20081001 日本経済新聞 夕刊
認知症高齢者をよく理解して的確な介護ができる新しいケア手法が広がってきた。施設入居者向けに始まったが、在宅の要介護者を抱える家族も積極的に使い出した。アルツハイマー病など原因が分からないため、対応が難しい認知症ケアに光が差し込んできたようだ。
このケア手法は「認知症の人のためのケアマネジメント・センター方式」。介護保険施行の翌二〇〇一年に厚生労働省が設立した認知症介護研究・研修東京センター(東京)が〇四年に開発し、普及させてきた。
認知症を患う本人の一日の生活行動をはじめ、なじんできた習慣や好み、支援者の一覧、家族関係、生い立ちなどをケアマネジャーなどが調べて複数のシートに記入することから始まる。その情報をすべての介護関係者が共有し、ケアサービスの見直しに役立てる。
手描きイラスト
千葉県船橋市の西村文雄さん(67)は、近くに住む娘の野島朋子さん(42)と一緒に七月、センター方式のシートに妻の雅子さん(67)の情報を書きこんだ。雅子さんは四年前にアルツハイマー病と診断され、現在はデイサービス(通所介護)に週六日朝から夕方まで通っている。
朋子さんは「元気だったころの母の様子は、仕事で忙しかった父より私の方がよく知っているので二人で話し合いながら記入した」。子どもや人形が好きなことを思い出して、早速、ぬいぐるみの人形を母に持たせるようにしたという。
本人の全身像をイラストで描いたシートには「一人でいるのは寂しい」「きれいなものやかわいいものを見たり触っていたい」「延命治療は望まない」などと、以前聞いていた雅子さんの気持ちも書き添えた。
「支援マップ」という別のシートには、自宅を拠点に二つのデイサービス事業所やケアマネジャー、診療所、朋子さん宅などを図にして、その行き来を一目で分かるように描く。
文雄さんは、これら八枚のシートをデイサービスやショートステイ(短期宿泊)の介護事業所に渡していく。「介護者に妻の生い立ちなどを話す機会は少ないので、この方が効果がありそう。何よりも良いサービスを受けられるのが目的ですから」と期待している。
文雄さんは、認知症の人と家族の会千葉県支部の会員で、同支部が東京センターから講師を呼んだ学習会に参加したのがきっかけで記入を始めた。
神奈川県鎌倉市のデイサービス「ケアセンターりんどう」の稲田秀樹センター長は「対応が難しい高齢者の介護方法をセンター方式で改善できた」と利用効果を話す。
妻を殴った理由
利用者でピック病を患う岩壁貞良さん(67)が、入浴など介護をされることを嫌がっていた。妻の文子さん(67)は自宅で、拒否反応が高じて再三殴られた。
だが「本人の前からでなく後ろから声をかけ、介助するといい」とスタッフがシートに書き込んだのをヒントに背中を軽く押して入浴を促し、シャワーも後ろから使いだした。すると貞良さんの抵抗は止まった。情報を全スタッフが共有化した結果であった。稲田さんは「前から近づくと恐怖心が起きてしまうのかもしれない」と振り返る。
貞良さんの側に立って介護法を見直したのである。認知症ケアで最も大切なのは、当事者本位で考えること。環境を変えないで、本人のなじんだ暮らし方に近づくようなケアを目指す。
シートの中の支援マップから適切なケアに結びついたのは、東京都品川区で一人暮らしのAさん(79)の場合だ(図参照)。品川区台場在宅介護支援センターでは、親族の家やスーパーと並んで銭湯がAさんの行きつけの好きな所だと分かったが、最近行かなくなっていたことに気づいた。
「毎日通っているよ」と認知症が進んだAさんは話すが、半年間入浴していなかった。「デイサービスの入浴を試しては」と声をかけると、半年後には週五日通うようになった。「できなくなったことよりも、関心のあることに着目してケアにつなげるのがセンター方式のいいところ」と担当した所長の谷川智宏さん。
センター方式の各シートはホームページ「いつどこネット」(http://itsu-doko.net)から無料でダウンロードできる。これまでは主に特別養護老人ホームなど施設入居者に使われてきたが、各種のサービスを利用し、複数のスタッフが関係する在宅の要介護者とその家族にこそ使われるべきだろう。(編集委員 浅川澄一)
高齢者ケアの先進地、北欧では本人の生活歴把握が認知症介護の共通認識だ。仕事、結婚、育児など人生の節目での楽しかったことや苦しかった出来事をたどる。認知症の人が「どのようなことに強い思いを抱き、どんな暮らしをしたいか」を理解することで認知症ケアが成り立つからだ。本人本位や生活の継続、残存能力の活用という北欧で確立した高齢者ケアの原則を実践しており、センター方式はこの考え方を踏まえた手法だ。
ケア手法の改革にとどめずに「施設入居への歯止めに活用しよう」と意気込む自治体も現れた。石川県加賀市である。
「適切なケアが施されれば在宅生活が長続きするはず」と、老人保健施設など施設建設をストップ。代わって、小規模多機能型居宅介護など在宅サービスの拡大に乗り出した。センター方式導入役の地域推進員を四年間で二十五人任命。市内のケアマネジャーなどに利用法の説明にあたらせている。
ご意見、情報をお寄せください。〒100-8065(住所不要)日本経済新聞生活情報部、FAX03-5255-2682、電子メールseikatsu@nex.nikkei.co.jp
【図・写真】本人の気持ちなどが記入された岩壁貞良さんのシートを見ながらのケア検討会(神奈川県鎌倉市のケアセンターりんどう)
