自分とは何か?を伝えることが難しいことについて | JOKER.松永暢史のブログ

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この秋、主にカタカムナ音読の関係で講演をする機会が多くなっているので、そういった場で話すことを考えるうち、改めて自分という人間をどう紹介していくのが正しいのかと思い悩んでしまう。

私は個人教授の仕事で50年近く生きてきただけの人間であり、特に誇れるようなものは今のところ何もない。

自分は自分の人生を生きたいように選択した結果こうなった人間にすぎない。

私は、17歳で、過敏症と甘えのために、自己の存在理由を幼稚に突き詰め、その結果自殺を選択することが正しいと思うようになった。

でもそれは成せず、その結果哲学を選択することになった。

今思うと「哲学」は、わざわざ大学で学ぶ必要のないことであったが、自殺を諦めた私にとって、社会に出る前に、「いかにして生きるか」を決定することは何よりも重要な眼目であった。

私はあらゆる宗教古典を読み漁った。仏教、儒教、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教・・・。

今にして思うとこれが私のリベラルアーツの起点であるが、多く宗教書の教えの共通点を抽象化すると、それはとどのつまり、

「良く生きなさい。そしてそれを周囲の人のために使いなさい」ということに他ならなかった。

なんと単純なことよ。ただそれだけかい。

同時に私は、21歳の時、ムンバイ〜パリ間自動車旅行の体験で意識変換し、

「男は、いのちと体が無事で、次の行動の選択が自由であれば、文句なくそれだけで充分ラッキーである」と確信し、日本人社会の中で「アウトサイド」することを選択した。

また、「哲学」方面については、「不完全な言語で哲学的真理を規定しようとするのは不可能で無意味。体験と認識と決定と行動があるだけ」として、不完全な言語を弄んでそこに何か新しいものを見つけ出すことをしようと考えて、「冗談文学」を構築しようと決断した。

さて、その冗談文学を構築するに当たって、その登場人物のモデルを数多く集めるにはどうしたら良いかということが課題となる。

当時は1980年代、皆バブル崩壊に向かって一流企業に勤めるために受験勉強して大学に入っている者ばかりで、全然面白くない。小説の登場人物になり得ない。とはいうものの、「ドン・キホーテ」、あるいは「ガルガンチュア」のような超可笑しい人間モデルは滅多にいない。

オモロい人間はどのようなところにいるのか?

これはいまだに続く私の好奇心の中心にある事柄の一つである。

こうしたことの「背後」で、別のことが進行した。

それは、新たな海外旅行資金を稼ぐために家庭教師のバイトに本格的に身を入れ始めたことであり、同時に数年付き合った女性と結婚することになったことである。私は日本人組織に属さないことにしていたので、就職をするつもりはなかった。やがて子どもも生まれ、テレビを捨て、自然食的傾向が強い食生活をするようになった。そして私は、とりあえず唯一の仕事である個人教授で生き残るにはどうすれば良いかを強く意識するようになった。

こうした最中に、26歳の時に矢田由親著『FOUR WINDOWS』に出遭い、「ヴィパッサナー」を体験し、自分の生き方をさらに方向づけることになった・・・・・・

 

だめだ。ベラベラ書くばかりで、うまく短くまとめることができない。