木屋旅館について | JOKER.松永暢史のブログ

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山陰鳥取県西部に威容を誇る伯耆大山(ほうきだいせん)は、中国地方の最高峰(1729m)の死火山であるが、この大山の西側を西伯郡、東側を東伯郡と呼び、各々米子市、倉吉市を中心都市とする。県庁所在地の鳥取市は県東部にあり、そこはかつて因幡国だった。

鳥取県の人口は約54万人で、全国で一番少ない(2位島根県:65万人)。倉吉市(人口約4万3千)を除いた東伯郡(三朝町、湯梨浜町、琴浦町、北栄町)の人口は約5万人であり、人口密度は97人/㎢(東京:6479/ ㎢)である。

他にない高濃度のラドン温泉を有する三朝温泉は、岡山県との県境の人形峠の約10km北方にあり、三徳山から流れる三徳川河辺に位置する。

この三朝温泉の老舗、木屋旅館は、明治元年(1868年)創業である。

庄屋名が「木屋」であったと言うこれを始めた人は、この温泉の類い稀なる効能を確信した人であったに違いない。

三朝温泉には岡山大学医学部の病院や研究所もある。

この木屋旅館の現在の若主人は、先祖伝来の「旅館道」の核心を突き進もうとする人物である。

その血は、この地域では他には見られない文化的感性を持ち合わせた祖母堂、故御舩道子氏から受け継がれた。

宮沢賢治「カンパネルラ」の流れを汲む彼女は、とにかくいつも良いことを考える。自分の信じた良いことばかりすることを心がける人だった。

その彼女の、藍染の師範を初めとして多種の活動の中でも、特筆すべきものは、絶滅したカジカガエルの復興の実現である。

三朝で途絶えたカジカガエルを絶やすべきでない「宝」として、岐阜のダム工事で水没する地域のカジカガエルを貰い受けて繁殖させ、三朝の地でその声をよみがえらせる。

三朝河瀬にカジカガエルの声は欠かせない。

私にとって、夏季の三朝河瀬の「コロコロ」というカジカガエルの声は忘れがたく深い記憶の一つとなっている。

私は幸運者である。

とある偶然から、この三朝温泉と縁づいた。

そのきっかけは今から20年以上も前、偶然訪問することになった倉吉の占い師の、「助けて欲しい人がいる」と言う相談だった。

それが当時14歳の、木屋旅館の後継の少年だった。