組織に属したことがない私には、公式な肩書きや所属や「履歴」がないので、講演などで紹介される際のプロフィール作りにしばしば苦労することがある。
自分では、「教育環境設定コンサルタント」と称するのが割と正しいと思うが、これでは何をしているのかよくわからない。
これは、その子どもに合わせた能力開発とそのための教育環境を整えることをアドバイスするというコンサルタンティングである。
子どもの能力を伸ばしたい、もしくは順調に成長させたい、そう考えたときに必要なのは、まず子どもの気質や潜在する能力を把握し、その上でそれが阻害されずに伸びる教育環境の設定ということになる。
しかし、どうしてそんなことが可能か?
個人教授を長く続けていれば、子どもが伸びる伸びないはその家庭環境に大きく左右されることが明瞭になってくる。
子は親の鏡。
これはよく考えてみれば当たり前のことで、他人の子を教える立場にある教師なら誰でもそれを知ることであるが、逆に子育てが初めての人には自覚しづらいことである。
兄弟数が少ない家庭に育ち、自分よりやや年齢が低い子どもたちと同一環境内で生活する経験が少なく育った人たちが、初めての子どもの教育をどうしたら良いかわかるはずもない。それはわかるとしても子育て終了後に知れることなのである。
反面、他の子どもと比較して自分の子どもの成績が悪いと「恥ずかしい」と思う親も少なからずいて、あるいは子どもを自分が夢見る学校に合格させようと祈願して、そのために「受験熱」に繋がる仕組みになっていることは読者もよくご存知の通りだ。そしてその人たちが成功する確率は低い。
講演依頼者の多くは、是非そのことを話して下さいと口を揃えるが、それは自分たちからは言えないことだからである。
しかし実際は、親が「バカ」だと子は賢くならないという当然の「現実」が横たわる。
つまり、子どもを賢くする、子どもの学力を上げる、子どもを順調に伸ばす、子どもを志望校に合格させるなどのために欠かせないのは、まずその親を賢くする、もしくは自らの置かれた状況を客観的に判断する能力を与えるということになる。
したがって教育環境設定コンサルタントのするべきことは、子どもだけではなく、親をも賢くすることになる。
人はなぜ子を産み育てることをするのか。
それは、それがその人にとっての最も大きな社会的成長をもたらすものであることがその大きな一因なのではないか。
子が「種」で、やがて「花」や「実」を齎す。
我々は子を育むことによって「大人」になる。
「大人」になるには子どもを育む経験が欠かせない。
私のレッスンの他にない特徴は、小学生の場合、そこに親が同席することである。親が子どもと一緒に授業を受けることにより、子どもの実際の学習状態、発育状態、また潜在可能性能力を把握し、それに接する仕方を整えることによって、親が賢くなっている(もしくは賢くなろうとしている)状態の下で子どもが順調に伸びるように環境設定することである。そしてこれは親子だけではできない。「第三者」がいないと不可能なことである。
まだ若いうちはわからないが、90年もの人生を与えられてそれが納得できるように生きるためには「智慧」が欠かせないことは明らか。
それは自ら伸びようとする習慣、自分が発達していることを実感する習慣を身につけることである。
その人なりの成長の実感の連続を習慣づけること、それが教育環境設定の目的である。