20080903 日本経済新聞 夕刊

 塾に通う費用がじわりと家計を圧迫し、物価高で疲弊する家庭から悲鳴が漏れている。塾に通わせられない低所得世帯も増えており、自治体や特定非営利活動法人(NPO法人)が塾代援助などに乗り出した。経済状況による「通塾格差」は開きつつあるようだ。
 「塾に通うなら習い事はやめなきゃね」。二〇〇八年四月、首都圏に住む専業主婦の山崎典子さん(仮名、35)は中学一年生になった長女(12)にそう告げた。きっかけは娘の「学習塾に行きたい」という言葉。四歳から続けているバレエとピアノ教室の月謝は二万円強。通信教育費や次女(8)の習い事費用と合わせると月七万円ほどになる。「塾代が加わったら我が家は赤字」。幸い娘も習い事をやめようと考えていたようで五月から週三回、塾に通い始めた。
 ただ経済的な不安は依然残る。住宅ローンや教育費を払うと毎月の貯金はゼロ。「高校受験に近づけば塾の回数も増えるし、下の娘も控えている。私が働くしかない」
パートを常勤に
 この夏、夏季講習の費用工面に悩んだ家庭も。「中学三年生の娘が塾の合宿に行きたいというのでOKしたら講習全体で約十三万円。本人はやる気がでたようだが……」と埼玉県在住の青木玲子さん(仮名、49)は苦笑いする。
 青木さんは娘の高校受験を控え、今年からパート勤務を常勤に切り替えた。「母親たちも塾代稼ぎに必死。周りでは時給の高い運送会社のバイトが人気で、子どもの世話をしなくていい夜十時から深夜二時ごろまで電話オペレーターなどで働く人が多い」
 〇八年八月に文部科学省が発表した「子どもの学校外での学習活動に関する実態調査」によれば、塾の月謝は小中学生で平均二万千三百円に上る。「塾の経費が家計を圧迫する」という中学生の保護者は二五・八%もいた。
 なぜ負担を感じながらも塾に通わせるのか。全国学習塾協会(東京・豊島)の稲葉秀雄専務理事は「親の公立校への不信感は強い。私立校に行かせるためにはお金を惜しまないという親も多い」と説明する。一方、負担しきれない家庭も当然出てくる。
 「二学期からやめます」。大手予備校の講師(32)は「突然退校」する生徒が目立つという。「頑張っていた子が突然来なくなる。理由を聞くと『経済的な問題で』ということが多い」。東京都母子家庭等就業・自立支援センター(東京・新宿)でも「月謝が払えず子どもに塾をやめさせてしまったと自責の念にかられ、もっと働かなくてはと相談に来る母親がいる」という。
 実は文科省の調査では中学生の塾に通う割合が前回調査(一九九三年)に比べ、六・〇ポイント下落した。塾に通わせていない理由のうち「家計を圧迫するから」が小学生は一九・四%から二五・六%、中学生は二一・七%から二九・三%と九三年より増えた。
 世帯の経済状況により開きつつある「通塾格差」。その対策に乗り出す動きもある。沖縄県沖縄市のNPO法人エンカレッジは〇七年夏から、経済的事情で学習塾に通えない小五―中三の通塾支援を始めた。企業や個人から基金を集め、そこから塾代の七割を負担。残り三割を協力する塾が払う。希望者は原則的に自己負担はない。
負の連鎖を絶つ
 エンカレッジの坂晴紀代表(40)は「沖縄市では貧しい家庭の子どもが学習機会に恵まれず、低収入の仕事にしか就けない貧困の連鎖が目立つ」と語る。現在、四人が通塾中で二十人弱が利用待ち。支援を受け、娘を塾に通わせ始めた母親(39)は「生活保護で暮らしているので塾に通う余裕はなかった。高校進学の道も開け、娘の笑顔が増えた。人が変わったように宿題に打ち込む姿を見て私も勇気づけられる」と感謝する。
 通塾支援の成果も出始めた。東京都板橋区は〇七年度から生活保護世帯の中学三年生を対象に、年十九万円までの塾代支給を始めた。生活保護世帯の中学卒業者の全日制高校への進学率(〇七年度)は全体で七五・七%だったが、塾代支給者は八九・一%と高かった。「学力向上ばかりでなく、塾に通うことで進学意欲が高まった」(板橋福祉事務所)
 東京都内では〇八年度に二十一市区が塾代支給を実施予定。〇八年九月から東京都も世帯収入三百万円台の低所得者世帯に向けた塾代融資を始める。すでに二百件を超える問い合わせがあったという。
 NPO法人新座子育てネットワーク(埼玉県)の坂本純子代表理事は「低所得層はもちろん中流家庭でも二、三人と子どもがいると教育資金繰りに苦しんでいる。中には深夜、弁当工場で働く母親もいる。塾代を含めた受験費用の支援や教育ローンの拡充などが必要だ」と訴える。
 教育に関する著作の多い精神科医・和田秀樹さん 日本は海外と比べて公教育への投資額が少なく、家庭学習と学習塾が学力を補ってきた。ところが経済格差が開くのに伴い、塾に行かせられない、無理に行かせても仕方がないという家庭が増えてきている。その点で東京都の低所得世帯向けの塾代融資は評価できる。融資対象をもっと広げるべきだ。
 塾などよりも、学校教育に力を入れるべきだという意見もある。しかし学校は親のクレーム対応などで手いっぱい。塾が子どもの学力を引き上げ、社会性も教えているのが現状だ。
 心配なのは塾の数が少ない地方での教育の質の低下だ。地方自治体は財政面も厳しいため経済的な支援は実施しにくく、学力低下の恐れもある。地域間の教育格差の是正は国の役目。民間教育機関を活用するための補助金を出すといった対策を考えるべきだ。
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【図・写真】塾代を巡り、保護者の悩みは続く…
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