Sukhada Myo-ken-ji mandira -6ページ目

Japani daud'dha dharma ka vakana hai ki bana gay

皆様今晩は

今日のテーマは
日本語になった仏教の言葉
です。

でも、因果だの方便だの極楽だの
いかにも楽しくなさそうな言葉の由来は
ココでは書きません。

もっと豆知識的な
飲み屋で話すと面倒くさがられる
素敵なウンチク野郎になれそうな
そんなヤツを
チョイスして書いていきたいと思います。

では早速
ひあ・うぃー・ごー!!


①「断末魔」

はい、いきなりの物騒発言をお許し下さいね。
よくサスペンスなんか見てると
刑事がダイイングメッセージを見ながら
「コイツはガイシャの断末魔のさけびだ…」
なんて宣うシーンを見ます。
現在断末魔という言葉は、臨終の際の苦しみや叫びの表現として使われております。
では語原はと申しますと
古代インドでは
人が死ぬ原因は、身体に64箇所のマルマンがあって
このマルマンが断たれると人は死ぬ。と考えられていたそうな。
ヨガやアーユルヴェーダに詳しい人ならわかると思いますが、マルマンというのは、人体急所の事でございます。
このマルマンという言葉を漢字に音写したものが「末魔」でごさいまして、それが断たれるので「断末魔」となるわけでございます。

②女郎

さてさてお次も
おおよそ仏教に関係なさそうな言葉でございますが、コレまた語源は仏教用語でございます。
女郎と言えば股っ開き、売春婦の事として、今日では時代劇の世界などでお馴染みでございますね。
それが何故仏教用語なのか?
語源は以下の次第でございます。
仏教の世界では
本来階級制度というものは存在しません。
と言うのはブッダが生きていた時の話。
今ではすっかりタテマエ化しておりまして、生まれや金銭で
凄まじく差別される世界であります。
ですが今やタテマエ化してしまった本来のあるべき姿では、階級制度は無いのです。
無いのですが、序列というものはありまして、早くに出家した者ほど序列が高くなります。
まぁ、先輩後輩みたいなもんですね。
で、その先輩の事を「上臈」と呼ぶんです。
この「上臈」という言葉が
平安時代末期頃になってくると
位の高い女性を呼ぶ言葉となります。
後はもう簡単ですよね?
言葉というものは、場合によっては時代と共に意味が転落していくもの。
「坊主」が坊(お寺)の主、という意味から
子供や僧侶の蔑称になったように
貴婦人が股っ開きに転落し、字のアテ方も「女郎」となった。
というわけです。

③カルピス

遂にトチ狂ったかこの腥坊主!?
などと言う無かれ。
何を隠そうカルピスの語源も仏教用語なのですよ。
腥坊主ですけど、癲狂してはいませんのでご心配なく。
さて、説明に入りますよ。
カルピスが産声を上げたのは
大正九年のことでした。
当時の社長は、この爽やかな飲み物のネーミングに悩みます。
そしてひねり出された案が
これ以上ない至上の味
という意味の仏教用語「醍醐味」でした。
醍醐味という言葉は『涅槃経』というお経の中に出てきます。
醍醐と言うのは、牛乳を精製してできるチーズみたいなもので、醍醐を作るまでに
乳→酪→酥→熟酥→醍醐
と、段階を踏むわけで
その最終形態にして完全体の醍醐の
味が至上の味らしいのです。
で、そのまま商品名を「醍醐味」にしたらあんまりお洒落じゃありません。
それに、当時のキャッチコピーは『初恋の味・カルピス』でした。
『初恋の味・醍醐味』だと、どんな初恋なのか、という要らぬ妄想をかき立てかねません。
そこで、醍醐味をサンスクリット語に直してみました。醍醐味はサンスクリット語で「サルピス」です。
それに当時話題だったカルシウムを足して
「カルピス」
となったと言うわけです。


さてさて
三つほど紹介しましたが、まだまだ
「曼珠沙華」
「馬鹿」
「シマ」(893用語)
などなど
仏教用語が語源の言葉は沢山あります。
詳しく知りたい方は
是非ご一報頂くか
明見寺までお運び下さい。
お茶とお茶菓子用意して待ってます。

では
今回はこの辺で。


これじゃ締まらないですね。
ちなみにこのキャラクターは
初代カルピスのキャラクターです。

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正座の不思議

お久しぶりです今晩は。
今日も楽しい…かどうかはさておいて
ウェブログ座談会が始まりますよ。

さてさて
今日のテーマは
ズバリ、「何で寺では正座なの?」
です。

皆様方、特に若い方は
正直な所
寺院での法事や法話って
好きじゃないですよね?
その理由の一つに
長い時間何言ってるか判らない読経を
正座をして聞かなきゃいけないから
なんてのがあると思います。
何で寺では正座しなきゃならないんでしょうか?

