みなさんおはようございます、隙間時間の筋トレを増やして慢性筋肉痛になりそうな、緒川賢治です
本日からしばらく、「無住処涅槃」についてお話ししますが、「無住処涅槃」って何だろうと思われる方も結構いらっしゃるのではないかと思います
仏教の教えで、修行者にとって大事な在り方であり、もちろん仏教を学ぶ全ての人においても知っていた方が良い思想です
仏教を知識として身に着け、それを行によって実践し、自分のものとしていく、というのが大抵の仏教修行者が行っている学習法なのですが、学べば学ぶほど行ずれば行ずるほど、自分のスキルとして完成していきます
そのスキルの完成とは
自分が学んだ知識と行法によって得た悟り(のようなもの)です
そして、私はこういう僧侶で、こういう修行を積んで、こういう知識と能力を持っていまして、こういうお話が出来ます、という一つの人間像、立派な宗教家・修行者・仏教僧が出来上がります
さらに学んで多くの知識や、行法によって高まる感性を追究したり、または現状に落ち着いて、人々に教えを説いたり、僧侶としてのお寺の仕事をしっかりとこなしたり、といった様々な方向に分かれると思います
仏教を学んで得た知識を人々に教える活動をされている一般の方も多くいらっしゃいます
新しい宗教を立ち上げる方もいらっしゃるでしょう
仏教をある程度学んだ人は、専門家という立場になるので、やはり知識や行法によって感得できたものを文字や言葉や姿として表すことになります
そして、最終的には実社会による生活に活かすための知恵として、心の在り方を説くような形になると思います
また実践修行のお坊さんだったら修法などの行法を見せて信者さんに一緒に参加して体感していただくような形で活動されたりしています
そこで、思うのですが、仏教や寺院や僧侶というのは、社会的に認識されていて、知識としても立場としても活動としてもある程度の地位というか、高いかどうかは別として社会的なポジションがあります
そうなるとですね、本格的に仏教を学ぶことが出来た人は、学を得た者として社会で生活をし、知識を身に着けたスキルとして生かすことができますし、そうやっている方も多いです
しかし、仏教を修行するということの本質は、本格的に言うならば、自分が仏様(お釈迦様のような人)になるということなのです
仏教の教えの根本自体が、仏様(お釈迦様のような人)になるためのものなので、専門知識やスキルといったものとは全くと言っていいほど違います
ここがかなり肝心なところで、自らがそうなるための教えと、自らが身にまとう武器としての教えという、真逆と言えるほどの解釈の違いがあります
まずは、ここまでを一つの基本として、じっくり考えてみてください
ちょっと引っ張りますが、いろんな方向から説明していきたいので、よろしくお願いいたします
無住処涅槃とは、何をどう学んでどのようにこの世にあるべきかについてでありまして、言葉で説明するのはとても難しいですが、あの手この手でお話していきたいと思います
簡単に言うと、住むところのない涅槃ということです
悟りの世界に行かずに世のため人のために頑張るという意味が一般的です
しかし、それをもっと厳密に考えてみると・・・・
次回に続きます
いつもお読みいただき、ありがとうございます
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