20080719 日本経済新聞 朝刊
厚生労働省。人が生きるための制度をつかさどる。老後の安心、働く環境、医療の再生、子どもの未来……。頼るべき組織と人に頼りないことばかり起きている。古びた制度や体質が、この国の行く先をさびつかせる。
信じるべき「プロ」がいるとは思えない。
七月三日、東京・世田谷。厚生労働相、舛添要一(59)の自宅は事務所を兼ねる。「医療改革にもパンチがほしいな」。近く発表する社会保障の「五つの安心プラン」に盛るアイデアを、自らボールペンでつづっては消す作業に深夜まで没頭した。
「非厚労族」を自認する舛添。学者から政界に転じ、参院当選二回で重要ポストに就いた。世論はしがらみのない舛添の改革に期待した。ところが年金記録漏れ、薬害肝炎、後期高齢者医療の不手際……。後始末に終わりが見えない。政治生命にも傷が付きかねない。
舛添は六月二十一日、地元の福岡での里帰り講演でこんなことを言っている。「大臣の言うことは聞きやせんのですよ。役人どもは。どうせすぐ辞めるやろうと思うとうとか」。冗談めかして、九州弁で会場を沸かせた。その舛添は一方で、「まだ省内を把握できていない」とも語る。
厚労行政改革。官僚まかせでは社会保障の揺らぎは収まらない。ならば政治。しかし、与党も野党も危機から目を背け、改革はむしろずるずると後退する。
舛添が準備を進める「安心プラン」は首相の福田康夫(72)が突然言い出したもの。柱は厚労行政の信頼回復や高齢者支援という。新味が出にくい掛け声だ。何を目指して何を変えればいいのか。「こちらから持ち出した話ではないけどな」。そう思いながらも舛添は危機感でペンをとる。ただ、舛添にも、もちろん官僚にも、明確な答えが見つからない。
戦時下の産物
座標さえ見失った老朽船。厚労行政は今も古い時代を生きる「戦時下の落とし子」だ。国家総動員法が公布された一九三八年、前身の厚生省は内務省から分離して生まれた。公的年金の土台も戦時の産物。強制貯蓄による戦費調達、労働力の増強。「戦時体制の強化」を狙ったものだ。
戦後は成長のレールの上で国富が膨らみ、人口も増えた。社会保障という「成長の果実の分配」に大きな苦労はなかった。
そして急成長の時代が過ぎ、少子・高齢・人口減の時代がきた。過去の延長線では日本の社会保障は崩壊する。価値軸が「負担の調整」へと変わっているのに、それを説明するすべを持たず、行き先を示せず、制度の手直しにきゅうきゅうとする。それが十万人を超す大所帯に膨れあがった今の厚労行政だ。
五月連休の最終日。八丈島から戻った保険局長の水田邦雄(58)は次官室に向かった。待っていたのは次官の江利川毅(61)ら幹部。四月に施行した後期高齢者医療制度の混乱を巡る首相の福田の厚労行政不信は根深い。福田はこう漏らしたという。「この件では大臣も信用できない」
慌てて新たな資料を作り、翌週から江利川が「首相詣で」を重ねた。制度を説明し直す江利川の話を一通り聞いた福田。納得したのかしなかったのか。「高齢者に報いる政策を考えてほしいんですよ」とだけ言い置いて席を立った。
高齢者に応分の負担を求める改革は、膨張する医療負担にメスを入れる第一歩だった。しかし、総司令官も安易な分配の発想から抜け出せない。
年金記録問題は安倍晋三前政権を直撃し、昨年の参院選の惨敗を招いた。高齢者医療は春の衆院補選と沖縄県議選の敗北の主因となり、福田も深手を負った。与党は厚労省に「戦犯」のレッテルをはった。
自民党の会合で怒号が吹き荒れる。「いつこんな制度を作った。責任は誰がとる」。後期高齢者医療制度を巡る野党の批判の大合唱に、いつの間にか与党も調子を合わせる。「そもそも与党のセンセイは法案に賛成したはずでしょう」と官僚たち。相互不信が改革の方向を見失わせる。
「白地に絵を描けるなら楽ですが」。厚労行政を担う人々の口癖だ。医療、年金、介護、少子化、雇用……。重みを増す難題を一手に担う巨大官庁。ただ、老朽船は前進と後退を繰り返し、白地に制度を描き直す思いに至らない。「すべてを自分たちが扱っているようで実は何も扱えていない」。昨年まで厚労相だった柳沢伯夫(72)はそう思う。(敬称略)
=関連特集4面に
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【図・写真】厚生労働省が入る中央合同庁舎第5号館(東京・霞が関)
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