15日からの海老澤研展に寄せてーその4 | JOKER.松永暢史のブログ

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明日は14日朝は満月、そしてその翌日15は海老澤研の個展が開かれる。

もうそれには間に合わないかもしれないので、いささか端折って書かざるを得ない。

なんの素養もないのに、そもそも絵を描かない私が、知り合った芸術家たちには「具象」つまり静物画や風景画を描く者は一人もいなかった。

彼らと付き合い続けるために、私は彼らの仕事を正当に評価する必要があった。これは自分の感覚に合わない場合にはそれを遠回しに言うか、いや沈黙する必要があった。しかしもしも彼ら全体がやっていることを抽象化できれば、私は彼ら芸術家と柔軟な距離を取ることができるはずだった。

私は、自らの感覚で多数のシュルレアリスム作品を見た時、そこに究極結果的にあるのは、一言では言えないが、「無意識世界の配置美」の探索とその表出であると思った。この観点、すなわち無意識世界の配置美を持っているか否かでシュルレアリスム作品を見ると、「優劣」というか、後々の価値判断の根拠になるものを見極められると思った。

その中でも最も印象に残ったものの一つはマックス・エルンストの『都市の全景』連作(1934/1935年)だった。

 

 

超現実主義・シュルレアリスムが追い求めた認識実験の究極、それが無意識世界の配置美だったことを「証明」する作品だったと思われるが、オートマティスムにこだわりすぎたブルトンによって、エルンストはダリとともに「除名」されている。

では、これに続く抽象アートが行ったのはいかなる「認識実験」だったのか。

以下は今日届いた写真。午前6時。天神川河口あたりからの撮影か。方角は西北西。