先ずは先日飛び込んできたこのニュース
 


アマゾンプライムが月100円、年1000円値上げ予定😱

急遽、昨日年会員に変更しました❗





いよいよお盆に突入ということで…

皆さんはお盆休みをいかがお過ごしでしょうか?


テレビでは、敗戦(終戦)78年の記念番組をやってますね。
どれも反戦・反核兵器などで良いことなのですが、日本ははたして「一方的な被害者」だったのでしょうか?







いきなり❗


パキスタン(ガンダーラ)で見た「断食するブッダ(シッダールタ)



ここからはあくまでも個人的な意見です。
(いつもですが😅)




少し前に亡くなった妻の父の法要で、「施餓鬼」なるものをやるそうです。



自分は全く信仰心がないし、その他の理由から、(日本の慣習である)葬式や49日や盆など、冠婚葬祭には一切参加しません。





まぁ、参加しないから好きにやってもらっていいのだけど…



施餓鬼法要」「施餓鬼供養」について、一言



死後の餓鬼などはどうでもいいと思います。
(そんなものないから…)


このようなこと「神の存在など」は、「いる、いない」が議論の論点にはなりません。できるのは、「信じるか、信じないか」、その問いだけです。

むろん仏教の「六道」についても同じで、「在ることが証明できないと同じく、無いという証明もできません」

ただし、「六道輪廻」の概念は昔から人々の戒め布教のために役立ってきたと思います。




仏教はそもそも、《すべての人》を現世の苦しみから救いに導くものであり、それ以外の形而上学的な思想などはどうでもよいという考えだと思います


問題は、今の日本には周りに「餓鬼」のような人がウヨウヨいることです。

餓鬼とは


個人的な考えですが、「施餓鬼」でもし本当に「」をつみたいなら、簡単です。


オニギリを10個ぐらい持って、ホームレスの多い新宿の西口や山谷、隅田川に行けばいい。


ホームレスが「餓鬼」であるとは言いません。


でも、お金で解決するのではなく、彼らに少しでも直接施しを与えることが本当の「」を積む行為ではないでょうか?


まぁ、人それぞれですけど…



アメリカ、インド、タイなどで、主にクリスチャンや仏教徒が恵まれない人のために「炊き出し」を定期的に行っている光景を見ました。



では、日本の仏教は?


例外もあるでしょうが、ただ坊主が私腹を肥やすだけで、慣習としてやっている意味のないことだと感じます。



多くの日本の坊さん餓鬼の違いがわからなくなるときがあります。



『And I can't tell the difference between ABC News, Hill Street Blues
And a preacher on the Old Time Gospel Hour
Stealing money from the sick and the old
Well, the God I believe in isn't short of cash, mister


意訳

『違いがわからない。ABCニュース、ヒルストリート・ブルース、そして昔からのゴスペル番組での説教者(伝道者)。病人や老人から金を奪い取っている。

俺の信じている神(仏)は金に困っちゃいないよ、ミスター


"Bullet the blue sky" by BONO, U2





では、金に困って、庶民、病人、老人、死人から金をむしり取っているのは誰のため?




稀に念仏を唱えるだけではない、自ら直接恵まれていない人や苦しんでいる人を助ける《まともな坊さん》もいるかもしれません



あくまでも参加しないので関係ありませんが、こういう日本の慣習としての仏教にはかなり腹が立ちます。

(激しい嫌悪感)



本当の信仰心などないのに…



自分の手を汚さないで、しかも普段周りの人や他人に冷たい対応をしているのに、念仏を唱えるだけで「徳を積む」なんてありえません!



施餓鬼で「徳を積む」なら坊主に頼らず、おにぎりゆで卵などを持って、ホームレスの人たちを訪れてみてください。



これはあくまで個人的な見解です❗


でも、もし仏教の行事を行う(参加する)なら慣習にとらわれず、ちゃんと意味(本質)を理解して(勉強して)から行ってみてはいかがでしょうか?


最近問題になっている新興宗教(統一教会やエホバの証人など)の二世問題

これらは到底まともな宗教とは呼べません❗

でも、ちょっと違った観点から見た場合、一般的な日本人の宗教観はどうなのでしょうか?

親族や昔からの慣習(同調圧力)だから無意識にやっている(やらされている)という人がほとんどではないでょうか?

