20080524 日本経済新聞 朝刊
四半世紀前、現在の医療を取り巻く現状を正確に予言した官僚がいた。
一九八三年、当時の厚生省保険局長だった吉村仁が業界向け冊子に著したわずか三ページの私論は、高齢化と低経済成長下での医療費膨張が社会活力を奪うことを危惧。「予防や健康管理に重点を置いた医療がより効率的」「地域における病院、診療所のネットワークが必須」と解決策まで示した。
しかし霞が関はその理念を妄信し、医療費削減の口実としてのみ使う。総額が増えても「医療費の伸びが国民所得の伸び率程度であれば負担率は上がらない」。文中の一節が巧みにクローズアップされ、橋本、小泉両内閣の行政改革論議でも理論的支柱として何度も登場した。医療費が増え続ければ国が滅ぶという「医療費亡国論」。勤務医不足にあえぐ医療関係者からは「本来の趣旨を離れ医療の持続可能性を奪った暴論」と非難の的となる。
産科医が“反乱”
国は八〇年代半ば「医師過剰時代」と言いはやし、医学部定員の一〇%削減を至上命題に掲げた。実情としては過剰ではなくても、医師を減らせば医療費も抑制できるという理屈で、医療を受ける患者の視点を欠いたまま、医師数削減にまい進。これに過当競争を懸念した日本医師会も同調した。そして現在、全国の病院から勤務医がくしの歯が欠けるようにいなくなる。
妊婦たらい回しなどを前に「不足ではなく偏在」と主張し続けた厚生労働省も二月、政府答弁で不足を認めざるを得なくなった。
「産婦人科は六月末で休止するのでお産はお受けできません」。五月上旬、横浜市の大山和子(仮名、22)は病院からの電話に言葉を失った。八月の出産のため、市内の病院に入院の予約をしていたが、一人だけ残った産婦人科医が急きょ大学に戻るという。新たな病院の紹介もなく、初産の大山は「パニックになった」。
七五年には医師全体の約一〇%を占めていた産婦人科医は三十年後には四%に減少。出生率の低下が止まった最近も減少は止まらず、ぎりぎりの医師で支えられていた医療現場に少しずつほころびが広がり始めた。
札幌市では今春、多忙を極めた産婦人科医が“反乱”を起こした。市が抜本的な対策を取らなければ九月末、九病院で輪番を組む産科の二次救急から撤退すると通告してきた。前代未聞の事態に市は大あわて。急きょ話し合いを始めた。
調べると救急搬送約二百六十人(二〇〇七年)の六割以上が軽症で、その半数は生理痛。医師の取り組みだけで問題は解決しない。「夜通しの急なお産。終わったと思ったら生理痛」。今なお月に六、七回の当直をこなす市産婦人科医会副会長の郷久鉞二(67)は力なく笑う。期限まで四カ月となり、市はようやく負担軽減の試案を出した。
定員減は「失政」
「少しぐらい成績が悪くても地元に残る人材を採るべきだった」。当時の文部省で医学教育課長を務め、結果的に医学部定員減を受け入れた寺脇研(55)は当時の“失政”を悔やむ。患者ニーズに対して何人の医師が必要かなど「需要」を決めるのは厚労省。「供給」は文部科学省という縦割り行政は今もそのまま。
「厚生省の考えを変えられなかった私も同罪」。文科省でゆとり教育を強く進めた寺脇は、ここでも理想を実現できなかった。
偏在は確かに今もある。産婦人科医でもお産を扱わず、レディースクリニックなど生殖医療やがん治療などに携わる医師の割合が増えているという。深刻な勤務医不足を前にしても、医師の専門科目を国が決める仕組みはなく、自律的な是正には期待できない。
十四日に開かれた医師不足対策などを話し合う厚労省の検討会。財源を問われた厚労相の舛添要一(59)は「道路財源もありますし」と負担の議論を避けた。
厚生次官退官直後に世を去った吉村も、理念の先の医師不足までは見抜けなかった。負担を増やすことに限界はある。その中で医療の水準維持とどうバランスを取るのか。もはや数合わせだけでは正せない段階まで来ている。=敬称略
(「蘇れ医療」取材班)
ご意見、情報を郵便かメール(iryou@tokyo.nikkei.co.jp)でお寄せください。
【図・写真】「安心と希望の医療確保ビジョン」に関する会議に出席した舛添厚労相(14日)