認知症高齢者をよく理解して的確な介護ができる新しいケア手法が広がってきた。施設入居者向けに始まったが、在宅の要介護者を抱える家族も積極的に使い出した。アルツハイマー病など原因が分からないため、対応が難しい認知症ケアに光が差し込んできたようだ。
このケア手法は「認知症の人のためのケアマネジメント・センター方式」。介護保険施行の翌二〇〇一年に厚生労働省が設立した認知症介護研究・研修東京センター(東京)が〇四年に開発し、普及させてきた。
認知症を患う本人の一日の生活行動をはじめ、なじんできた習慣や好み、支援者の一覧、家族関係、生い立ちなどをケアマネジャーなどが調べて複数のシートに記入することから始まる。その情報をすべての介護関係者が共有し、ケアサービスの見直しに役立てる。
手描きイラスト
千葉県船橋市の西村文雄さん(67)は、近くに住む娘の野島朋子さん(42)と一緒に七月、センター方式のシートに妻の雅子さん(67)の情報を書きこんだ。雅子さんは四年前にアルツハイマー病と診断され、現在はデイサービス(通所介護)に週六日朝から夕方まで通っている。
朋子さんは「元気だったころの母の様子は、仕事で忙しかった父より私の方がよく知っているので二人で話し合いながら記入した」。子どもや人形が好きなことを思い出して、早速、ぬいぐるみの人形を母に持たせるようにしたという。
本人の全身像をイラストで描いたシートには「一人でいるのは寂しい」「きれいなものやかわいいものを見たり触っていたい」「延命治療は望まない」などと、以前聞いていた雅子さんの気持ちも書き添えた。
「支援マップ」という別のシートには、自宅を拠点に二つのデイサービス事業所やケアマネジャー、診療所、朋子さん宅などを図にして、その行き来を一目で分かるように描く。
文雄さんは、これら八枚のシートをデイサービスやショートステイ(短期宿泊)の介護事業所に渡していく。「介護者に妻の生い立ちなどを話す機会は少ないので、この方が効果がありそう。何よりも良いサービスを受けられるのが目的ですから」と期待している。
文雄さんは、認知症の人と家族の会千葉県支部の会員で、同支部が東京センターから講師を呼んだ学習会に参加したのがきっかけで記入を始めた。
神奈川県鎌倉市のデイサービス「ケアセンターりんどう」の稲田秀樹センター長は「対応が難しい高齢者の介護方法をセンター方式で改善できた」と利用効果を話す。
妻を殴った理由
利用者でピック病を患う岩壁貞良さん(67)が、入浴など介護をされることを嫌がっていた。妻の文子さん(67)は自宅で、拒否反応が高じて再三殴られた。
だが「本人の前からでなく後ろから声をかけ、介助するといい」とスタッフがシートに書き込んだのをヒントに背中を軽く押して入浴を促し、シャワーも後ろから使いだした。すると貞良さんの抵抗は止まった。情報を全スタッフが共有化した結果であった。稲田さんは「前から近づくと恐怖心が起きてしまうのかもしれない」と振り返る。
貞良さんの側に立って介護法を見直したのである。認知症ケアで最も大切なのは、当事者本位で考えること。環境を変えないで、本人のなじんだ暮らし方に近づくようなケアを目指す。
シートの中の支援マップから適切なケアに結びついたのは、東京都品川区で一人暮らしのAさん(79)の場合だ(図参照)。品川区台場在宅介護支援センターでは、親族の家やスーパーと並んで銭湯がAさんの行きつけの好きな所だと分かったが、最近行かなくなっていたことに気づいた。
「毎日通っているよ」と認知症が進んだAさんは話すが、半年間入浴していなかった。「デイサービスの入浴を試しては」と声をかけると、半年後には週五日通うようになった。「できなくなったことよりも、関心のあることに着目してケアにつなげるのがセンター方式のいいところ」と担当した所長の谷川智宏さん。
センター方式の各シートはホームページ「いつどこネット」(http://itsu-doko.net)から無料でダウンロードできる。これまでは主に特別養護老人ホームなど施設入居者に使われてきたが、各種のサービスを利用し、複数のスタッフが関係する在宅の要介護者とその家族にこそ使われるべきだろう。(編集委員 浅川澄一)
高齢者ケアの先進地、北欧では本人の生活歴把握が認知症介護の共通認識だ。仕事、結婚、育児など人生の節目での楽しかったことや苦しかった出来事をたどる。認知症の人が「どのようなことに強い思いを抱き、どんな暮らしをしたいか」を理解することで認知症ケアが成り立つからだ。本人本位や生活の継続、残存能力の活用という北欧で確立した高齢者ケアの原則を実践しており、センター方式はこの考え方を踏まえた手法だ。
ケア手法の改革にとどめずに「施設入居への歯止めに活用しよう」と意気込む自治体も現れた。石川県加賀市である。
「適切なケアが施されれば在宅生活が長続きするはず」と、老人保健施設など施設建設をストップ。代わって、小規模多機能型居宅介護など在宅サービスの拡大に乗り出した。センター方式導入役の地域推進員を四年間で二十五人任命。市内のケアマネジャーなどに利用法の説明にあたらせている。
ご意見、情報をお寄せください。〒100-8065(住所不要)日本経済新聞生活情報部、FAX03-5255-2682、電子メールseikatsu@nex.nikkei.co.jp
【図・写真】本人の気持ちなどが記入された岩壁貞良さんのシートを見ながらのケア検討会(神奈川県鎌倉市のケアセンターりんどう)
------------------------------------------------