今日の告白: 韮山反射炉 | 本を持って南の島へ

今日の告白: 韮山反射炉

黒船め~、寄らば、打ち込むぞ~とばかり、品川台場に28門の大砲を送り出したのが伊豆の韮山。

韮山反射炉



ペリー艦隊の来航(1853年)を受け、幕府はかねてから海防政策を進言してきた江川英龍を責任者とし、反射炉と品川台場の築造を決定。
韮山反射炉



当初、反射炉は、下田で基礎工事に着手したものの、1854年にペリー艦隊の水兵が敷地内に侵入する事件があり、建設地を急遽韮山に変更。当時から情報戦は始まっており、日本側の大砲製造技術や、どこまで反撃が可能かなどを探っていたのでしょう。
韮山反射炉



1857年、連双2基が竣工。 翌年には18ポンドカノン砲の試射に成功。現在の反射炉には耐震のため鉄枠がはめられています。明治時代には、すでにこの貴重な反射炉を保存するため、陸軍省により補強工事が行われていました。そういった先人の努力が実を結び、実際に稼働した反射炉が現存するのはここだけ。
韮山反射炉



ところで、溶かした鉄を鋳型に流し込み、大砲の原型はできたとして、どうやって砲身をくり抜いたのでしょう。職人たちがノミとツチでこつこつと穴を開けたかと思いきや、なんと敷地内に引いた水で水車を回し、その動力で1ヶ月かけて砲身を削ったそうです。こうした高い技術、近代的な軍事技術が外国との交渉を有利に進めるために必要だったのでしょう。
韮山反射炉



今年の春、訪れたときはまだ世界文化遺産に登録の運動中でしたが、数日前のニュースで、ついに韮山反射炉を含む明治日本の産業革命遺産が世界文化遺産に登録されるめどが立ったと伝えられました。さっそく、昨日は大勢の人が見学に訪れ、周辺も大渋滞だったそうです。
韮山反射炉
地図データ ©2015 Google, ZENRIN


今後は、大砲をくり抜く錐台小屋を再現し、くり抜きの様子なんかを見せてもらいたいものです。また、パン業界からパン祖と呼ばれる江川英龍にちなんで、反射炉のレプリカを設け「反射炉パン」とか「反射炉ピザ」なんかを焼けば大人気になること間違いなしです。


今日の告白: 実は、以前から韮山反射炉の名前だけは知っていたのですが、今回訪れるまで反射炉の意味を知らず、きっとタワーで太陽光を集めて鉄を溶かしたんだろうなんて脳天気に考えてました。実際は、ドーム状の天井に反射した熱や炎を一点に集中させ、鉄を溶かす構造だったんですね~。


この後向かったのが、何の工場? の東京ラスク。





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