私は実は・・・・・ | 最高の瞬間の無限を生きるための世界観への道

最高の瞬間の無限を生きるための世界観への道

法衣を脱いだ真言密教・仏教徒が説く、精神修養にて日々を最高の自分で過ごす為のブログです
変化と向上のための実践を徹底追求しています
魂の成長を求め、心を浄化し、混沌の世で最高を生きましょう

カミングアウトしようかと思いましたが、やはり止めておきます

 

本日、4月1日、謎を残したままにしておきます

 

一つ、面白いお話をしましょう

 

人間、分かることは、学んだことだけの場合がほとんどです

 

この意味、ものすごく深いです

 

どうやって学んだのか

 

その結果何を理解し会得しているのか

 

それは一体何なのか

 

何事も同じですが、基準というのもがありますね

 

しかし、その基準というものはあって無いようなものです

 

マニュアルとして記された基準がありますが、それを適用する個人個人の認識は、どうでしょうか

 

これをですね、70億人という観点で眺めてみましょう

 

もちろん、身の回りの人々でも十分です

 

食器を洗う時につける洗剤の量でも千差万別であり、その理由も千差万別です

 

バラバラに砕き、それが実は一つであるというイメージは、無限重にあります

 

さて、実は私は、というタイトルですが、エイプリルフールに嘘をつかずに嘘をつく方法を考えながら、適当につけました

 

ただ、人間誰しも、嘘にしたいが嘘にならないこととかたくさんありまして、エイプリルフールにかこつけて、何かをカミングアウトしたくなる人もいるとは思うんですよね

 

そして、エイプリルフールの嘘だったとするならば、気持ち良く全開でカミングアウトできるわけです

 

ふとそういった考えが浮かんだ次第です

 

明日は、私の母の十三回忌でして、つい最近のことなのですが、両親への思いというものがものすごく変化しまして、その重みに変化をみなさんにシェアしたいと思っています

 

親を超える、親を認める、親を許す、いろいろありますが、私の思いはそういったものではありません

 

基本的に、いつの時代に生まれようとも、全ての魂は兄弟だというならば、それは正しいのでしょうか

 

私は、正しいと思います

 

ここの所、じっくり検証したいものですね

 

論争になるテーマですからね

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます