カミングアウトしようかと思いましたが、やはり止めておきます
本日、4月1日、謎を残したままにしておきます
一つ、面白いお話をしましょう
人間、分かることは、学んだことだけの場合がほとんどです
この意味、ものすごく深いです
どうやって学んだのか
その結果何を理解し会得しているのか
それは一体何なのか
何事も同じですが、基準というのもがありますね
しかし、その基準というものはあって無いようなものです
マニュアルとして記された基準がありますが、それを適用する個人個人の認識は、どうでしょうか
これをですね、70億人という観点で眺めてみましょう
もちろん、身の回りの人々でも十分です
食器を洗う時につける洗剤の量でも千差万別であり、その理由も千差万別です
バラバラに砕き、それが実は一つであるというイメージは、無限重にあります
さて、実は私は、というタイトルですが、エイプリルフールに嘘をつかずに嘘をつく方法を考えながら、適当につけました
ただ、人間誰しも、嘘にしたいが嘘にならないこととかたくさんありまして、エイプリルフールにかこつけて、何かをカミングアウトしたくなる人もいるとは思うんですよね
そして、エイプリルフールの嘘だったとするならば、気持ち良く全開でカミングアウトできるわけです
ふとそういった考えが浮かんだ次第です
明日は、私の母の十三回忌でして、つい最近のことなのですが、両親への思いというものがものすごく変化しまして、その重みに変化をみなさんにシェアしたいと思っています
親を超える、親を認める、親を許す、いろいろありますが、私の思いはそういったものではありません
基本的に、いつの時代に生まれようとも、全ての魂は兄弟だというならば、それは正しいのでしょうか
私は、正しいと思います
ここの所、じっくり検証したいものですね
論争になるテーマですからね
いつもお読みいただき、ありがとうございます