各紙報道では、2023年度の全国小中不登校者数が34万人を超えた(3、7%/文科省発表)とのこと。
そこに、おそらく文科省の言葉であろうが、「通学に無理しないという価値観の広がりが増加に影響した可能性がある」という文言があった。
「通学に無理しないという価値観の広がり」―これは、「多くの親が子どもを積極的に学校に行かそうとはしなくなった風潮」と言う意味なのか。「通学に無理しない」のではない。「通学できない」のである。どうして「価値観の広がり」などと言うのだろうか。そしてどうしてそういった「価値観」が広がったのかについては言及がないのか。そこが一番重要なはずである。少なくとも、「文科省教育が時代遅れになっていることが不登校の増加に影響した可能性がある」と言えばそれで良いではないか。
「影響した可能性がある」これは、全然別の原因があると言う意味なのか、それとも単に「かもしれない」と言うニュワンスで使っている言葉なのか。なぜ「大きく影響したと認識している」と述べないのか。
この「主部」と「述部」を繋いで文章を作ることに意味があるのか。
「通学に無理しないという価値観の広がりが(不登校の)増加に影響した可能性がある」
どう考えても、そう言う意味がない。意味がないからわからない。
「不登校の増加は既成の文科省下学校教育が受け入れられなくなっていることの象徴である」とどうして言わないのか、書かないのか。
これは明らかに「韜晦」あるいはトボケている文面である。
そしてその「対策」はどうするのかと言えば、カウンセラーとソーシャルワーカーを増やし、不登校特例校「学びの多様性学校」(ウプッ)の拡大などを急ぐとのこと。そんな余計な人材などあるはずがない。
これは分かっていないのではない。
分かっていないふりをしているのである。
「ゴマカシ」をかましているのである。
いやもうどうしようもない可能性が高いと言うのが本音なのかもしれない。
新聞記者たちも「グル」である。本当にけしからん。
不登校がこんなにも増大しているのになぜその本当の理由を取材・調査して書こうとしないのか。
それは「上」がそうさせないからか、指示しないからであろう。だからこそ「グル」なのである。
高学歴従業者たちが、多くの国民を、まるで下等な種族のように見下す。
自分たちのことは棚に上げて、完全に手の負えないバカ扱いする。
たとえ気が付いたとてどうしようもないことがわかっている。
「服従」に従わない者は「別扱い」。
「情報」を鵜呑みにしないものは「お客」にならない。
とにかく教育の改革は、これまで通り、自民党が政権を取り続ける限りあり得ない。教育を改革したら自民党は自滅する。国民を賢くすることは野党支持を増やすことだ。しかし、野党もその気概や知恵を持っているものは少数であろう。そして主要メデイアを構成する人たちも教育の改革を望んでいないのは明らかである。
子どもたちがこんなに苦しんでいるのに、それを平気で無視し続ける「大人たち」はいったい何者なのであろうか。
と、思わず「冗談」で書きたくなってしまった。