答えは
日本人の文化にあります。
日本の民族衣装は
皆様方ご存知の様に“KIMONO”です。
なぜアルファベット表記かと言うと
グローバルな感じを表現したかっただけです。
それはさておき
着物っていう服は構造上、あぐらで座ると裾がはだけます。
昔の人は、男性は褌、女性は腰巻きという下着を付けておりました。
そこで問題です。
そんな下着を付けて、着物を着て、裾がはだけるとどうなるでしょうか?
正解は
放送コードに引っかかって
太秦撮影所が訴えられて、潰れます。
…まあ要は
ハミチン、モロチンしちゃうわけですね。
そこで登場するのが正座です。
着物を着て座るのに、凄く適した座り方ですね。
太秦撮影所も一安心です。
しかも正座には、あぐらみたいに横にスペースを必要としないメリットがあります。
さらにさらに!
あぐらは人間の骨格上、腰に負担のかかる座り方なので、正座の方が腰痛さんにはよいのです。
逆に、膝には凄く悪かったり、痔になりやすい等の弱点もあります。
豆知識はコレくらいでイイとしまして
脚が見えたり股ぐらが見えたりしない正座はやがて、日本人の美意識的に「お行儀の良い」座り方になりました。
お行儀がいいということは
目上の人の前でも大丈夫な座り方
ということです。
目上の人、つまり人かどうかはさておいて、仏の前でも大丈夫ってわけです。
なので、寺では正座なんですね。

しかしながら時は平成
和服から洋服で生活する時代となって久しい今日。
御参拝の皆様
どうぞ足をお崩し下さい。
しんどいシンドイと思いながら供養されたら
されてる方も気を使いますよね。
それでも
特に女性の方は
脚を崩しにくいかと思います。
心配ありませんよ
明見寺には
長時間の法要にも安心の
椅子を用意してありますからね。

ちなみに坊主は正座に慣れているので
平気だと御思いの方もいらっしゃるかと思います。
確かに慣れてはいます。
普通の人よりは長い時間座っていられます。

慣れているというのは
我慢ができるのであって
平気なわけではないんですよ
痛いものは、痛いんです。

では
今回はこの辺で失礼いたします。

仏は殆どインド人。なので一人も正座をしてません。

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坊主はハゲの何故。

皆さんこんにちは。
絶体絶命腥坊主こと
ワタクシです。

今回は
坊主、僧侶、和尚と呼ばれる輩が、何故に頭を丸めているかについて、タラタラ書き垂れ流していこうかと思います。

そもそもブッディズムが始まったのは古代インドです。
インド(ネパール説が有力?)で、ブッダが生まれる前から、行者や修行者は存在しました。
その頃の行者は既に頭を丸めていました。
その理由は
衛生上の理由と考えられます。
現代人のように、毎日綺麗な上水道の水を沸かしてお風呂に入ってシャンプーして、などということがこの時代にはありません。
行者の生活なら尚更です。
シラミやノミが住み着くのを予防したり、不潔から来る皮膚病を防ぐために
頭を剃っていたと考えられます。

その習慣がブッディズムの時代になって、髪の毛を剃る事で髪に対する執着を捨てる、という意味合いになってきました。
ブッディズムの最終目的は、悟りを開く事なんですが、その為には様々なものに対する執着を捨てる必要がある、と言われています。執着とは、有り体な言葉を使えば「煩悩」ですね。
(厳密に言うと違うんですが、まぁそういうことです。)
だから坊主はハゲなんですね。

しかしながら、剃髪は執着を捨てる為の「手段」であって、その「手段」に執着すると元も子もありませんね。

以上
坊主がハゲな理由でした。

すっごい顔の坊さん。やっぱりスキンヘッド。

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