前回からか~な~り間が開いてしまった…
お久し振りです
上旬に登城仲間と人で弘前城に行って来たよ
別名を鷹岡城(高岡城)とも
弘前城は初代津軽藩藩主津軽為信(ためのぶ)が計画し、二代目信枚(のぶひら)によって築城されたんだとか
今秋から石垣の工事 が始まり、完了まで10年掛かるんだって
ということで
今の内にじっくり見ておかねばと、仕事終わりに新幹線に乗って弘前に行って来たよ
自分にとっては弘前城リベンジ
昨年夏に青森遊びに行った時は時間無くってじっくりは見れんかったからね~
まずは追手門
一般的に正面の城門の事を大手門と呼ぶけど弘前城は追手門と呼ぶらしい
弘前城には現在棟の城門が残っているのだけど、築城当初の弘前城が北向きのお城って事もあり、正門は北門だったんだって
だけど、街道の整備が進んで参勤交代の経路が変わったからこっちが正門になったんだとか
追手門を潜ったら杉の大橋を渡って~
南内門を潜って
二ノ丸未申櫓を
弘前城にはつの櫓が残っていてどれも三層三階建で良く似ているけれど、窓や妻の形が少しずつ違ってるんだって
二ノ丸辰巳櫓
この櫓で藩主が三の丸を通る弘前八幡宮の山車行列を見物したんだとか
下乗橋から天守を
ここは二ノ丸と本丸を結ぶ橋で、藩士はここで馬から降りるよう定められていたんだとか
天守と下乗橋とお堀
この景色が工事完了までの10年はお預けになっちゃうんだよねぇ
にしても、天気が良くて、青空と天守と赤い橋に新緑がめっちゃ綺麗だったよ~
天守閣
天守を含む本丸跡は有料区域になっているよ
下乗橋を渡って直ぐに券売所があるのでそこで入場券を購入
東北で唯一現存する天守だよ
築城当初は五層五階の天守だったらしいよ
落雷での火事と当時吊るされていた鐘の落下が原因で保管してあった火薬に引火しちゃったらしく、大爆発してしまったんだとか
爆発の火柱が20km先でも見えたとか、破片が8km先まで飛んだとも云われてるらしい
今の天守はそれから200年位後に建てられた物だよ
それでも、築200年経ってるんだけどね
当時は御三階櫓と呼んでいたんだって
具足や武器、生活用品等々展示してあったよ
そうそう、中にいた警備のおじさん(だと思う)が色々説明してくれたんだけどそれが結構面白かったよ
天守からの眺め
岩木山がきれいに見えたよ~
天守から下りて本丸跡を散策~
築城当初はこの場所に五層の天守が建てられていたんだって
焼失してからは櫓にしたみたいだねぇ
本丸戌亥櫓跡
子の櫓跡
他の櫓跡と違って此処は櫓の礎石が見れるようになっていたよ
本丸跡から見える岩木山もきれいだったよ~
春陽橋
この橋の手前左側は桜のトンネルって名前が付いてる散策路があったよ
桜の時期に見てみたいねぇ
春陽橋が掛かっている西濠では桜の時期になると貸しボートに乗れるらしいよ
春陽橋渡って一旦一般道に出て、時計回りに歩いて北門を目指す~
北門(亀甲門)
築城当時はこっちが正門
亀甲門って名前は、北方を守護する玄武っていう亀に蛇が絡まった姿をした神様が由来なんだとか
この門は大光寺城というお城の正門を移築したもので、実戦経験の無い弘前城内で唯一刀傷や矢傷などの実戦の痕跡が見れる門なんだって
二ノ丸丑寅櫓
東内門
此処までじっく~り見て回って所要時間は時間
凄くいい天気だったから、汗ダラダラ掻きながらだったけど、
楽しかったし満足したよ~
桜の名所と呼ばれたいるからね、いつかはその時期に遊びに来てみたいなぁ