20080921 日本経済新聞 朝刊
会社員やその家族など全国で約三千万人が加入する健康保険組合が財政悪化で揺れている。西濃運輸の健保組合など解散に踏み切る例も目立ち始めた。高齢者の医療費を賄うための負担金増が大きな原因。組合の財政悪化や解散は、加入者にどのような影響を及ぼすのだろうか。
▽一つの病気で医療機関の窓口で払う負担額が一カ月三万円を超えると、超過分が戻ってくる一部負担還元金制度
▽法定額より上乗せして支給する出産育児一時金
▽人間ドックの利用補助
▽契約保養所の利用補助
持ち帰りすし大手の京樽は九月一日付で健康保険組合を解散した。これで加入者は組合で実施していたこれら独自事業の恩恵を受けられなくなった。「心強い仕組みだっただけに残念」と組合の元常務理事、成田昌明さんは話す。代わりに会社で支給していた出産祝い金を増額したり、会社として人間ドックの補助などを検討しているという。
民間企業の勤め人やその家族が加入する公的医療保険制度は原則として「健康保険」。企業が健康保険組合を設立している場合、従業員らはそこに加入。組合がない場合は政府が運営する政府管掌健康保険(政管健保)に入る。
政管健保と同じに
勤め先の健保組合が解散した場合にはその加入者は政管健保に移ることになる。健保組合も政管健保も、現役世代ならば医者にかかったときに医療費の三割を患者が負担するといった基本的な仕組みは同じ。ただ健保組合はそれぞれが加入者向けに独自の給付や事業を実施していることが多い。保険料も一定範囲内で自由に決められる。会社員が政管健保に移った場合、このような各組合独自の利点を享受できなくなることが、大きな影響といえる。
京樽の場合、解散時の保険料は従業員の月収やボーナスの八・二%(これを労使で折半)で、政管健保と同じ。負担面での影響はなかった。
四月に健保組合を解散した神東塗料(兵庫県尼崎市)はこれまでに財政悪化に伴い独自事業を次々と廃止しており、解散時点では給付面で政管健保と同じ内容になっていた。このような例もあるが、健保組合の破綻が続けば、会社員の福利厚生は低下しそうだ。
健保組合解散の背景にあるのは高齢者が使う医療費を賄うための分担金。四月に七十五歳以上の国民が加入する「後期高齢者医療制度」が始まったが、このために各健保組合などが負担する支援金が財政を圧迫している。
六十五―七十四歳の「前期高齢者」が使う医療費を各公的医療保険制度が分担する仕組みも四月から始まった。七十五歳以上の医療費については新制度以前にも「老人保健制度」と呼ぶ分担の仕組みがあったが、「前期」はまさに新たな取り組み。この影響が予想以上に大きかった。
京樽では「前期」の負担が巨額になり、高齢者関係の分担金が前年度に比べ二億円以上増加。これを賄うには保険料率を法定上限よりも引き上げる必要があり、やむなく解散した。
保険料率引き上げ
健康保険組合連合会が全国の健保組合の二〇〇八年度予算を集計したところ、高齢者医療のための支出額は全保険料収入の四六・五%も占める。この結果、組合の約九割が赤字になるという。
解散にまでは至らないものの、財政悪化の影響が大きく出る組合もある。
「保険料の上げ幅が時給分を超えている」。この春、派遣社員が加入する人材派遣健康保険組合(東京・文京)にこんな問い合わせが相次いだ。四月から保険料率を従来の六・一%から七・六%(労使折半)に引き上げたためだ。増加率にすると約二五%。月収が二十三万円強の平均的な加入者の場合、保険料月額は千八百円増の九千百二十円。一時間分の給料を上回るような額が増えた計算だ。
同組合の場合は後期高齢者医療制度のための負担が急増した。新制度では老人保健制度から負担金の計算式が変わり、財政力などは考慮せず、加入者数に応じて負担する方式となった。同組合は加入者が五十万人超の大組織のため、負担が以前の四倍近くに跳ね上がる見込み。「今後も支援金は増え、保険料率を上げないと収支が合わないだろう」(業務部長の渡部尚典さん)という。
同組合は「派遣社員が正社員と同じ保障を受けられる」ことを目指し、人材派遣会社が集まり〇二年に設立。派遣期間の谷間で働いていないときが短期ならば、派遣社員が健康保険に継続して加入しやすい環境を整備してきた。あまり保険料負担が重くなり存続が危ぶまれるようでは、派遣社員の待遇低下につながる可能性もある。
高齢者の医療費のために健保組合の財政が圧迫される構図はかねて問題だった。状況を改善しようと、四月から後期高齢者(七十五歳以上)医療制度が始まった。ただ同時に前期高齢者(六十五―七十四歳)の医療費についても、相対的に余裕があるとされる健保組合などが支援する側に回る仕組みができた。なかなか財政は上向かない。
健保組合は財政が悪化すれば従業員と企業で負担している保険料を引き上げる。このため、健康保険組合連合会は「健保組合にばかり負担を押しつけず、高齢者医療費の財源にもっと公費(税金)を投入すべきだ」と主張する。とはいえ政府も財政難。増税で対応となれば、形を変えて国民の負担増になる。
十月から政管健保の運営者が、社会保険庁から新設の公法人である全国健康保険協会に変わる。効率化を競わせるため、来年度以降は都道府県ごとに政管健保の保険料率が異なる例が出てきそうだ。地域の政管健保の新保険料率と比べて、それを超える負担になるなら解散し、政管健保に移る健保組合が急増する可能性もある。
しかし政管健保も高齢者の医療費を支えており保険料は上昇基調。また政管健保には一定比率で公費も投入されているので、加入者が増えれば公費必要額も増える。いずれにしても何らかの負担増は避けられそうにないが、健保組合などが独自に創意工夫できる余地は残したいところだ。
(編集委員 山口聡)
【図・写真】京樽では、従業員が組合独自事業の恩恵を受けられなくなった(静岡市の静岡駅ビル店)
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