みなさんこんにちは、昨日飲み会で、二日酔いだけは免れましたが、どうも肝臓にダメージを感じる、緒川賢治です
焼酎のお湯割りやロックの一気飲みがちょっと失敗だったみたいです
さて、かなり引っ張った感のある、読書と知識と実用ですが、本日は一気に結論まで持って行きたいと思います
実用が全てです
実用したいからマニュアルがある
手引きや指南書がある
次第や解説がある
自己啓発書は、まさにそれですね
かといって、精神世界や心が大きく関係したものの場合は、ただ言葉で説明されたものを文字通りに捉えても、著者の心の中の再現ができるかというと、その可能性は極めて低いです
ならば、ヒントとして捉えて、実践を繰り返しながら、結果を見ていくしかありません
精神世界は、素直さだけが頼りです
こうイメージしましょうとか、これがこういう仕組みになっていて、とかそういうものを言葉で読んでも、そういった言葉による概念でイメージすると、全く違ったものを頭の中で作り上げただけになるので、あくまでも自分自身の感覚に従って、精神世界というものを捉えることなんですね
そこには何のエゴも無い
これがですね、エゴも無いだとか言っても、これを実践する心は、エゴが無いもの、という観念がエゴとなり言葉が作る自分なりのイメージの世界が世界観と結びついて、素直さとはかけ離れたものになるんですね
素直に言葉に従ったのに、それは著者に従っただけで、真実に対して素直に受け入れているのとは違います
気が付けば、一気に話が長くなっていっていますね
説明って本当に難しいです
ただ一言それらしい言葉を使えば良いものではありません
自己啓発や精神世界の本は、結構分かりやすく書かれてあって、これでもかこれでもかとあらゆる角度から事細かに説明されているようなものが無いんですね
例えばですね、深層意識がそのまま宇宙につながっているということを説明するのに、あらゆる条件的な感覚をたくさん挙げる必要があって、徹底的に絞っていくことで精度を上げないといけないのですが、スパッと、それらしい言葉で読者に好かれそうな心に響くような表現で終わっているものが多いです
この場合ですね、読み物としての本としてはとても良い物だと思います
心に響くような内容で、読んで心が洗われたような感覚になり、何かが分かった、という気分になります
そして、感銘を受けて、日々の生活の心がけもちょっと変わったような感じがしばらく続きますね
自己啓発書の醍醐味です
読み物としての自己啓発書
これは、実用書としての自己啓発書ではありません
だから、本質的に自分や世界を変えることはできません
しかし、真の目的は、自分や世界を変えて、全てを向上させることです
ならば、徹底的に検証&トライ&エラーを追求するしかないんですね
疑ってかかれ、ということを前回や前々回にちらつかせていましたが、この心は大事です
かの、ディーパックチョプラ先生の本でさえ、私は、心からそれを信じて受け入れるということはしません
私は、ディーパックチョプラ先生を尊敬していますが、書かれていることを鵜呑みにしてしまって完全にそのまま受け入れ吸収するということはしません
そして、私は、仏教や密教にもたくさんの疑問を持っています
たくさんの検証を行うことで、一つ一つ確認していく、ただそれだけですね
実用のための知識
読み物としての仏教とか密教は、高僧たちの伝説が良いでしょうね
実用のためと考えるならば、必ずその思想を大事にし、いかに実践していくかだけに集中しないといけません
お釈迦様がこの世の解明と苦からの解脱のために作った精神基盤
これが仏教や密教の原点です
それを見つけて学んで徹底的に実用していくだけです
もうここまできたら、大体はっきりしてきたと思います
何をどうすれば、いろんなことを変えることができるのか
なぜ、自己啓発で大きな成果が上げられないのか
なぜ、いつまでたっても自分を変えることはできないのか
なぜ、悩みが無くならずに、いつも苦しいことばかりなのか
潜在意識を活用しているのに・・・・
宇宙は一つだと分かっているのに・・・・
自分も人も受け入れ許し、しっかりと癒しメッセージを念じているのに・・・・
この答えは・・・・・・・・・・、しっかりとした目的の元に、正しい形での実用ができていないから、です
そして、何が正しいか、というのも実はありません
いかに精度を上げていくかです
自分の感性に従いながらです
そのためには、自分の感性をいかに素直なものにしていくか、それだけです
これが真実を求める作業です
ここまでいくと、もはや、自己啓発や精神世界の本が、本当に単なるヒントでしかない、という感じがしませんか?
お釈迦様の、「法を拠り所とし、自らを拠り所としなさい」、結局これです
お釈迦様は智恵というヒントを授けて、それを頼りに学んで向上しながら生きなさい、というメッセージを残しています
この世や心や自分や宇宙や、そういったことを学ぶためのスタンスは、これです
そう考えて初めて、たくさんの思想や哲学があるということを理解できて、どれが正しいかとかそういったことが無意味であり、言葉を鵜呑みにするだけでは何の解決にもならないということが分かります
いかがでしょうか、読書と知識と実用、この三つを明確に意識分けすることを目的に書いていましたが、いまいちピンと来なかったら、すみません^^;)
読書しているから向上しているとか、自己営発の知識が豊富だから幸せだとか、実践しているから偉いとか、そういったものではないんですね
「真の目的は何ぞや」、最終的にはここに行き着きます
いつもお読みいただき、ありがとうございます