お盆の過ごし方 | 最高の瞬間の無限を生きるための世界観への道

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魂の成長を求め、心を浄化し、混沌の世で最高を生きましょう

みなさんこんばんは、緒川賢治です

 

今、お盆休みですが、通常通りの平日でお仕事という方も多いでしょう

 

お盆は帰省したり旅行したり、近場でもイベントなどに遊びに行って、数日間のお休みを満喫するのが一般的な理想のような感じとなっていますが、やはり、お墓参りとか、ご先祖さまへ思いを馳せるとか、自分自身の心の確認とか、自己統制とか、周囲の方々へのおもてなしとか気づかいとか、そおういった、お盆にきれいな心をもって何かそれらしきふるまいをする、ということは大事ですね

 

ただですね、毎年毎年お盆は来ますから、形式ばった習慣のような感じになってしまい、ただ決まっていることをただ行って終わりとかではなく、まあ、たくさんの方々は当たり前のこととして分かっていらっしゃることではありますが、ご先祖さまを心でもてなすような感覚というものをこの数日間だけでも特別に持っていたいですね

 

家族が集まって楽しく過ごすのは、ご先祖さまからしたら嬉しいことです

 

いろいろと話し合ったり、過去のことをしみじみと思い出したり、何というか、結縁というものの世界の深さというものにどっぷりとつかった中でご先祖さまも一緒にいらっしゃるような感覚ですかね、 家族や親戚が一丸となって、過去の霊とかそういった垣根などが無いかのように、たくさんの思い出の中での一時を共有するような感じでしょうかね

 

私はほとんど毎年お盆についてこのブログでいろいろとお話させていただいていますが、まあ、一番大事なのは、皆が元気で今を生きている、というのをご先祖さまが喜ばれる、ということです

 

盂蘭盆のお話とか、ウランバーナとか、目連尊者のお布施とか、施餓鬼とか、まあ、そういったこともお盆らしさに必要な言い伝えとか風習とか意味とか、素晴らしいことではありますが、まあ、これまでも何度かお話したことではありますが、ご先祖さまは、生き残った結晶である子孫たちそのものの中に、精神として遺伝子として生きています

 

なので、供養というのは善行、お布施というのはおもてなし、先祖とつながるというのは自分自身の身をしっかりと正して心の風通しを良くして、我欲などのやましい心を綺麗にして過去から続く未来を思い描き日々精進することです

 

私は両親共に亡くしていますが、トラブルによって決別していた両親ではありますが、今となっては、それぞれ大事な素晴らしい両親だという思いでお盆参りをしました

 

また、父方の先祖も母方の先祖も、まあ、その脈々と受け継がれた血のつながりというものは無意識の中にしっかりと感じることができるので、その有難さというか、素晴らしさと感謝の気持ちで手を合わせます

 

今のこの瞬間私は、私たちは、元気に生きています

 

それは、ご先祖さまも元気でいらっしゃるということです

 

これが、お盆供養の真髄です

 

それを考えると、生きている客人のようにお風呂と食事を用意して本格的におもてなしする地方の風習は、まさに最高峰の先祖供養になりますね

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます