20080802 日本経済新聞 朝刊
医のコストを考えた場合、最も深刻な問題のひとつは、人材流出が叫ばれる勤務医の待遇問題だ。
勤務医に歩合制
今年六月、大阪府の阪南市立病院は勤務医に営業マンのような歩合制導入を決めた。基本給とは別に診察回数に応じた能率給などを取り入れる異例の制度で、大卒五年目で固定給が約千二百三十万円だった医師の場合、破格の二千万円にアップする。
原因は内科勤務医の一斉退職。常勤五人のうち昨年六月に一人が開業医になるために辞め、「過剰労働になる」と残る四人も退職。公立病院ながら内科の入院・外来診療を全面休止する異常事態となっていた。
「何とか来てください」。市長の岩室敏和(60)を筆頭に病院の部長クラスがチームを結成。東海から九州まで大学を回ったが、色よい返事はもらえない。同病院の報酬は全国の自治体病院平均より二百万円低い年約千三百万円。岩室は「交渉を持つには、民間病院と競争できる報酬の提示が必要だった」と振り返る。
現在、常勤・非常勤五人が新給与体系で働く。さらに常勤医一人を確保できることになり、内科も九月から再開。しかし、人件費は月七百万円増える見込み。
全国の自治体病院などが同様の賃上げを行えばどうなるか。医療費約三十三兆円(二〇〇五年度)のうち、医師らの人件費は約十六兆二千億円でほぼ五割。一律一〇%上がるだけで、医療費は五%押し上げられる。
医師の正当な労働対価を巡る現実は一筋縄ではいかない。奈良県立奈良病院の産婦人科医二人が〇六年、県に時間外賃金の支払いを求めて訴えた。
争点となっているのは、宿直勤務の扱い。訴状などによると、二人は〇四―〇五年の計三百十三回の宿直の間、帝王切開など異常分娩(ぶんべん)を含む三百回のお産をこなした。救急患者への対応も計千三十四件に達した。だが、県が支払う手当は、宿直一回につき二万円のみ。労働基準法は宿直を「ほとんど労働する必要がない状態」と定義しているためだ。
宿直を時間外勤務として単純計算すると九千万円を超える。だが、原告側弁護士、藤本卓司(50)は「お金の問題だけではなく、医師の労働環境を問うのが狙い」という。医師を守ることは患者の命を守ることに直結するとの主張だ。
県は、県立三病院の人件費を前年度より一割(約十億円)積み増した。それでも担当者は「仕事の軽減には直結しない。自治体でできることには限界がある」と頭を抱える。奈良は例外ではない。厚生労働省の〇四年の調査では、全国の約七割の医療機関で何らかの労基法違反が見つかった。
若手「家庭大事に」
対価を増やすだけでは解けない問題も横たわる。
「おれたちの時代はそうじゃなかった」。沖縄県浦添市の浦添総合病院が日勤夜勤の二交代制を導入しようとしたところ、ベテラン医師から意外な反発を招いた。院長の井上徹英(56)は「『忙しいことがステータス』という古い美意識が残っている」と指摘。医師自身も「医療は聖職」という意識の下、労働環境と対価について厳密に考えなかったツケが回ってきた。
日勤―夜勤―日勤という三十六時間連続労働も珍しくない大病院。それでは勤務医は集まらない。同病院を運営する医療法人理事長の宮城敏夫(66)は「若い医師たちには『家庭も大事にしたい』という層が増えている。時代は変わった」と話す。残ってもらうためにも「率先して意識改革に努めなければならない」。
医療は国民の共有財産。その床下を支える医師や看護師ら医療現場の人材にかかるコストは医療費の約五割と巨額だ。そのコスト論争の先には現在の医療崩壊を食い止める命運が握られている。(敬称略)
=第2部おわり
「蘇れ医療」取材班=和佐徹哉、矢野寿彦、清水美宏、高坂哲郎、木村彰、山口聡、渡辺園子、吉田ありさ、中前博之、古田彩、上田哲也、松本勇慈、長谷川章、吉田直子、前村聡、桜井陽、稲沢計典、林さや香、関亜紀子、松田省吾、倉辺洋介、後藤伸太郎、羽田野主
ご意見、情報を郵便かメール(iryou@tokyo.nikkei.co.jp)でお寄せください。日経ネットPLUS(http://netplus.nikkei.co.jp)でも関連情報を掲載しています。
【図・写真】宿直中も昼夜を問わずお産に追われる(県立奈良病院の診療記録)
------------------------------------------------