20080415 日本経済新聞 朝刊

・高齢化社会のコスト自覚を
・経済成長する中福祉・中負担の国に
・社会保障改革は「超党派案件」に
 躍動するアジア。変革する欧米。外を見て、そして日本を見て、背筋がヒヤリとすることはないか。世界が動くかたわらで、日本は孤独な世界に入り込んでいないか。内を向き、うつむき、何も変えられない。漂流ニッポン。このまま未来を縮めて、いいものか――。
 茨城県かすみがうら市。認知症高齢者のためのグループホームが相次いでつくられ、およそ二百人が暮らす。ここで「本来ならあり得ない」(厚生労働省)事態が進行している。
 二〇〇六年四月の国の制度改正でホームの入居者は「地域住民に限定」された。しかし、市の担当者は言う。「入居者の半数近くは今でも東京都民です」
苦肉の再分配
 環境も良く、東京からの入居希望者は後を絶たない。入居者一人につき市の保険財政から年に約三百万円を給付しなければならない。「こちらがカネを払うのではやっていけない」。考え出されたのが「地域住民限定」をあくまでも原則ととらえ、自治体間の合意で「地域外」から入居させる裏技だった。
 市は荒川区や江東区などと個別に折衝し、取り決めを結んだ。〈高齢者は受け入れる。ただ住民票は移さない〉。給付分は区がかすみがうら市に仕送りする。都市から地方への苦し紛れの再分配システムがここにある。関係者によると、ホーム定員数に対する介護給付件数の割合が東京では一四〇%超という。
 さて、ここからどんな現実が見えるだろうか。過密の都市部では介護施設が足りない。地方は高齢化のコストを担いきれない。それは負担の押しつけ合いという近未来を予兆しているとはいえまいか。
 高齢化が世界最速で進む日本。高齢者の六人に一人は介護が必要だ。二千七百万人いる六十五歳以上人口は二〇二〇年には三千六百万人に増える。なのに年金、医療、介護の社会保障システムはきしむ。
 「事情により診療を休止」。全国の病院でこんな張り紙が増えている。業界団体が二千八百の病院を調べたところ「入院を休止」したことがあるのは五百二十一。「休止した診療科がある」は四百三十九。
 患者は増え、医師は足りず、健康保険にはお金が足りない。少子化の加速でいまの高齢者と同じような年金をいまの現役世代はもらえない。一方で組織や運営にムダはないか。制度を少し効率化すれば、真に必要な分野に回るお金が出てくるのではないか。わかっていることは自然と財源がわき出すほど事態は甘くないことだ。むしろ問題を長く放置したがゆえに処方箋(せん)は限られる。
 政治は何をしているのか。今年初め。スイスのダボス会議で、自己紹介した首相の福田康夫は元経済財政担当相の竹中平蔵を指して言った。「改革はすべてこの人がやってしまった。もう私がやることはない」
脱・決めない政治
 古びた土俵を直すのは政治の責任だ。OECD事務総長のグリアは言う。「少子高齢化の日本は他国よりずっと不利だ」。あなたならどうするか。「『政治的に難しい』を何もしないことの言い訳にしない」
 十一日、政府・与党は福田が窮余の一策で提案した道路特定財源の一般財源化で合意した。ねじれ国会の副産物ではあるが、改革の種火になりうる。社会保障に使える財布は増えた方がよい。基礎年金の全額を保険料から消費税などに切り替える税方式の議論も盛んになっている。危機感を持って改革を訴える人に光を当てるのも政治だ。
 負担増は弱者いじめではない。五人に一人の高齢者は五十年で二・五人に一人になる。若い世代だけで負担するのは無理と説明する責任を政治は負う。人口が増え、経済が拡大し、税収も増えたのは昔の話。市場システムとグローバル化を最大限活用しながら、若くはない日本の経済を成長させる。社会保障を中福祉・低負担から中福祉・中負担に抜本的に切り替える。
 政局の犠牲にしないという事柄を決めてほしい。党の利害を超越した「超党派案件」の筆頭に社会保障改革はくるはずだ。それができずに「政治主導」などありえない。=敬称略
(漂流ニッポン取材班)
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【図・写真】政治が滞る間に、社会は激動する

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