Sukhada Myo-ken-ji mandira -3ページ目

水害復興

どうもこんばんは
遂に同業者から、三国一の腥坊主と呼ばれるに至ったワタクシです。

去る6月30日、佐賀県の良源寺という寺院の、水害復興50周年記念祭に参加して参りました。
この良源寺というお寺、山の山頂付近の急な斜面に建ってるんですが、今から50数年前に大雨による山津波(土砂崩れのハンパないやつ)で殆どすべてが流されてしまうという残念極まりない過去がありまして。
当時の新聞によると、「一人死に、九人絶望」(原文まま)とか、今の新聞で書くと絶対叩かれる様な言語チョイスで書かれていて、しかしてそれほど大きな被害があったみたいです。
その後信者さんや檀家さんの寄進や尽力によって、復興したお寺なんだそうです。

そこの住職が肥前の宗務所の方で、復興50周年を記念して、肥前宗務所の人間皆で記念祭をやりたいとの事で、今回のイベントが決定しました。

もともとワタクシはこの話には参加する予定がなくて、記念祭のリハに練習を観に行っていただけだったんですが、宗務所一の武闘派坊主の方(決して嫌いではない。たまに苛っとするけど、むしろ結構好きな方)に「アンタも出てくれんか?」とご指名を受けまして、参座する事と相成りました。

記念祭の内容は
午前中…記念法要、記念祭用に新しく作った仏像の開眼法要

午後……柴燈護摩祈祷
でした。

ワタクシは午前中の法要では、「承仕」(じょうじ)という配役を宛てられました。
「承仕」ってのはアシスタントみたいなもので、設営の不備があったときや法要中に何かあったときにどうにかする、必要な道具を必要な時に渡したり引き下げたりする、みたいな仕事で、本来は一番下っ端の仕事です。
下っ端の仕事なんですが、法要の流れを全部把握している、出ていくときや下がるときの立ち居振舞いなんかの所作を知っているなど、新米や下っ端には難しい役で、尚且いい年のおじさん坊主がやるには若干可哀想な立ち位置でもあるので、寺も本人も隙間産業大歓迎なワタクシに役が回ってきました。
しかも普通「承仕」は法要にメインで参加しないんですが(承仕が法要に出てるってことは、ライブでPAスタッフがステージに上がってるようなものなので)武闘派坊主の采配で何故か法要にも参加する事になりました。

「承仕」は本来下っ端の仕事ゆえ、着る仕事着も一番位の低い色を着ます。
そんなもの大昔に着て以来着てなかったので、サイズとか状態とか大丈夫かなと思いながら引っ張り出してみたら、逆にあまりにも着ていた期間が短かったので新品みたいでした。

で、本番当日にその格好を見た武闘派坊主の方には「済まんねー、そんな格好させて」と言われ、若者や下郎(自分より位の低い人の呼び方)からは申し訳なさそうにされ、個人的にはTVや新聞も来ていたので「皆と違う格好だから目立てるぞぅ!」とか喜んでたのに、なんか逆に申し訳ない気分になりました。

本番はやっぱりというか、色々不備が起こったので、きちんと仕事ができたかと思います。

午後の護摩は、いつも通り(過去ブログ見てくださいね。)だったのでやり易かったです。
相変わらずガタイのせいで天狗みたいでしたが。
ともかく、1日無事に仕事を終えることができました。
足は痛かったですけどね。








終わった後にパシャリ。
長閑な山寺、鯉の泳ぐ池を眺めて、鯉を愛でながら振る舞われた鯉を喰らう。




Android携帯からの投稿

肥前宗務所

久々の更新となりました。
腥坊主ことワタクシです。

本日は今月30日に行われる、長崎、佐賀の仏教連合会の様な組織合同の一大イベントのリハーサルに行ってきました。

ワタクシはこの組織の方針が肌に合わなくて、最初全く参加する気がなかったんですが、ちょっと嬉しい予想外な展開がありまして参加する事と相成りました。

それで前々から会議を重ねて、本日やっと全体でのリハとなったわけですが…

まぁどの世界にもいるんでしょうけど、ワンマン仕切り屋さんが今日のリハを「御指導」なされておりました。

個人的にはこの人、割といい人だと思ってる人なんですが、良くも悪くも表裏の無い人なのと、すぐ感情的になるのと、固定観念が異常に強い人なので、正直に言って指導者としては向いてない方なんですよ。

