできない。

 

 

・・・ <モデル構築の例> ・・・

気候学的見地からは、炭素予算は残りわずかだとされている。炭素予算とは、許容炭素排出量すなわち大気温を摂氏1.5度または2度以下の上昇に抑えるために最大限排出してよい温室効果ガスの量を意味する。経済学者は、気候学者のこのコンセンサスを前提としなければならない。

 

これを出発点として、妥当なコストで許容排出量以下に抑えるための規制政策を立案することになる。そのためには、温室効果ガスを排出するプレーヤー、すなわち企業、公的機関、世帯の行動をモデル化する必要がある。最初の分析を行うために、これらのプレーヤーは次のような合理的な選択をすると考える(=単純化した仮定)。温室効果ガスを排出した場合に政府から課されるコストよりも排出防止コストのほうが高くつくのであれば、排出する。言い換えれば、プレーヤーたちは、自己の物質的利益を最大化するように行動する。

 

第一段階では規制の規範的分析を行い、政府がどのような措置を講じれば、望みの結果を導くことができるかを考える。ここで再びごく単純な仮説を立てる。すなわち必須条件は、与えられた環境保護の枠組みの中で、政策実行に要するコストをできるだけ抑えることにあるとする。なぜなら、巨額の予算を必要とする政策は、消費者の購買力や企業の競争力や雇用意欲を削ぐ恐れがあるうえ、環境保護政策に反対する利益団体の攻撃を勢いづかせ、説得力を持たせることになりかねいからだ。

 

規制当局が各企業の特性を熟知している場合には、「行政指導アプローチ」をとり、排出防止コストが所定の水準(合計排出量を温度上昇の閾値以下に抑えるためのコスト)を下回るような企業が排出した場合には、その都度抑制するよう指導することが可能だろう。しかし通常は、規制当局はそうした内情に通じていない。その場合には企業に判断を委ね、排出した場合に炭素税を課すか、排出権を購入させるほうが得策である。

 

ただし言うまでもなく、ここでは近似を行っている。まず、プレーヤーは正確にこのモデルのように行動するわけではない。彼らは、経済的に適切な選択を下すだけの情報をつねに持ち合わせているわけではない。また、自分たちの物質的利益を正確に最大化する行動がとれるわけでもない。それでも、プレーヤーが環境保護を真剣に意識することはありえるし、企業が社会的に責任ある行動をとりたいと本気で願うこともありうる。

 

そこで第二段階ではモデルを強化し、プレーヤーが持ち合わせている情報の不完全性や社会的な行動をモデルに導入する。さらに国家の約束の信憑性、気候学、イノベーション、国家との交渉、地政学的要因の不確実性といった要素も取り込む。

 

この段階の分析は、基本的な仮定テストとなる。たとえば、裁量的な行政アプローチよりも経済的手段(炭素税、排出権取引など)を活用したほうがよいとの提言は、規制当局は十分な情報を持ち合わせていないとの仮定に基づいている。この仮定が事例観察などで正当化できるようであれば、それはもはや仮定ではなくなる。この仮定を直接立証してもいいし、結果を調査することによって間接的に正当性を立証してもよい。

 

こうして実証研究を行った結果、行政アプローチを採用した場合には環境政策のコストが50~200%かさむことを示すとともに、規制当局は排出抑制の最適解に関して不完全な情報しか持ち合わせていないという直感的な仮定の正しさを立証することができた。

・・・ <モデル構築の例> ・・・

 

 

ニュートンの万有引力の法則や、理想気体の法則は、いまとなってはまちがいだったと判明した仮定に基づいている。だが二つの法則は、次の二つの理由から必要欠くべからざるものと認められている。

 

第一に、これらの法則がなかったら、のちの理論(たとえば相対性理論)は発見されなかった。法則の単純明快さのおかげで、誰もがこれを理解して次へ進むことができた。第二に、万有引力の法則も理想気体の法則も、ある状況(前者では低い速度、後者では小さい圧力)では、みごとな近似になっているため、直接応用することができる。

