毎日同様の仕事を続けていると、肉体的疲労の蓄積と同時に、精神的疲労あるいはストレスが起こってくる。
肉体的疲労はよく休むことで改善されるが、ストレスによるモヤモヤをある程度改善させなければよく眠ることはできない。
夜、自分の家で大きな音や大声を出すことはまずできない。カラオケに行けば金がかかる。コンサートに行ってもスポーツ観戦に行っても金がかかるし、プロ野球じゃああるまいし、毎日やっているなんてことはない。
結局テレビか、ネットに繋ぐことになることがほとんどなのではないか。しかし、そこにある「娯楽」の実態は「情報」であり、さらに「情報過多」の「ストレス」を与える。また「遊んでスッキリした」という「手応え」がない。ただ時間潰しをしたというだけの印象が残る。
あらゆる宗教は、ヒマな時に「お祈り」をすることを教える。仏教では「瞑想」を教える。
ユダヤ教やキリスト教では週に1回教会に集まってみんなでお祈りをした。
イスラム教でも同様である。
みんなで集まって声を出してお祈りを行い、楽器を奏で、歌を歌う。
「お祈り」や「瞑想」はアタマの状態をよくすることであるから、それを教えることは正しい。
だからこそ、「宗教」と言えるのかもしれない。
もしその宗教の教えがアタマを悪くするものであれば、それは信者に受け入れられずやがて自然に淘汰される運命にあろう。
そうは言っても、普通お祈りや瞑想の時間はそんなに長くはないであろうから、それが終わってまだ時間があると何をするのか。明日の準備に寝る準備。でもそれじゃあ何かつまらない。
またそもそも「お祈り」をしない人はまださらに時間がある可能性があるからそこで何をするのか。
ここで浮かび上がるのが、自発的に次に何をするのか想起する能力である。
この能力は、スイッチを入れるとすぐ時間潰しができる機器に親密になると劣化して、やがて消滅する。
ADHDとは、何かをしている時にその何かではないことを思いついてしまうことだと思うが、逆に何かを思いつかない人は苦しくなる。いや困る。どうしていいかわからなくなる。そこでおそらくまたスイッチを入れる。自ら好奇心のアンテナを広げることを捨象する。
人の人生90年の今、暇な時に自らするべきことを思いつく能力を伸ばせなかった子どもたちの未来は暗い。