20080402 日本経済新聞 夕刊
新年度が始まる四月。就職や入学に合わせて印鑑(印章)を用意した人も多いだろう。回覧板から遺産相続まで幅広く使われる印鑑だが、最近では日常生活で印鑑を「使わない」「求めない」ケースもちらほら。理由は書類の電子化やサインの普及だけではないようだ。そんな動きを追ってみた。
「最近の履歴書は印鑑欄がないんだ」。転職を考えていた福岡市の木村弘之さん(仮名、33)は、文具店で驚いた。就職活動の時、印影が曲がった、朱肉がかすれたと、何枚も無駄にした経験がある。「押さないで済むなら楽。そもそも、企業は何のために印が必要だったんだろう」
売り上げ逆転
文具メーカーのコクヨS&T(大阪市)は十七種類の履歴書を取り扱うが、七種類は印鑑欄がない。一九九八年に投入し、今では売り上げの六割を占める。
押印は事務手続きの簡素化で見直される動きがあり、日本工業規格(JIS)で定められる履歴書の標準様式には印鑑欄はすでにない。印鑑欄がある履歴書を併売するのは「今までと同じ物がほしいという企業側の要望」(コクヨS&T)だという。
東京都に住む島田真由美さん(仮名、35)は、自動車保険のパンフレットを見比べて、三井住友海上火災保険が始めた印鑑不要の契約が目に留まった。宅配便の受け取りや回覧板などは、極力サインで済ませている。「自分の印鑑が多くの書類に残るのはどこか不安。詐欺にあったわけではないけど、できるだけ押したくない」。そんな気持ちに添う商品だったからだ。
利便性に配慮
三井住友海上が新方式を導入したのは〇七年十月。個人向け自動車保険では年間約六百九十万台分の契約書を作り、そのデータ入力をしていたが、パソコン画面を見せながら手続きを完結してミスを防ぐ。
契約規則では「契約者の署名または記名捺(なつ)印が必要」と定めており、もともと印鑑は不可欠ではなかった。だが、実際は「商慣行として全契約者に印鑑をお願いしていた」(販売推進部)。判を押す行為は契約をした実感につながっていたと考え、代わりとなる電子署名は筆跡を残して目で確認できるアナログ感に配慮したという。
行政も動き始めた。山形県は三月から、県民会館や文化ホールの使用許可書を含む四百五十九の申請書類で押印の義務付けを撤廃した。特定の対象者との契約ではない書類に印鑑は不要との理由だ。担当者は「県民にも受け入れやすい考え方。『判子がないならもう一度来て』というのは杓子(しゃくし)定規で、利便性を損ねていた」と、反省を込めて打ち明ける。
2つの機能
暮らしの中で当然のように求められてきた印鑑。本当に必要なのだろうか。
「印鑑には二つの機能がある。『私はたしかに○○です』という本人確認と、『確かに契約します』という意思の担保の二つだが、個人も企業も明確に使い分けてなかったのでは」。専門誌「現代印章」編集部の真子茂さんは話す。厳密な本人確認が求められる時代には運転免許証やパスワードのほうが効果的であり、印鑑を使う機会の減少につながるとの分析だ。
東京都で最も人口が多い世田谷区(約八十二万六千人)でみると、〇六年度の印鑑登録証明書の発行枚数は約四十四万三千枚。九三年度のピークの七割以下に減少した。本人確認として日ごろ気軽に押している認め印だけでなく、実印も例外ではない。
印鑑は今なお、不動産取引や遺産相続など重要な場面で大きな効力を持つ。法的に求められる責任も大きいのは認め印でも同じだ。とりあえず印鑑を――。変わり始めた個人と企業の意識は、その重みを考え始めた兆しなのかもしれない。
全国で公開中の映画「クロサギ」。過去を背負った詐欺師が詐欺師をだます物語だが、その中で実印を使った詐欺が登場する。被害者は贈られた印鑑を実印として登録。詐欺師は同じ印鑑を用意して不正に資金を得る。
印鑑は注文印と、既製品の三文判とゴム印に大別できる。注文印の多くは牛の角やツゲの素材を使い、職人が手仕上げをして作製してきた。同じ字体でも職人ごとに微妙に異なるため、同じ物が市販されることがなく、重要な取引に使う実印として重宝されてきた。
最近ではパソコンで字体を選び、人手を介さず一時間程度で完成する注文印も増えている。全日本印章業協会の中島正一さんは「注文印と既製品の垣根が低くなった。実印は唯一無二の印だから意味があるのに」と心配する。判を押す機会の見極めだけでなく、実印の選び方や、認め印との使い分けにも気を配ったほうがよさそうだ。
ご意見、情報をお寄せください。〒100-8065(住所不要)日本経済新聞生活情報部、FAX03-5255-2682、電子メールseikatsu@nex.nikkei.co.jp
【図・写真】印鑑の欄のない履歴書(上)が増えている(写真上)。契約時の印鑑を廃止した自動車保険もある
【図・写真】実印に使う注文印は手仕上げが望ましいとされる
------------------------------------------------
・火災保険の一括見積もり・比較
・海外旅行保険の比較
・留学生・ワーキングホリデー向けの海外旅行保険の比較
・駐在員向け、企業包括契約、インバウンド保険(外国人受入)
・オリックス生命 CURE Lady(キュア・レディ)
・保険総合サイト