 

人間は誤りを犯す。そのうえ感情に支配されることもめずらしくない。それやこれで、合理的でない行動をとる可能性が大いにある。とはいえ社会科学の中心にあるのは社会という組織であり、幾多の困難に直面しながらも、その研究は今日まで進化してきた。人間の行動には個人にせよ集団にせよ何らかの規則性があり、それをあきらかにすることができる。

 

 

■    理論の構築

モデルを構築する際は、エッセンスを抽出する必要がある。モデル化で最大の難関は、本質的に重要な要素の抽出である。実行可能性の観点からして、すべてを考慮に入れることはできない。したがって、重要なものと、省いても分析結果が大きくは変わりそうもない偶発的なものとを区別する必要がある。この段階では、研究者の経験や実務家との討論が役に立つ。モデルとはよく言えば現実の比喩、悪く言えば現実の出来損ないなのである。

 

経済学者がモデルを構築するときは、それが企業の内部構造であれ、市場の競争、あるいはマクロ経済のメカニズムであれ、意思決定者の目的を明確にするとともに、彼らの行動について仮定を設ける必要がある。

 

たとえば最初の近似として、資本主義経済における企業は株主を満足させるために利益の最大化を望む、と仮定する。この利益は、異時点間に実現される利益とする。というのも、短期的な利益を犠牲にして長期的な利益を増やす方が、企業の持続可能性にとって好ましいことが多いからだ。必要があれば、この経営者および取締役会に作用するインセンティブについて、膨大な知識を蓄積しておかねばならない。そうした知識を活用して、最初の仮定から逸脱するような行動を理解し、モデルに組み込んでいく。たとえば、長期的利益を犠牲にして目先の利益の実現に走る経営者の行動などがそうだ。

 

なお行動に関して言えば、最初の近似的な仮定では、意思決定者は合理的な行動をとるものとする。ここでもまた、限定合理性に関する最近の研究の知見を活かして、最初の仮定を精緻化することが可能だ。最後に、複数のプレーヤー(たとえば市場での競争者)の相互作用を考慮してモデルを形成する。ここでゲーム理論が関わってくるわけだが、これについては後段で改めて論じることにしよう。

 

経済学は、規範的であろうとする傾向がおそらく他の社会科学や人文科学以上に強い。経済学は、世界を変えたがっているとも言える。だがその究極の目標は経済政策の立案である。

 

そこで経済学は、さまざまな政策の費用と便益を比較する。比較を行った時点で、社会にとって差引で利益が最も大きい政策を選ぶことが可能になる。たとえば選択した政策によって最終的に損失を被る人がいても、それを埋め合わせるための移転が可能であれば、適切な政策だと判断できる。移転が不可能な場合には、選択はむずかしくなる。政策立案者はさまざまなプレーヤーの幸福を秤にかけ、誰を最優先するかを決めざるを得ない。

 

経済学のアプローチは、いわゆる「方法論的個人主義」である。すなわち、社会的・集団的な現象は個人の行動の結果であると考え、個人の行動の集積が社会現象を形成すると考える。方法論的個人主義は、社会現象の理解や分析と完璧に両立する(というよりも、必要不可欠である)。プレーヤーは各自にとってのインセンティブに反応するが、このインセンティブの一部は、各自が属する社会集団に由来する。

 

 

■    実証テスト

理論が組み立てられ、その理論が意味するところが理解できたら、仮定に対する結果の頑健性を検討し、モデルに基づく予測を検証する段取りになる。通常は二種類のテストを行う。取集したデータが質量共に十分であれば、計量経済学的な検定を行う。

 

古典的な計量経済学では二つの検証方法がある。フィールド実験とラボラトリー実験である。前者では、臨床試験で言うトリートメント・グループ(処置群)に当たる人々のサンプルを、コントロール・グループ(対象群)に当たるサンプルの環境に置き、行動や結果のちがいを分析する。

