あることをきっかけにインドのカルカッタ(コルカタ)にあるマザー・テレサの施設でボランティアをしていました。
そこで、らい病(ハンセン病)患者さんともかかわらせてもらう機会をいただきました。
ある時、他のボランティアなどとカルカッタ郊外にあるライ病患者さんたちの専門の施設を訪れることになりました。
前日、あるボランティアと話をしていて、その人がらい病患者さんとかかわることに抵抗があると聞き、自分は知識から、らい病はそう簡単には感染しないもので安全だから心配することはないと話をしました。
そして、そういう不安があるからこそ正しい知識をもって偏見を無くさなくてはいけないなどとも話をしました。
そして、その施設を訪れた当日
施設やインドを旅する中で、多少らい病患者さんの容姿などを見てきたこともあり、外見的に症状のでている人たちと接するとこにはまったく抵抗はありませんでした。
外見的症状とは、手足の末端や鼻、ホホなどがただれていて、ひどいときにはその部位が欠落してしまっている人も多くいました。
そして、その施設の中をいろいろ案内してもらい、お昼ぐらいにそこにいるらい病の子供たちと接する機会がありました。
その子供たちも大人の患者さんと同じく鼻やホホなどにただれがありましたが、特に気にせずに接してました。
しばらく子供たちと遊んでいた時でした。
子供たちも慣れてきて、2~3人の子供たちが無邪気に自分に飛びついてきました。その子供たちも顔などにらい病特有の症状が出ていて、その時、一種の『感染の恐怖』を感じてしまいました。
もちろん、子供たちに接する態度を変えたり、表情に出すことはありませんでしたが、『らい病が簡単な接触などでは感染しない』と偉そうに吹聴していた”正しい知識”が吹き飛びました。
どんな知識があっても、自分にとっての彼らを受け入れる限界を感じてしまい、知識と感情のあいだの葛藤を痛感しました。
これは、自分にとって大変貴重な体験でした。
どんな知識があって偏見を持っていないと思っても、実際直接かかわってみると感情という限界があるということです。
また、違うシチュエーションでは、逆の場合もありました。予備知識がなかったため、感情的に受け入れることが簡単なこともありました。
インドでボランティアを8か月ぐらいしていて、大変多くのことを学ばせてもらいました。
読んでいただいて、ありがとうございました。