マザー・テレサの黒い噂

false accusation


また緊急に差し替えます。

(急遽書いたのでまとまってなくてすみません)



最近、マザー・テレサに関して上記のような動画をいくつか見ました。


どれも内容はほとんど同じですが、それについて書きたいと思います。



(以前にも書きましたが)

自分は、キリスト教やカトリックの信者ではありませんが、三十年ぐらい前、マザー・テレサの生前にインドのカルカッタ(コルカタ)の「死を待つ人々の家」で7ヶ月ほどボランティアをしていました。


※基本的に自分は無神論の反宗教で、むしろカトリックの教義には非常に批判的です。


しかし、マザー・テレサ(やフランチェスコ)の革命的な活動の根源となっているのはカトリックの教義ですので、その点はおおいに評価しています。


マザー・テレサの施設はボランティアや患者さんがどの宗教でも受け入れています。


自分がいたときは、無理に改宗する行為は一度も見たことがありませんでした。


埋葬・火葬もそれぞれの患者さんの宗教に応じてなされていました。


それは、多宗教のインドでのマザー・テレサの活動の重要なポリシーでした。


今は違うのかな?



現在はマザー・テレサが亡くなって26年以上経っているのでもしかしたら体制が変わっているか、シスターの中にたまたまそういう人がいるのかもしれません。




マザー・テレサの施設で聞いた、


様々な国のボランティアたち

シスターたち

利用者さん

シスターから聞いた利用者さんの話


及び自分の経験を思い出しながら以下のことを書きたいと思います。



まず、大前提としてマザー・テレサの施設は《病院》ではありません。


施設では利便性のためpatients(患者)と読んでますが実際には「利用者さん」です。


そしてそこで働いているのはシスターもボランティアも単なる人間です。


なので様々な問題がありましたし、今もあるでしょう。


マザー・テレサの施設はパラダイスではありません。


それは日本の医療機関や介護施設も同じです。


先進国でちゃんと高等教育を受けたはずの我々日本人が《高い志を持って》働いている日本のそれらの施設はパラダイスのようなところなのでしょうか?


問題は皆無なのでしょうか?



動画の中では「医療機関にあずけられれば多くの患者さんは助かった」という同じような批判をしてますが、インドの病院の現実を調べたのでしょうか?


三十年ぐらい前の情報になりますが…


インドでは何にでも「バクシーシ(寄付)」を求められました。


病院でも同じで、入院してもバクシーシがないと医師に診てもらえないなどの問題があり、これは施設にいた(英語のできた)仲の良かった患者さんから聞いた話ですが、


彼は仕事中高所から落下して下半身不随になりました。


そこで一旦は病院に入院しましたが、お金もなく治療もできなかったので病院関係者に病院の敷地の外に捨てられたと言ってました。


そこで瀕死の状態の彼をマザー・テレサの巡回シスターが見つけて施設に運び込みました。


他の人達も病院にいくお金があったら路上でゴミクズのような環境の中から瀕死の状態で運び込まれてはいません


中には火をつけられて全身やけどで運び込まれてくる人


身体に(皮膚に)何百というウジ虫が湧いたり、らい病で手足が腐っている人


筆舌に尽くしがたい状況ばかりで、人への愛情よりも、こんなひどい社会に対して《怒り》が働いていく原動力になっていたかもしれません。


それらの人たちを危険を顧みずシスターやボランティアたちが懸命にお世話をしてます。


※ここでの最大の疑問は、患者さんも懸命な手当で回復していくこともあります。しかしほぼ全ての人がまた辛い路上に戻されて、多くの人が再度瀕死の状態で施設に戻って来てしまいます。


社会復帰のリハビリは行っていませんでした。


果たして、死につつある彼らを助けようとするのは善なのか?


辛い人生を繰り返させるだけではないか?


そんな葛藤を他のボランティアたちと話し合っていました。


結論的には、生死を決めるのは《神》であり、自分たちが決めてはいけない。やれることをやるだけだ。


今でもそれに関しては釈然とした解答はありません。



閑話休題


インドの施設ではもちろん結核、肝炎など感染症の危険はありますが、それは昔ながらのカトリックの自己犠牲の精神でしょうか、教徒にとっては施設は聖地なので気にならないのでしょう。