 

ときにはサンプルが自然に二つに分かれていることがあり、これを「自然実験」と呼ぶ。たとえば、双子が生まれたときから離ればなれにされ、ちがう家庭に預けられた場合がそうだ。この双子を観察すれば、先天的な要素と後天的な要素を区別することができる。

 

経済学では、ランダム化比較試験(RCT)の手法や、トリートメント・グループとコントロール・グループに分ける戦略を活用してきた。経済学の実験では、たとえば新しい電気料金体系、生活保護、健康保険、失業保険といったものの影響を調べる。こうした手法が顕著な成果をあげているのが、開発経済の分野だ。

 

中でもメキシコが1997年から導入している貧困削減のための教育・保健・食料プログラム(Progresa)は有名である。このプログラムでは、資力調査によって貧困世帯を特定したうえで、子どもを学校に通わせること、定期的に健康診断を受診させること、予算の一部を栄養摂取に充当することを条件に、母親に助成金を与える(このため、「条件付き現金給付〔CCT〕と呼ばれる)。このプルグラムは助成金の配布時期をランダムに変えて「トリートメント村」と「コントロール村」を作ることによって、正確な効果測定を行うことができた。こうした手法は、公共政策あるいは企業戦略の効果測定や、経済理論のテストに用いられる。

 

同様に、理論モデルで想定した状況を研究室で再現し、被験者(学生、教授、専門家)に役割を「演じて」もらって結果を観察することができる。これがラボラトリー実験で、心理学者のダニエル・カーネマンと経済学者のバーノン・スミスは2002年にノーベル経済学賞を受賞した。

 

バーノン・スミスの有名な実験は市場実験と呼ばれるもので、国債市場や商品市場を想定している。この実験では、参加者を同数の二つのグループに分ける。一方は財の売り手(一単位だけ売ることができる)、他方は買い手(一単位だけ買うことができる)である。財を買わなかった買い手は、何ももらえない(実験参加料だけもらう)。買い意欲を決定づけるために、財に10ユーロまでなら払ってもいいと考える買い手が ユーロで買った場合には、 ユーロの報酬を与える。同様に、4ユーロ以上で売りたいと考える売り手が ユーロで売った場合には、 ユーロの報酬を与える。売ってもよい最低価格が *である売り手の数と、払ってもよい金額が *である買い手の数が等しいとき、 *で競争均衡が成り立つ。このとき、市場は均衡したと言う。

 

だが現実の世界では、買い手は自分が払ってもよいと思う金額しか知らないし、売り手は自分が打ってもよいと思う価格しか知らない。バーノン・スミスの実験では、十分な数の売り手と買い手が存在する場合には、価格も取引数量も競争均衡の理論予想値に収斂することが確かめられた。

 

ラボラトリー実験はフィールド実験よりも再現性が高く、実験環境をコントロールすることが可能だ。ただし、フィールド実験と比べて環境がどうしても人為的になる点はデメリットである。

 

 

■    経済学は科学か?

次の意味において、経済学のアプローチは科学的である。仮説が明確に示され、仮説に対する批判を受け付ける。結論とその有効範囲が、演繹的推論により論理的に導かれる。結論が統計的手法により検証される。

 

その一方で、予測精度が低いという理由から、経済学は厳密な科学ではない。金融危機や為替相場を予想する経済学者も、その現象の発生要因の特定は得意だが、発生時期を予想することは不得意だ。いや、発生そのものをうまく予想できない。

 

予測を困難にする原因を二つ強調しておきたい。第一は、データが不十分、あるいは現象の理解が不完全ということだ。経済学者には、銀行の相互のリスク・エクスポージャーなどの要因がいずれはシステミック・リスクを引き起こしかねない、ということは理解できても、危機が伝搬する複雑なダイナミクスを理解しているわけではない。

 

