史跡巡りして来たよ♪~弘前城~ | Σ( ̄□ ̄;)!!の隠れ家

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お付き合い下さいませ♪* ̄∀ ̄)ノシ


前回からか~な~り間が開いてしまった…あせ

お久し振りです顔



aya上旬に登城仲間と3人で城弘前城城に行って来たよエヘ

別名を鷹岡城(高岡城)とも顔


弘前城城は初代津軽藩藩主津軽為信(ためのぶ)が計画し、二代目信枚(のぶひら)によって築城されたんだとかそうだ!


今秋momiji*から石垣城址の工事 が始まり、完了まで10年掛かるんだってがぁ~ん


ということでエヘ

今の内にじっくり見ておかねばと、仕事終わりに新幹線E5系はやぶさに乗って弘前に行って来たよにこ

自分にとっては弘前城リベンジキランっ

昨年夏に青森遊びに行った時は時間無くってじっくりは見れんかったからね~あはは…



まずはコチラ追手門↓

一般的に正面の城門の事を大手門と呼ぶけど弘前城は追手門と呼ぶらしいほぉ



弘前城には現在5棟の城門が残っているのだけど、築城当初の弘前城城が北向きのお城って事もあり、正門は北門だったんだってほぉ

だけど、街道の整備が進んで参勤交代の経路が変わったからこっちが正門になったんだとかそうだ!




追手門を潜ったら杉の大橋を渡って~歩く



南内門を潜って



二ノ丸未申櫓撮影

弘前城には3つの櫓が残っていてどれも三層三階建で良く似ているけれど、窓や妻の形が少しずつ違ってるんだってほぉ



コチラ二ノ丸辰巳櫓

この櫓で藩主が三の丸を通る弘前八幡宮の山車行列を見物したんだとかエヘ



下乗橋から天守城撮影

ここは二ノ丸と本丸を結ぶ橋で、藩士はここで馬鹿毛から降りるよう定められていたんだとか顔



天守と下乗橋とお堀わぁい

この景色が工事完了までの10年はお預けになっちゃうんだよねぇ泣

にしても、天気が良くて、青空と天守と赤い橋に新緑がめっちゃ綺麗だったよ~ポッLOVE love




コチラ天守閣城

天守を含む本丸跡は有料区域になっているよ顔

下乗橋を渡って直ぐに券売所があるのでそこで入場券を購入チケット

東北で唯一現存する天守城だよポッ


築城当初は五層五階の天守だったらしいよそうだ!

落雷稲妻での火事と当時吊るされていた鐘ごーんの落下が原因で保管してあった火薬ボムに引火しちゃったらしく、大爆発爆発してしまったんだとか!!!!!!!!!!!!!

爆発爆発の火柱炎が20km先でも見えたとか、破片が8km先まで飛んだとも云われてるらしいおおーっ!!

今の天守城はそれから200年位後に建てられた物だよ顔

それでも、築200年経ってるんだけどねキランっ

当時は御三階櫓と呼んでいたんだってエヘ




中は史料館になっているよ~にこ

具足や武器、生活用品等々展示してあったよえーん

そうそう、中にいた警備のおじさん(だと思う)が色々説明してくれたんだけどそれが結構面白かったよ顔





コチラ天守城からの眺めにこ

岩木山がきれいに見えたよ~わぁい


天守から下りて本丸跡を散策~歩く




コチラ本丸未申櫓跡

築城当初はこの場所に五層の天守城が建てられていたんだってキランっ

焼失してからは櫓にしたみたいだねぇ顔



コチラ本丸戌亥櫓跡



コチラ子の櫓跡

他の櫓跡と違って此処は櫓の礎石が見れるようになっていたよエヘ



本丸跡から見える岩木山もきれいだったよ~わぁい




コチラ春陽橋

この橋の手前左側は桜**桜のトンネル桜**って名前が付いてる散策路があったよ顔

桜桜の時期に見てみたいねぇポッ




春陽橋が掛かっている西濠では桜の時期になると貸しボート小舟に乗れるらしいよエヘ


春陽橋渡って一旦一般道道路に出て、時計回りに歩いて北門を目指す~歩く




コチラ北門(亀甲門)コチラ



築城当時はこっちが正門にこ
亀甲門って名前は、北方を守護する玄武っていう亀に蛇が絡まった姿をした神様が由来なんだとかエヘ

この門は大光寺城というお城の正門を移築したもので、実戦経験の無い弘前城内で唯一刀傷や矢傷などの実戦の痕跡が見れる門なんだってほぉ




コチラ二ノ丸丑寅櫓

コチラ東内門



此処までじっく~り見て回って所要時間時計(3時)3時間キャッあせ

凄くいい天気だったから、汗ダラダラ掻きながらだったけど、

楽しかったし満足したよ~にこ



桜**桜の名所桜**と呼ばれたいるからね、いつかはその時期に遊びに来てみたいなぁ顔