具体的にどう向いてないかを言う前に、今日のテーマの説明を…

ちょっと説明が長くなりますが、仏教には仏教徒が学ぶことを推奨されている五つの事があって、それを「五明」といいます。

五明っていうのは
・声明(音韻、文学)
・因明(理論)
・工巧明(工芸、数学、暦学)
・医明(医学)
・内明(教理学)
の五つなんですが、現在の坊主が主として一番多用するのは「声明」「内明」の二つのみだと言っていいかと思います。


んで、今日のテーマは我々の宗派が一番多く使うであろう法要式次第「平座理趣三昧」というモノだったんですが、その中に「声明」が多数使われているんですよ。
ざっくりと音韻、文学と書きましたが、も少し詳しく言うと、普段坊主が「声明」と言った場合に指すのは、経典に節回しが付いた歌と読経の中間みたいなモノの事だと思って貰って構いません。

それどころか「声明」を節回しの付いた読経の名前だと認識している坊主もかなりいます。
因みに正式にはソレのみを指す場合、「梵唄」(ぼんばい)、「魚山」(ぎょざん)等といいます。

声明には流派があり、同流同士でも個人個人が学んだ師によって唄い方がかなり違ったりするので、譜面から大きく外れない限りは「これが正解」というのはあまり無いんです。
それでも大人数でやるときは、事前に節合わせをしてバラつきを防ぐんですが、今日のリハの主な目的は正に節合わせでした。


で、また向いてない理由に戻りますが
色々な人が一人ずつ唄っていくなかで、その方が「間違っている」と判断した人に激怒します。
「どこが間違いかわからない」と言った人にも激怒します。
その方が個人的に嫌いな人には、問答無用で激怒します
しかしその方が「お手本」として唄っているモノも、その方の理屈に合わせればワタクシ及び他の方からしたら「間違って」います。
ソレを指摘したら否定された上に怒られます。

なので、会場の雰囲気は常にピリッピリでした。
ただ、その方のそういう行動は
熱意が行き過ぎた結果だということ、根はいい人で決してただの嫌な奴ではない事、もうひとつ、ある理由(プライバシーに関わることなので伏せます。)で余計にそうなっている事も皆さんわかってるみたいで、大人な皆さんのお陰で無事にリハは終わりました。

後は最終リハと本番だけなので
それまで頑張ろうと思います。


Android携帯からの投稿

衣装と道具

皆さんこんばんは。

先月、京都に行ってきたんですが
その折に、仕事で使う衣装を注目してきておりました。
それが先日届きました。
ワタクシ個人の意見としては
化繊の安い安い衣装でいいんです。
化繊は虫も食わないし、シワもよらないし、管理が楽なのですよ。
でも
「ちゃんとしたやつ着てください」とのご指摘を受けたもので、正絹羽二重のちゃんとしたやつを買いました。

我々の業界は、衣装は一部の例外を除いてほぼフルオーダーなので、ちゃんとしたやつを買おうと思ったらかなりの勇気と経費が必要なんです。
だから買うときはヒヤヒヤするんですが、品が届いてみるとやっぱり高いだけあってモノが違います。
これで指摘をした方々もきっと納得してくれるかと思います。

あと、此方に戻ってきた次の日に
仕事道具の数珠を作りました。
昔から欲しかった「髑髏念珠」(しゃれこうべねんじゅ)というシロモノなんですが、恐らく日本で半念珠や腕輪念珠ではなくて、このタイプを使っている人は少ないのではないでしょうか。
数珠の珠が、全部骸骨の形をしている数珠です。
一見ふざけてるように見えますが、「骨」は仏教、とりわけ密教では「本質」や「永久」、「悟り」の象徴なんですよ。
だから決してワルフザケではありません。
ではなぜ使っている人がほぼいないのか、というと
単純に気味が悪いからみたいです。
あと
存在そのものが知られていない
そもそも普通には売ってない(半念珠、腕輪念珠は売ってます)
とかの理由があるみたいです。
ともかく
衣装も道具も揃えたので
仕事も頑張ろうと思います。













Android携帯からの投稿