20080727 日本経済新聞 朝刊
東京・巣鴨に住む元教師の谷崎秀明(仮名、75)は、とげ抜き地蔵への参拝者でにぎわう通りを抜けて、証券会社の店頭に足を運ぶ。谷崎の株式投資歴は五十年。若いころ滞在した米国で、市場経済のダイナミズムに触れた。帰国後に仕事のかたわら資産運用を独学した。
■投資やめない
ニクソン・ショックやバブル経済の発生と崩壊。何度も浮き沈みを経験したが、現在の運用額は「数千万円」。谷崎は「残りの人生も何とかやっていけそうだ」と語る。
二十二日に公表された二〇〇八年度の年次経済財政報告(経済財政白書)は、約千五百兆円の個人金融資産を積極的に投資信託などにふり向け、家計も「リスク対応力」を強くするよう提言した。
現在は個人金融資産のほぼ半分を現金・預金が占める。日本経済が成長を続けるためには、このお金が企業部門に回ることが不可欠。企業が収益をあげれば、配当や賃金などの形で再び家計も潤うはずだ。
とはいえ、だれもが谷崎のように投資でうまく資産を築けるわけではない。さいたま市の八十歳の男性は、中国株などに投資を十年続けたが、昨年来の大きな下げで、過去のもうけが吹き飛んだ。十三日、中国企業の経営戦略を聞く都内の投資セミナーに出かけて挽回(ばんかい)策を探ったが、「株はそのままにして、しばらく定期預金を崩して過ごす」と決めた。
個人金融資産の多くを持つ高齢者を取り巻く環境は厳しい。谷崎の同世代の知人の間では、日用品の値段が上がった、医療費の負担が重い、といった話題が増えた。バブル時の投資の失敗から回復できない人や、限られた年金で暮らす人もいる。
「家計はリスクを」と言う前に、政府にはやるべきことがたくさんある。年金や医療で安心できる体制がなければ金融資産は動けないし、規制緩和や構造改革で投資しやすい環境を整えることも必要だ。
逃げ場のない株安や、将来への不安。だが個人は投資の意欲そのものを失ったわけではない。二年前に株取引を始めた東京都内に勤める女性公務員(40)もくじけない投資家の一人。気づけば全財産の八割、およそ一千万円をインドやドバイなど新興国投資に向けていた。大きな損失を被ったが、新興国株は三分の一に減らしたうえ、投資は続ける。「必要だから、やめない」。リスクを身の丈に合わせて、長期的な視点で再び市場に挑む。
■個が動き出す
外資系運用会社などを経て三年前、個人に運用を教える会社を設立した岡本和久(61)は「日本人はここ数年、投資について学んできた。あと欠けているのは正面からお金について考える姿勢」と見る。
岡本には忘れられない経験がある。都内の中高校でお金に関する授業を臨時に受け持った時のこと。「お金のイメージ」を問うと、八割強の生徒が「汚いもの」と答えた。家族でお金について話す生徒も半分に満たなかった。
「年老いた時、君たちの生活を支えるのは君たち自身しかいない。お金について考えることは、人生を考えることと同じだ」。岡本は生徒たちに訴えた。
日本社会は先進国のなかで最も速く高齢化が進み、確実に家計への負担は増していく。株安を嘆くだけでなく、正面から資産運用を考える。おそれず、おごらず家計を見つめ直す。それが次の一歩だ。一人ひとりが将来に向けて「たくましい家計」をつくろうと動くとき、個人のお金は官が旗を振らなくても、リスクへと向かい出す。(敬称略)
=おわり
「日本人とおカネ」取材班=宮崎義夫、高島泰之、小平龍四郎、清水功哉、阿部貴浩、吉田修、高橋香織、表悟志、石川潤、中野貴司、嶋田有、蛭田和也、村上徒紀郎
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【図・写真】高齢者は将来に何を祈るのか(東京・巣鴨)
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