人や物事に対する嫌悪感は自分自身の心の闇 | 最高の瞬間の無限を生きるための世界観への道

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魂の成長を求め、心を浄化し、混沌の世で最高を生きましょう

みなさんこんばんは、本日2回目の、緒川賢治です


思い立ったら即更新、ということで、早速いってみましょう



人や物事に対する嫌悪感は心の闇である



嫌悪感だけではありませんが、何となく嫌な感じがするとか、嫌いだとか、意にそぐわないとか、ムカつくとか、気分が悪い、不愉快な感じです


それが実は、自分自身の心の闇であると・・・



確かに嫌悪感、嫌な気分、生理的に受け付けない、イライラ、不愉快などなどは、まさに、嫌~な感情になっている状態ですが



これは、ある出来事や、物事や、人に対して、時々いろんな場面で遭遇します



でもなんで、それが自分自身の心の闇なの?



鏡の法則とか、外の世界は自分の心を表しているとか、いろいろな教えはありますが、ここでは簡単にいきましょう


周囲への反応が、ネガティブな感情を伴うからです


それは、まさに、自分自身の闇が浮き彫りにされた状態です



人を見て嫌悪感、物事に不快感、出来事に気分を害し、心は悪感情で支配されています


とは言っても、そんなに重く考えることではありませんが



ただ、その深さと暗さは、個人個人違います


嫌な感情があぶりだされるということが、誰しもが持つ心の闇の性質です



何らかの形で反応して表面に出てきます


ただ、それは、普段は表面に現れないだけで、常に持っている、心の闇です



そして、これを無くすこともできます


それが精神修養の目的の一つです


心の闇は、幅広い苦の原因の総括である無明の要素の一つ



多くの執着や無知が作り出す煩悩の世界、その基本が無明です


自分自身が自分自身、他人は他人、世の中はこう、これはこうあるべき、あれはああいったもの、これが正しい、あれは違う、こうなりたい、ああなりたい、あれがほしい、あれは悪い、これは良い、といった、判断基準や価値観や固定観念、全てが無明です


その自分独自の基準に当てはまらない何か、または自分が持っているが認めたくない自分にとって納得のいかない嫌な何か、それを心の闇と定義します


暗いイメージの無明が、暗い心の闇を生み出す、と、何か語呂合わせのようですが、これだと分かりやすいかなと思います


闇の暗さは人それぞれ、その深みによって、治療が必要かもしれませんが、私は精神修養で治療可能だと断言します


実際に無明は暗いというわけではありませんが、心の闇は暗い世界です



それを無くすと、スーッと、そよ風が心の中を吹き抜けていくような、爽やかな気分に包まれます



そして、その時は、どんな人の欠点も、どんな嫌なことも、どんなイライラすることも、快く受け入れるように、明るい気持ちで対応できるようになります



そして、その方法は、このブログを読むことです


なんちゃって~



気を取り直して・・・・


はい、このブログであらゆる方向からのいろんな方法をお話していきたいと思っています



と、ブログテーマで締めくくりましたが、あくまでも自己啓発テーマです




いつもお読みいただき、ありがとうございます









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