第二の阻害要因はすべての情報を入手し現象を完全に理解していても、うまく予測できない状況が存在することだ。たとえば、私の選択が、あなたの選択次第で変わってくるような状況がそうだ。このようなとき、外部の観察者にとって「戦略的不確実性」が生じる。「予言の自己実現」や「複数均衡」はこの範疇である。銀行恐慌や取り付け騒ぎが起きるときは、まさに不確実な状況に相当する。集団の行動を予想するためには、プレーヤー同士の調整がどのように行われるのかを理解する必要がある。

 

『良き社会のための経済学』 ジャン・ティロール著 村井章子訳 (2018年8月24日第1刷)

 

 

 

◇ 第Ⅱ部 経済学者の仕事 ◇

 

 

 

第4章  研究の日々①

(第4章は①~③まで)

 

 

経済学者の世界はあまり一般の人々には知られていない。また経済学の研究は、さまざまな批判にもさらされている。そもそも経済学は科学なのか。あまりに抽象的ではないか、机上の空論ではないか、数式を使いすぎではないか、等々。

 

本章と次章では、こうした質問や批判に答えたいと思う。経済モデルの構築と検証のプロセスを説明したのち、研究の評価プロセスの長所短所を解説する。最後にこの40年ほどで経済学に革命的変化をもたらした二つの理論、すなわちゲーム理論と情報の経済学を取り上げ、方法論への貢献を検討して締めくくる。

 

 

 

1  理論と実証の間を行き来する

 

 

他の科学分野と同じく、経済学の研究でも理論と実証の組み合わせが求められる。理論は思考の枠組みを提供する。また理論は、データを理解するカギでもある。理論なしではデータは単なる観察結果にすぎず、何も語りはしない。逆に理論は実証データを糧にする。データは仮説や結論を無効にすることがあり、それによって理論をより良いものへと導いたり、捨て去ることを強要したりする。

 

哲学者のカール・ポパーは、観察から一般法則を導き出し、次にそれが正しいかどうかを確かめるための検証を行うことが科学的アプローチであるとした。経済学者もこれに従っている。理論と実証の間を行ったり来たりするこのプロセスからは確信は生まれないが、さまざまな現象の理解が徐々に生まれる。

 

理論は、初めははっきりとした形をとらなかったが(アダム・スミスの時代)、徐々に数式を取り入れるようになった。経済学という学問の発展において、理論が果たしてきた役割は大きい。

 

数十年前から、データ処理が経済学で重要な地位を占めるようになった。計量経済学に応用される統計技術の進化、臨床試験で使われるのとよく似たランダム化比較試験(RCT)技術の開発(マサチューセッツ工科大学〔MIT〕教授のフランス人経済学者エスター・デュフロは、この分野の第一人者である)、ラボラトリー実験とフィールド実験のより組織的な活用などだ。そして情報技術によって、大規模なデータベースの分散配置が可能になり、また効率的で安価なプログラムと桁外れの演算能力のおかげで統計処理がはるかに容易になった。いまやビッグデータが経済学を大々的に変えようとしている。

 

競争法から財政・金融政策にいたる公共政策の立案において、理論は引き続き重要な役割を果たすにしても、データ重視の姿勢はかつての比でない。実際には実証的な部分が研究において重要な地位を占めている。

 

経済学におけるモデルの構築の出発点は、具体的な問題である。次に抽象化を行う。問題の本質的な部分に注意を集中するために、エッセンスを抽出する作業である。理論モデルは当面の問題を考えるためのものであって、真実の再現ではない。モデルで置く仮定は単純化されており、現実を総合的に説明する結論を導き出すことはできない。

 

 

・・・ <モデル構築の例> ・・・

気候学的見地からは、炭素予算は残りわずかだとされている。炭素予算とは、許容炭素排出量すなわち大気温を摂氏1.5度または2度以下の上昇に抑えるために最大限排出してよい温室効果ガスの量を意味する。経済学者は、気候学者のこのコンセンサスを前提としなければならない。

 

