20081026 日本経済新聞 朝刊

 公的医療保険の対象外で家計の負担が重くなる、入院時の「差額ベッド代」。患者が個室などを希望した場合に請求されるのが基本だが、支払う必要があるのか、料金の根拠は何かなど、患者から見たときに「謎」が多い。差額ベッドを使うことを迫られたときは、まずは病院側に疑問をぶつけてみよう。
 静岡県に住む田村加代さん(仮名、58)は、二〇〇七年秋に夫(当時71歳)が病院で亡くなった時のことを思い出すと、今も割り切れない思いを抱く。
5時間で2日分
 末期がんと診断されていた夫の容体が急変、救急車で運ばれた。午後八時半ごろに入院し、日付が変わってまもなく亡くなった。もう手の施しようがない状態で、入院時間は五時間足らず。「親族を呼んだりするでしょうから」と個室を強く勧めたのは医師だった。まさか最期の別れになるとは考えもしなかった田村さんは気が動転し、個室の利用に同意した。
 救急車で運ばれ、たった五時間で別れの時が来てしまったのに、二日分の差額ベッド代を請求された。一日八千円の金額はともかく、こんな状況でも必要だったのか。病院の対応に冷たさを感じる苦い疑問は消えない。
 差額ベッド代は、ゆったりした空間や特別な設備がある部屋での治療を患者が希望するときに支払う費用。厚生労働省は、請求の条件として「患者の自由な選択と同意」が必要であることを、病院などに向けた通知で示している。一日分は午前零時からの二十四時間で、日付をまたぐ入院では二日分かかる。
 日本経済新聞の読者(約二千百人)を対象にした調査では、差額ベッド代を請求された経験がある人は三二%(グラフA)。厚労省の調べでは、〇四年七月時点で差額ベッド代がかかる病床数は全体の三二%だった。入院患者のおよそ三人に一人が差額ベッド代の問題に直面する。
 快適な環境で治療を受けたいと希望する人は多い。読者調査でも「差額ベッド代を払ってでも個室に入りたかった。居心地がよかったので満足」(熊本県の女性、29)との回答が目立つ。「希望した部屋に入るのだから負担は仕方ない」(東京都の男性、39)というのが患者の考え方だ。
 だが実際は希望しなくても、差額ベッド代が必要な部屋に入ることも少なくない。差額ベッド代を請求された人のうち「本人や家族の希望」は最も多いものの三八%にとどまる。次いで「差額ベッド代がかかる部屋しか空いていないと言われた」(二七%)、「治療のため病院から勧められた」(一五%)が上位を占めた(グラフB)。
通知7割知らず
 厚労省の通知では(1)患者の同意を書面で確認していない(2)救急患者など「治療上の必要」で個室などに入院させる(3)患者の選択でなく病棟の管理上の都合で個室などに入院させる――という三つの場合は差額ベッド代を請求できないと明記している。それなのに「治療のため」でも、「空きベッドがほかにない」という理由でも、請求されるのが実態だ。こうした状況が謎を呼ぶもとになっている。
 通知を知る人はわずか二割(グラフC)。知っていても「差額ベッド代に意見して病院の対応が悪くなるのは避けたい」(神奈川県の女性、40)と思うのが患者の心情だ。「差額ベッドしか空いていない場合は支払うという文言が誓約書にあり、署名しないと入院できなかった」(東京都の女性、45)との声もある。
 厚労省は「明確に説明した上で署名をもらわないと請求できない」とするが、現場では患者がきちんと説明を受けて理解したのかあいまいになりがち。署名が同意の証拠となるので、ささえあい医療人権センターCOML(コムル、大阪市)の山口育子さんは「同意書は契約書と同じ。疑問があれば『家族に相談が必要』などの理由でもいいので提出を保留し、署名の前に確認して」と助言する。
 支払いの必要性を確認しただけで免除された人もいる。千葉県に住む原奈美さん(仮名、29)は、父親(65)が大腸の検査と手術で入院した際「一日二万円の個室しか空いていない」と言われた。だが「患者が希望しておらず、個室しか選べない場合は払わなくていいはず」と病院の事務長に確認したところ、差額ベッド代はとられなかった。
 東京都では「都立病院に差額ベッド代がかかる個室はあるが、払わない患者が約四割」と説明する。救急車で運ばれた場合などは請求しないためだ。日本医師会の藤原淳常任理事は「患者の希望が原則で、病院が差額ベッドを押しつけてはいけない。また差額ベッド代を払えない人の治療は拒否できない」と指摘する。
 ファイナンシャルプランナーの内藤真弓さんは「差額ベッド代は高額療養費制度の対象にもならず負担が重い。でも支払いが必要かどうかの基準を知っているだけで払わずに済む可能性は大きい」と指摘する。

------------------------------------------------