一度でも仏教の経典などを読んで、ちゃんと勉強したことはありますか?

でなければ、新興宗教の二世とどう違うのか?



If You Meet the Buddha On the Road, Kill Him


もし「道」で仏(ブッダ)に会えば殺しなさい

かなり挑発的な言葉ですが…

「道」とは、「悟りへの道」であり、その途中で「本に何が書いてあった」「ブッダや坊さん、他人がなんと言った」などに惑わされず、自ら考えて道を探しなさい

というような深い意味の言葉だと思います。


自分は、無神論者で、反仏教、反キリスト教、反宗教ですが、それと同時に、仏教徒、キリスト教徒、(くだらん新興宗教を除いて)全宗教の教徒でもあります。


ということで、神社仏閣・教会を訪れるのは大好きです。

特に高野山



心が落ち着き穏やかな気持ちになります


そして、釈迦が悟りを開いたブッダガヤー(インド)


余談ですが…

ここで人生で最も美しい女性を見ました❗

各国から多くのお坊さんがここを訪れて、この塔や菩提樹の前でお経をあげてます。

その光景にも感銘を受けましたが、周りを歩いていたとき、その中心部からちょっと離れた木陰に独り座って、手を合わせて静かに拝んでいる日本のさんがいました。

はるばる日本からこの地に来て、あえてその場所で静かにお経を唱えている謙虚な姿に心を奪われました。

この光景は今でもはっきりと心に残ってます。

美しかった…


※「VANITY」を美しいと思うことは絶対にありません❗




閑話休題

あと、禅を経験したり、イタリアのアッシジにも行ってみたい


ただし、拝んだり、祈ったりはしませんが…




以前は(結婚する前は)真剣に「仏門」に入って出家しようと考えてた時もありました。

でも、(幸いにも?)日本には自分の入信したい寺がなかった。


マザー・テレサの「清貧」を大切にする修道会や、フランチェスコ修道会のように、念仏を唱えたり宗教行事に明け暮れるのではなく、実際に恵まれていない人々や苦しんでいる人々を直接援助するような寺があったら出家していたかもしれません。




カルカッタでボランティアをしている時に、一度マザー・テレサの修道会に誘われたことがありますが、根本的に「神(人格神)」を全く信じていない無神論者なので致命的です❗

でも、感覚的には(宇宙における)「神」(アートマン?or 自然の法則?)のような存在は信じているかもしれません。


これはヒマラヤで2ヶ月ぐらいトレッキングをして、標高5,500メートルからエベレストを見たときに感じた宇宙との一体感に似てるかもしれません。言葉では絶対に伝えられない体験です。
(クライマーズ・ハイ?状態かも)
今でも稀に同じ感覚になることも…



一見矛盾だらけですが、自分の中では葛藤・混乱はありません。




個人的な愚痴や意見を書いてすみませんでした。








お盆にあわせて見たい


リトル・ブッダ




好き嫌いは別れるみたいですが、インドチベット的な仏教思想(輪廻転生)のイントロダクションとしては良い映画だと思います。



キアヌ・リーブス主演


音楽、坂本龍一


監督、ベルナルド・ベルトルッチ

「ラストエンペラー」の監督



インドやネパール、チベットで放浪するまで、「輪廻転生」など全く信じませんでしたが、彼らの真摯な信仰心や生活、自然の中で循環する生と死などを見るうちに、オカルト的でない「輪廻転生」の思想を少し(感覚的に)理解できるようになったのかもしれません。


直接の「生まれ変わり」(reincarnation)を信じるという意味ではありません。



パシュパティナート(カトマンズ、ネパール)での火葬の様子

人が目の前で焼かれ、遺灰は故人の所有物とともに川に流されます

(画像はお借りしました)


自分もこのように衆人環視の中で火葬されたい

(自分の葬儀には参加しませんので…)


日本では無理ですね…





「輪廻転生」の思想にかかわらず、一度インドのダラムサラで拝見したダライ・ラマ14世さんは偉大な人です



シャンティPEACE









【冷凍食品】

なかなか美味しかった

ビーフガーリックピラフ





ご馳走様でした

感謝😄😄😄




最後までお付き合いいただき、ありがとうございました


🙏🙏🙏