ポリーニの思い出 | ローマの松の木の下で・・・

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3月23日にイタリアのピアニスト、ポリーニ(イタリア語発音はポッリーニ)

が82歳で亡くなった。

 

 

 

 

 

ここのところ心臓疾患で公演をキャンセルしていたが、

今年の春、秋までリサイタルの予定が入ってたので、

最後までやる気満々だったのだろう。

 

 

 

彼の演奏を初めて聞いたのは1974年。

 

16歳だった私は

ピアノの先生に強く勧められて、

ポリーニの東京公演を3回も聞きに行った。

 

ショパンコンクール1位受賞者で

アルトゥール・ルービンシュタインに絶賛された32歳のポリーニは

完璧に演奏した。

 

 

 

 

それから2−3年おきに来日、

いつも人気ピアニストのランキング1位に輝いていた。スター

 

 

 

 

 

一番お気に入りのポリーニのレコード

 

 

 

 

 

彼は今までミラノのスカラ座で100回以上リサイタルをこなし、

ローマでも定期的に演奏していた。

 

 

でもローマで30−40年前に聞いたときは

 

良かったけど、いつも完璧とは言えなかった。

 

1度、演奏中に止まってしまい、

 

え〜 ナンバー1 の ポリーニでも そんなことがあるのか びっくり と絶句したこともあったが、

 

イタリアの聴衆は1度くらいのミスは大まかに見ていた様な気がする。

 

彼もホームグラウンドで、ちょっとリラックスしてたのかもしれない。

 

しかし日本の聴衆は手厳しいので、

 

日本で演奏するときは、相当必死になっていたのではないか。

 

イタリアでも彼のチケット代は他のピアニストの倍はする。

 

最後に聞いたときは60ユーロ(当時 円にして8000円くらいか)

 

しかし日本で聞くと、13000円から27000円もするというではないか。

 

これじゃぁ下手に弾いたら、もう招聘されない恐れもある。滝汗

 

 

 

1989年、私の父は上野文化会館小ホールでフルートリサイタルをした。

 

上野文化会館は大ホールと小ホールとあって、

 

なんと同じ日に

 

大ホールでポリーニのリサイタルが開催された。

 

 

そして楽屋が隣り合わせになっていたので、

 

開演ギリギリまで楽屋のアップライトピアノで、

彼が必死にピアノをおさらいしている音が筒抜け。

 

途中でお付きのイタリア人がドアをノックする音がし、

 

マエストロ、コーヒーを持ってきました という声が。

 

それにも関わらず必死で練習を続けるポリーニ。

 

 

せっかくのコーヒーが冷めてしまったらどうしようと

 

要らぬ心配をしてしまった。

 

 

 

彼のコンサートには全部で7−8回行っただろうか。

 

 

最後に聞いたのは彼が70歳のお誕生日を迎えたばかりの時。

 

 

凄い人気で

パルコ・デラ・ムージカの舞台の上まで椅子が並べられて、

観客がマエストロのすぐ近くで聞いてたので仰天した。(そんなことは初めてだったので)

 

 

その時の演奏は、

技術的にも音楽的にも完璧、

 

否の付け所がない 最高の演奏だった。

 

 

あまりに素晴らしかったので、

今後一切 彼の生演奏を聴きたくないと思ったほどだった。

 

だってもう70歳だし、

どんな演奏家でも老いに勝てない。

 

70過ぎたら これから下り坂になるから、

彼に失望したくないから。

 

あのホロビッツが80代で来日した時も

壊れた骨董品とか 散々悪口言われたもんだった。

 

 

 

やはり、彼の晩年の演奏を聞いた方達の音楽ブログを読むと、

 

もう以前ほど良い演奏はしない 様なことが書いてあった。

 

 

それでも彼に取って聴衆の前で演奏するのが人生の生きがいだったのだろう。

 

去年の秋まで演奏活動していた。

 

 

 

ポリーニが亡くなった次の日、

 

サピエンツァ大学の講堂で、

ロシアのピアニストのニコライ・ルガンスキーのリサイタルがあった。

 

そして

始まる前にIUCのコンサート主催者のお話があった。

 

 

先日ポリーニさんが亡くなりました。

 

とても残念なことです と言うと

 

満場の拍手喝采があった。

 

主催者の方のお話だと、

ポリーニは18歳の時にここで初めてコンサートをしたのでIUCとは特別な関係がある

とのことだった。

 

 

彼は音楽だけでなく、当時 ベトナム戦争反対のスローガンを強く掲げていた

数少ないクラシック音楽演奏家だったそうだ。

 

大学では物理を専攻したこともあったし、

日本文化への興味も深かったインテリだった様だ。

 

 

主催者のお話が終わった後、

 

ルガンスキーの演奏が始まった。

 

彼はチャイコフスキーコンクールの1位なしの2位に入賞。

 

 

初めて聞いたのだが、とても良かった。ラブ

 

 

ラフマニノフだけでなくショパンも素晴らしかった。

 

 

今アジア系のピアニストの活躍がめざましいけど、

 

私が感銘を受けるのは大抵ロシア系。

 

 

彼らの演奏には深みがある。

 

ルービンシュタイン、ホロビッツから引き継がれた伝統のスケールが

他の国のピアニストと比べてダントツに違う。

 

 

ブラボーの嵐のあと、

アンコール曲はラフマニノフの美しい小品と

バッハのカンタータ 147番。

 

ルガンスキー氏は このバッハの美しい曲はポリーニに捧げるとおっしゃっていた。

 

この曲は私もオルガンでよく弾くけど、

 

ピアノでしっとりと歌い上げると、

心に染み入る逸品になる。

 

 

 

 

ルガンスキー

 

 

 

 

 

ポリーニの死は

ベネデット・ミケランジェリと並ぶ 世界一のイタリアの素晴らしいピアニストが失われ、

 

心にポッカリ大きな穴が開いた様な気がした。