自分の日本人ボランティア仲間も2人感染症で帰国となりました。


でも、それは自ら望んできた結果で強制されたものではありません。


怖かったら、やらないか、きちんとした知識をつけて働けば良いのです。


世の中にはどんなに自分の身が危険でも他人のために戦う(働く)人もいます。


欧米では彼らを英雄視したりしますが、日本人はそう意味では社会貢献に冷たいですね。


自分も感染の危険や他の一般の人への二次感染を避けるためにできる限りの対策をしてました。


インドの施設では、日本も含めて様々な国の医療関係者も働いていました。


しかし、事前にそれだけの覚悟知識技術を持って来ています。


中途半端な気持ちで生半可に参加するボランティアの多くは一日か短期間ですぐに辞めていきます。



その時、最も危険とされていたHIV(エイズ)の患者はちゃんと他の施設に隔離されてました。


エイズもそうですが、気を付けるのはいいことですが、ちゃんとした知識(医療知識)もなしに怖がるのは偏見や差別にもつながりかねません。


例えば、古くから差別や隔離の対象であった《らい病》は、非常に感染力が弱く長期間の接触でなければ感染しないなど


知識武装をして、技術を持って気をつければ怖くないこともあります



三十年ぐらい前にボランティアをしながら広くマザー・テレサの活動を理解するためにマザー・テレサを批判したヒッチェンズの「The Missionary Position」※をカルカッタで読みました。


※伝道者の立場(地位)、又は「正常位」



その本は「マザー・テレサの黒いつながり」について批判してました。


たしかに悪徳著名人・政治家も含めて多くの人が、良くも悪くもマザー・テレサの名前や地位を利用してきました。(知名度の乱用)


それに対してマザー・テレサが無関心でナイーブであったことは否めませんが、マザー・テレサはあくまで1カトリック修道女であって、政治家でもなければ経営者でもありません。


それにそれは30年以上前の生前の話で、未だにそんな事にこだわっているのか?と感じます。


多くの批判内容は現在ではなくスゴイ過去のものか、マザー・テレサが亡くなってから他のシスターたちの行為であるような気がします。


それを、今の施設の批判として、マザー・テレサに全部責任を負わせるのはどうなのでしょうか?



《聖人》というのも、周りが勝手に付けたレッテルであって、マザー・テレサが求めたものではありません。


もちろん《天使》でもありません。


外部の人の妄想です。

それにシスターたちも聖人ではありませんので、中には酷いシスターもいました。


ボランティアも含めてシスターたちも様々な人間関係のストレスや葛藤を抱えて働いてます。


でも、それが人間社会です。


今も昔もシスターたちはマザー・テレサ本人では絶対にありません。


人身売買の問題にしても、以前から親のいないインドの貧しい子どもたちを引き取り、出来るときは国内外の信者への「養子縁組」が行われてました。


それに対してのドネーション(寄付)という形での金銭のやり取りがあったと思います。


マザー・テレサの死後四半世紀たった現在の施設の方針や状況は知りませんが、これを「人身売買」と呼んでいるのでは?


もちろん世界的な組織として、現代では財政面の透明化は非常に大切だと思います。


ただマザー・テレサは金銭には関与していなかったでしょう。


形骸化して念仏を唱えるだけで高額なお布施を稼いでいる日本の仏教よりも悪質ではない気がします。(個人的な偏見です)


少なくとも清貧を貫き、自らを危険な状況において、自分の手を汚して人を助けようとしているのはどちらでしょう?



たびたび言いますが、マザー・テレサの施設はパラダイスではありません。


期待している天使も聖人もいません。



あらゆることを批判したり揶揄することは簡単です。



しかし言えるのは、


マザー・テレサ本人や施設を勝手に《神聖化》しているのは、これらの批判している人達ではないでしょうか?



残念ながら、人間社会は神聖なものでも、パラダイスでもありません。


だから戦う意義があります。



どこの国でも興味本位の黒い噂やゴシップが好きですね。

特に自分では何もしない(できない)行動力のない人が好む話題です。



動画を見て自分なりの《真実》を本当に確かめたい人はコルカタの施設で半年ほど働いてみてはいかがでしょうか?


英語か現地語が出来るのが条件ですが、それぐらい働いていると施設の本当の問題や人間関係がようやく見えてきます。


ただし、一ヶ月で10キロ痩せるぐらいの過酷な環境であることを考慮して自己責任で参加してくださいね。


前出の「Missionary Position」でマザー・テレサとその施設を批判したヒッチェンズもそうですが、マザー・テレサを批判することで多額の収入を得ていますね。


批判は誰のため?


マザー・テレサから利用されている貧しい人たち?


それとも私腹を肥やすため?



そのお金を全て貧しい人に寄付するなどしなければ、人身売買や多額の寄付をもらっていると批判しているマザー・テレサの教団と同じです。



マザー・テレサの批判的なネタで100万回以上の多大な再生回数を稼いでいるユーチューバーの人も再考ください




批判精神はとっても大切です。

それは、批判的な意見をも批判的で公平な視点で考えることも含みます。


できるなら、批判のための批判、論破のための論破ではなく、より良い社会にするための批判をして下さい。



誰のための批判で、その批判は何に導いているか?



そこに正義感や理念はあるのか?


もう一度、考えてみてください。


ボランティアや慈善活動というものは決して綺麗事ではありませんが、実際に関わると、最終的に自分が救われたと感じさせてくれます。




できるだけ客観的で公平に書きましたが、至らないところがあったらすみません。


長くなりましたが、これでも言いたいことの半分以下です。




最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。