四半世紀前、現在の医療を取り巻く現状を正確に予言した官僚がいた。
一九八三年、当時の厚生省保険局長だった吉村仁が業界向け冊子に著したわずか三ページの私論は、高齢化と低経済成長下での医療費膨張が社会活力を奪うことを危惧。「予防や健康管理に重点を置いた医療がより効率的」「地域における病院、診療所のネットワークが必須」と解決策まで示した。
しかし霞が関はその理念を妄信し、医療費削減の口実としてのみ使う。総額が増えても「医療費の伸びが国民所得の伸び率程度であれば負担率は上がらない」。文中の一節が巧みにクローズアップされ、橋本、小泉両内閣の行政改革論議でも理論的支柱として何度も登場した。医療費が増え続ければ国が滅ぶという「医療費亡国論」。勤務医不足にあえぐ医療関係者からは「本来の趣旨を離れ医療の持続可能性を奪った暴論」と非難の的となる。
産科医が“反乱”
国は八〇年代半ば「医師過剰時代」と言いはやし、医学部定員の一〇%削減を至上命題に掲げた。実情としては過剰ではなくても、医師を減らせば医療費も抑制できるという理屈で、医療を受ける患者の視点を欠いたまま、医師数削減にまい進。これに過当競争を懸念した日本医師会も同調した。そして現在、全国の病院から勤務医がくしの歯が欠けるようにいなくなる。
妊婦たらい回しなどを前に「不足ではなく偏在」と主張し続けた厚生労働省も二月、政府答弁で不足を認めざるを得なくなった。
「産婦人科は六月末で休止するのでお産はお受けできません」。五月上旬、横浜市の大山和子(仮名、22)は病院からの電話に言葉を失った。八月の出産のため、市内の病院に入院の予約をしていたが、一人だけ残った産婦人科医が急きょ大学に戻るという。新たな病院の紹介もなく、初産の大山は「パニックになった」。
七五年には医師全体の約一〇%を占めていた産婦人科医は三十年後には四%に減少。出生率の低下が止まった最近も減少は止まらず、ぎりぎりの医師で支えられていた医療現場に少しずつほころびが広がり始めた。
札幌市では今春、多忙を極めた産婦人科医が“反乱”を起こした。市が抜本的な対策を取らなければ九月末、九病院で輪番を組む産科の二次救急から撤退すると通告してきた。前代未聞の事態に市は大あわて。急きょ話し合いを始めた。
調べると救急搬送約二百六十人(二〇〇七年)の六割以上が軽症で、その半数は生理痛。医師の取り組みだけで問題は解決しない。「夜通しの急なお産。終わったと思ったら生理痛」。今なお月に六、七回の当直をこなす市産婦人科医会副会長の郷久鉞二(67)は力なく笑う。期限まで四カ月となり、市はようやく負担軽減の試案を出した。
定員減は「失政」
「少しぐらい成績が悪くても地元に残る人材を採るべきだった」。当時の文部省で医学教育課長を務め、結果的に医学部定員減を受け入れた寺脇研(55)は当時の“失政”を悔やむ。患者ニーズに対して何人の医師が必要かなど「需要」を決めるのは厚労省。「供給」は文部科学省という縦割り行政は今もそのまま。
「厚生省の考えを変えられなかった私も同罪」。文科省でゆとり教育を強く進めた寺脇は、ここでも理想を実現できなかった。
偏在は確かに今もある。産婦人科医でもお産を扱わず、レディースクリニックなど生殖医療やがん治療などに携わる医師の割合が増えているという。深刻な勤務医不足を前にしても、医師の専門科目を国が決める仕組みはなく、自律的な是正には期待できない。
十四日に開かれた医師不足対策などを話し合う厚労省の検討会。財源を問われた厚労相の舛添要一(59)は「道路財源もありますし」と負担の議論を避けた。
厚生次官退官直後に世を去った吉村も、理念の先の医師不足までは見抜けなかった。負担を増やすことに限界はある。その中で医療の水準維持とどうバランスを取るのか。もはや数合わせだけでは正せない段階まで来ている。=敬称略
(「蘇れ医療」取材班)
ご意見、情報を郵便かメール(iryou@tokyo.nikkei.co.jp)でお寄せください。
【図・写真】「安心と希望の医療確保ビジョン」に関する会議に出席した舛添厚労相(14日)