みなさんおはようございます、早起きに滅法弱い、緒川賢治です
今日は、目覚ましが聞こえなくて、カミサンに起こされました
さて、本日もいってみましょう
人間的器の大きさというのを考えてみます
許容範囲が広いというのが第一条件ですね
受け入れる、許す、精神的余裕がある、等のイメージがあります
偉業を成し遂げるとか、大物の風格を持つとか、そういった意味合いで言われる場合もありますが
一番よく言われるのは、包容力があるということになりますかね
または、太っ腹とか、細かいことを気にしないとか、そういったところが器の大きな人間の特徴です
さて、器の大きさですが、ここまではよく話される普通の話です
さらに追求していきますと、許容範囲を無限大まで広げていくことになります
そして、全てを包み込むかのごとく包容力を得ることが究極になります
全てを引き受ける
重荷を背負うのではなく、引き受ける
様々な嫌なことや悪い出来事も、そのまま引き受ける
損得勘定による負担無しに、ただの一つ一つの現象として
どんなことでも、自分の生きる目的に比べると小さな事であって、引き受けても大したことはありません
しかしながら、一つ一つの価値はとても大きなものかもしれません
ただ、自分自身がこの世に生を受けて存在している目的や理由、生きる指針からみると、どんなことでも受け入れても引き受けても、自分の一部としては単なる一部でしかありません
簡単に言うと、良い意味での上から目線です
この上から目線で、我が子を見るようにいろんな出来事を見つめてみましょう
もちろん、その出来事一つ一つは、何らかの意味を持つとても尊いものです
ただ、嫌な出来事だろうが悪い出来事だろうが親しみを持って受け入れるということです
さて、これを極めると、損得勘定やこの世の一般常識による小さな包容力が、とても大きな包容力になります
それがすなわち、大きな器ということになります
大きな器、それは仏教や密教で言うと、虚空蔵であり、如来蔵であり、宇宙に遍満する生命と精神の智恵であり、全ての小さなこだわりを捨てた無分別・無戯論であり、長所という宝を持つ一切への灌頂であり、まさに、究極の無限の器です
大は小と比べての大ではなく、絶対的なとか、この上ないの、大です
そして、私たちは、この大なる究極の器を得るためにこの世に生を受け、生きているのです
自己犠牲という言葉は、自分を残した言葉です
自分を残さずにもっと大きな目標を達成するために何が必要か、それを探りながら人生という修行を行って生きていくのが、菩薩の境地です
そして、それを極めると、如来の境地です
最後は仏教・密教で締めくくらせていただきましたが、包容力を身に着けることで、生活において嫌なことがあった時など、精神的に余裕を持つことができます
さあ、大きな器を目指して、日々精進です
いつもお読みいただき、ありがとうございます
人気ブログランキングへ