これを出発点として、妥当なコストで許容排出量以下に抑えるための規制政策を立案することになる。そのためには、温室効果ガスを排出するプレーヤー、すなわち企業、公的機関、世帯の行動をモデル化する必要がある。最初の分析を行うために、これらのプレーヤーは次のような合理的な選択をすると考える(=単純化した仮定)。温室効果ガスを排出した場合に政府から課されるコストよりも排出防止コストのほうが高くつくのであれば、排出する。言い換えれば、プレーヤーたちは、自己の物質的利益を最大化するように行動する。

 

第一段階では規制の規範的分析を行い、政府がどのような措置を講じれば、望みの結果を導くことができるかを考える。ここで再びごく単純な仮説を立てる。すなわち必須条件は、与えられた環境保護の枠組みの中で、政策実行に要するコストをできるだけ抑えることにあるとする。なぜなら、巨額の予算を必要とする政策は、消費者の購買力や企業の競争力や雇用意欲を削ぐ恐れがあるうえ、環境保護政策に反対する利益団体の攻撃を勢いづかせ、説得力を持たせることになりかねいからだ。

 

規制当局が各企業の特性を熟知している場合には、「行政指導アプローチ」をとり、排出防止コストが所定の水準(合計排出量を温度上昇の閾値以下に抑えるためのコスト)を下回るような企業が排出した場合には、その都度抑制するよう指導することが可能だろう。しかし通常は、規制当局はそうした内情に通じていない。その場合には企業に判断を委ね、排出した場合に炭素税を課すか、排出権を購入させるほうが得策である。

 

ただし言うまでもなく、ここでは近似を行っている。まず、プレーヤーは正確にこのモデルのように行動するわけではない。彼らは、経済的に適切な選択を下すだけの情報をつねに持ち合わせているわけではない。また、自分たちの物質的利益を正確に最大化する行動がとれるわけでもない。それでも、プレーヤーが環境保護を真剣に意識することはありえるし、企業が社会的に責任ある行動をとりたいと本気で願うこともありうる。

 

そこで第二段階ではモデルを強化し、プレーヤーが持ち合わせている情報の不完全性や社会的な行動をモデルに導入する。さらに国家の約束の信憑性、気候学、イノベーション、国家との交渉、地政学的要因の不確実性といった要素も取り込む。

 

この段階の分析は、基本的な仮定テストとなる。たとえば、裁量的な行政アプローチよりも経済的手段(炭素税、排出権取引など)を活用したほうがよいとの提言は、規制当局は十分な情報を持ち合わせていないとの仮定に基づいている。この仮定が事例観察などで正当化できるようであれば、それはもはや仮定ではなくなる。この仮定を直接立証してもいいし、結果を調査することによって間接的に正当性を立証してもよい。

 

こうして実証研究を行った結果、行政アプローチを採用した場合には環境政策のコストが50~200%かさむことを示すとともに、規制当局は排出抑制の最適解に関して不完全な情報しか持ち合わせていないという直感的な仮定の正しさを立証することができた。

・・・ <モデル構築の例> ・・・

 

 

ニュートンの万有引力の法則や、理想気体の法則は、いまとなってはまちがいだったと判明した仮定に基づいている。だが二つの法則は、次の二つの理由から必要欠くべからざるものと認められている。

 

第一に、これらの法則がなかったら、のちの理論(たとえば相対性理論)は発見されなかった。法則の単純明快さのおかげで、誰もがこれを理解して次へ進むことができた。第二に、万有引力の法則も理想気体の法則も、ある状況(前者では低い速度、後者では小さい圧力)では、みごとな近似になっているため、直接応用することができる。

 

人間は誤りを犯す。そのうえ感情に支配されることもめずらしくない。それやこれで、合理的でない行動をとる可能性が大いにある。とはいえ社会科学の中心にあるのは社会という組織であり、幾多の困難に直面しながらも、その研究は今日まで進化してきた。人間の行動には個人にせよ集団にせよ何らかの規則性があり、それをあきらかにすることができる。

