これまでもそして現在も、私の教える仕事の大半は「学習困難」を解決することである。
そしてその問題の多くはカタカムナ日本語古典音読を習得させることで解決される。
いうまでもなく私は、セッション、カウンセリングを交えながら音読を教えて行くが、私がこれに最初に気づいたきっかけは、『徒然草』序文を一音一音切って読むと、読んだままに意が伝わり、その結果、現代文も読んで理解することができるようになるということを偶然「発見」したことだった。その結果、私はあらゆる教科学習学問の礎となる日本語の能力を高めることができる教師となり、その応用の受験では勝ちまくりになった。
しかし、『徒然草』が読めるようになっても、それ以前の平安古典の『枕草子』や『源氏物語』が読めるようにはならない。
なぜだろうか。
そもそも『徒然草』の音読をすると、明治以降の現代文まで読み易くなってしまうのはなぜか。そのことすらまだその理由がわからなかった。
しかし、古典を読むと現代文が読みやすくなるのは理にかなったことに思え、であれば平安古典が読めるようになるにはそれ以前の古典を読めば良いのかも知れないと、『古今集仮名序』を一音一音音読すると、『枕』や『源氏』も読みやすくなることを確認した。
ではその先の『万葉集』、『古事記』を読むには何を読めばいいかと求めると、それは「ない」。
ところがある時偶然知ったカタカムナを用いると『古事記』も『万葉集』も読めてしまうことがわかった。
これはカタカムナが『古事記』などに先行する音声テキストであったことを暗示する。
カタカムナは日本語に潜む原音の一つなのである。
限りなく無神論に近い哲学人間が、その稼業の国語指導で、まだなんとも認定し難いカタカムナを用いる。
その理由は、その効果が大き過ぎて否定できないからである。
カタカムナ音読を行うと、日常会話で相手の言っていることが深く捉えられるようになる。また何かを言おうとしても予め考えて口にする必要がなくなる。言葉が思いより速く出てしまう。つまり、言語能力が「高速化」される。これによって、集団内の言語コミュニケーション力が伸びて、いじめなどを受けることはなくなる。おまけに授業が聞けてテキストが読めるようになるので、その気になれば自分で勉強を進めることができるようになる。また学校はそういう生徒を欲しがるから面接でも入学できる。さらに驚くことは、文章が書けるようになることである。私の生徒は皆作文が超得意で、日頃日常文章を書く習慣を持つ。小説を書く者もいる。
このように、子どもの学習能力を高めたければ、まずカタカムナと古典文音読をすることが正着であることが明らかになる。
しかも、カタカムナ音読を行うと、感受性が高くなる、直勘力が伸びる。イメージ力や着想力も伸びる。
これは「事実」なのである。
カタカムナの音は、脳内に何らかの言語起動的作用を齎す。
つまりやったもの勝ちである。
だから私はそれを日本中の子どもたちに機会均等に与えることが正しいと考える。
子どもがみんなカタカムナを耳にしたり口ずさんだことがあるようにする。
すると、日本人の言語文化全体が高まる。日本人というのは人種のことではない。日本語を使用して生活する人々の総体である。
国民全体の言語文化が高まれば、より発展的な未来社会の形成が可能になる。
というわけで、カタカムナを日本人に広めるどころか世界に広める会で、26日に講演者として登壇するが、私がするのは、上記の説明と、徹底的なカタカムナ音読の予定である。
関心のある方は当日会場に来ることもZoom映像視聴も可能なので、以下アクセスして見て欲しい。
https://youtu.be/JNYc6d4pOjY?si=loJC3f0xL-ggZ6bD
https://youtu.be/8VLxgcBiq_8?si=TE_XtjVtvcnGbSmZ
「カタカムナを世界に広める会」
https://www.kokuchpro.com/event/e2442ce107ad49b291919a5e35119197/