20090105 日本経済新聞 朝刊

 築四十年の民家のテーブルに並ぶのは、タマネギとゴボウとアラメの玄米チャーハン、青菜とサトイモのみそ汁、カブの自家製みそこうじ漬け――。昨年五月、東京都内から福島市郊外に引っ越した長野絹加さん(33)の夕食のメニューだ。
 「誰が作ったのかわからないものはもう食べない。毎日大変だけど自給自足の生活を選んでよかった」
 東京では忙しさから“コンビニ食”で済ませることもあったが「体調が悪くなった」。食に不安を感じていた中、長女、ののかちゃん(7カ月)を妊娠し「こんな環境で育てられない」と福島行きを決断した。
 無農薬の野菜を虫に食べ尽くされるなど失敗も多かった。勤め先は育児休暇中で、貯金を取り崩す生活。それでも「毎日とても満ち足りている」と笑う。「休暇が明けても東京には戻りたくない」
 明治大農学部の田畑保教授は「食の不安が生産者と食卓の距離を縮めた」と指摘。その証しの一つが「農産物直売所の活況」だという。食の安全・安心支援機構(東京都町田市)によると、全国の直売所の売り上げは「毎年二ケタの伸び」(近藤穣理事長)といい、繁盛している直売所は、半径二十五キロの広範囲から人を集める。
 「野菜はもうスーパーでは買わない」。道の駅しょうなん(千葉県柏市)の直売所で、週末に約四千円分の野菜を買いだめしていた葛飾区の主婦、野中里枝さん(55)は明言する。鮮度に加えて生産者の名前を表示する安心感が決め手と、都内から片道約五十分かけて車を走らせる。
 不安を燃料に自衛を急ぐ食卓。だが急激な不況がこれにブレーキをかけかねない場面も目立ち始めた。
 中国産食材などを低価格で販売し、一般客の利用も多い「業務スーパー」。全国に約四百八十店を持つ神戸物産の担当者は「ギョーザ中毒事件の直後は売り上げが二割落ちた店もあったが、夏以降は前年を上回る好調」と低価格品への追い風を強調する。
 安心・安全と価格のバランスをどう取るか。この古くて新しいテーマに、東京都墨田区の〓島(はいじま)摩美さん(38)は「知恵と工夫で乗り切るしかない」と言い切る。
 昨年十一月、勤め先から契約の打ち切りを通告された。夫の給料も下がり、夫婦二人分の食費を月六万円から二万円に減らす決断をした。食卓から夫の好きな肉が消え、代わりに増えたのが日持ちのいいヒジキや高野豆腐などの乾物類。「夫は不満かもしれないが、日本人本来の食生活に近付き健康面でもプラスになっている」と感じる。
 「安くて安心」という理想につまずいた食卓を守るには何かを犠牲にする覚悟が必要かもしれない。
 内閣府が全国の成人男女三千人に昨年十月実施した調査によると、最も関心がある消費者問題(複数回答可)として八八%が「食品の安全性」と回答。七〇%が「偽装表示など偽りの情報」を挙げ、三位以下の「悪質商法」や「製品事故」を引き離した。
 一方、食卓を取り巻く情勢は急速に悪化。一世帯(二人以上)の食費は昨年三―十月、前年割れが続いた(総務省家計調査)。安心・安全を求めながらも食費を切り詰めざるをえない台所事情が透けて見える。


-----------------------------------------------