 

 

■    理論の構築

モデルを構築する際は、エッセンスを抽出する必要がある。モデル化で最大の難関は、本質的に重要な要素の抽出である。実行可能性の観点からして、すべてを考慮に入れることはできない。したがって、重要なものと、省いても分析結果が大きくは変わりそうもない偶発的なものとを区別する必要がある。この段階では、研究者の経験や実務家との討論が役に立つ。モデルとはよく言えば現実の比喩、悪く言えば現実の出来損ないなのである。

 

経済学者がモデルを構築するときは、それが企業の内部構造であれ、市場の競争、あるいはマクロ経済のメカニズムであれ、意思決定者の目的を明確にするとともに、彼らの行動について仮定を設ける必要がある。

 

たとえば最初の近似として、資本主義経済における企業は株主を満足させるために利益の最大化を望む、と仮定する。この利益は、異時点間に実現される利益とする。というのも、短期的な利益を犠牲にして長期的な利益を増やす方が、企業の持続可能性にとって好ましいことが多いからだ。必要があれば、この経営者および取締役会に作用するインセンティブについて、膨大な知識を蓄積しておかねばならない。そうした知識を活用して、最初の仮定から逸脱するような行動を理解し、モデルに組み込んでいく。たとえば、長期的利益を犠牲にして目先の利益の実現に走る経営者の行動などがそうだ。

 

なお行動に関して言えば、最初の近似的な仮定では、意思決定者は合理的な行動をとるものとする。ここでもまた、限定合理性に関する最近の研究の知見を活かして、最初の仮定を精緻化することが可能だ。最後に、複数のプレーヤー(たとえば市場での競争者)の相互作用を考慮してモデルを形成する。ここでゲーム理論が関わってくるわけだが、これについては後段で改めて論じることにしよう。

 

経済学は、規範的であろうとする傾向がおそらく他の社会科学や人文科学以上に強い。経済学は、世界を変えたがっているとも言える。だがその究極の目標は経済政策の立案である。

 

そこで経済学は、さまざまな政策の費用と便益を比較する。比較を行った時点で、社会にとって差引で利益が最も大きい政策を選ぶことが可能になる。たとえば選択した政策によって最終的に損失を被る人がいても、それを埋め合わせるための移転が可能であれば、適切な政策だと判断できる。移転が不可能な場合には、選択はむずかしくなる。政策立案者はさまざまなプレーヤーの幸福を秤にかけ、誰を最優先するかを決めざるを得ない。

 

経済学のアプローチは、いわゆる「方法論的個人主義」である。すなわち、社会的・集団的な現象は個人の行動の結果であると考え、個人の行動の集積が社会現象を形成すると考える。方法論的個人主義は、社会現象の理解や分析と完璧に両立する(というよりも、必要不可欠である)。プレーヤーは各自にとってのインセンティブに反応するが、このインセンティブの一部は、各自が属する社会集団に由来する。

 

 

■    実証テスト

理論が組み立てられ、その理論が意味するところが理解できたら、仮定に対する結果の頑健性を検討し、モデルに基づく予測を検証する段取りになる。通常は二種類のテストを行う。取集したデータが質量共に十分であれば、計量経済学的な検定を行う。

 

古典的な計量経済学では二つの検証方法がある。フィールド実験とラボラトリー実験である。前者では、臨床試験で言うトリートメント・グループ(処置群)に当たる人々のサンプルを、コントロール・グループ(対象群)に当たるサンプルの環境に置き、行動や結果のちがいを分析する。

 

ときにはサンプルが自然に二つに分かれていることがあり、これを「自然実験」と呼ぶ。たとえば、双子が生まれたときから離ればなれにされ、ちがう家庭に預けられた場合がそうだ。この双子を観察すれば、先天的な要素と後天的な要素を区別することができる。

 

経済学では、ランダム化比較試験(RCT)の手法や、トリートメント・グループとコントロール・グループに分ける戦略を活用してきた。経済学の実験では、たとえば新しい電気料金体系、生活保護、健康保険、失業保険といったものの影響を調べる。こうした手法が顕著な成果をあげているのが、開発経済の分野だ。

 

中でもメキシコが1997年から導入している貧困削減のための教育・保健・食料プログラム(Progresa)は有名である。このプログラムでは、資力調査によって貧困世帯を特定したうえで、子どもを学校に通わせること、定期的に健康診断を受診させること、予算の一部を栄養摂取に充当することを条件に、母親に助成金を与える(このため、「条件付き現金給付〔CCT〕と呼ばれる)。このプルグラムは助成金の配布時期をランダムに変えて「トリートメント村」と「コントロール村」を作ることによって、正確な効果測定を行うことができた。こうした手法は、公共政策あるいは企業戦略の効果測定や、経済理論のテストに用いられる。

 

同様に、理論モデルで想定した状況を研究室で再現し、被験者(学生、教授、専門家)に役割を「演じて」もらって結果を観察することができる。これがラボラトリー実験で、心理学者のダニエル・カーネマンと経済学者のバーノン・スミスは2002年にノーベル経済学賞を受賞した。

 

バーノン・スミスの有名な実験は市場実験と呼ばれるもので、国債市場や商品市場を想定している。この実験では、参加者を同数の二つのグループに分ける。一方は財の売り手(一単位だけ売ることができる)、他方は買い手(一単位だけ買うことができる)である。財を買わなかった買い手は、何ももらえない(実験参加料だけもらう)。買い意欲を決定づけるために、財に10ユーロまでなら払ってもいいと考える買い手がpユーロで買った場合には、(10-p) ユーロの報酬を与える。同様に、4ユーロ以上で売りたいと考える売り手がpユーロで売った場合には、(10-p)ユーロの報酬を与える。売ってもよい最低価格がp*である売り手の数と、払ってもよい金額がp*である買い手の数が等しいとき、p*で競争均衡が成り立つ。このとき、市場は均衡したと言う。

 

だが現実の世界では、買い手は自分が払ってもよいと思う金額しか知らないし、売り手は自分が打ってもよいと思う価格しか知らない。バーノン・スミスの実験では、十分な数の売り手と買い手が存在する場合には、価格も取引数量も競争均衡の理論予想値に収斂することが確かめられた。

 

ラボラトリー実験はフィールド実験よりも再現性が高く、実験環境をコントロールすることが可能だ。ただし、フィールド実験と比べて環境がどうしても人為的になる点はデメリットである。

 

 

■    経済学は科学か?

次の意味において、経済学のアプローチは科学的である。仮説が明確に示され、仮説に対する批判を受け付ける。結論とその有効範囲が、演繹的推論により論理的に導かれる。結論が統計的手法により検証される。

 

その一方で、予測精度が低いという理由から、経済学は厳密な科学ではない。金融危機や為替相場を予想する経済学者も、その現象の発生要因の特定は得意だが、発生時期を予想することは不得意だ。いや、発生そのものをうまく予想できない。

 

予測を困難にする原因を二つ強調しておきたい。第一は、データが不十分、あるいは現象の理解が不完全ということだ。経済学者には、銀行の相互のリスク・エクスポージャーなどの要因がいずれはシステミック・リスクを引き起こしかねない、ということは理解できても、危機が伝搬する複雑なダイナミクスを理解しているわけではない。

 

第二の阻害要因はすべての情報を入手し現象を完全に理解していても、うまく予測できない状況が存在することだ。たとえば、私の選択が、あなたの選択次第で変わってくるような状況がそうだ。このようなとき、外部の観察者にとって「戦略的不確実性」が生じる。「予言の自己実現」や「複数均衡」はこの範疇である。銀行恐慌や取り付け騒ぎが起きるときは、まさに不確実な状況に相当する。集団の行動を予想するためには、プレーヤー同士の調整がどのように行われるのかを理解する必要がある。