なぜ我々は子どもを賢く育てたいのか? | JOKER.松永暢史のブログ

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子どもの時はそうではないかもしれないが、10代以降になると、何かの事件かきっかけで自分がそれまでよりも明らかに賢くなったと感じた時、そこにそれまでの自分が愚かであったという認識が起こる。20代以降もこれは続くが、40代に入った頃からこれは無くなることが多い。もちろんそういうことを感じないで生きる人もいる。

賢くなるとはそれまでの自分の愚かさを知ることでもある。

これは、賢くならないとは現在の自分の愚かさを知らないということである。

この命題はきつい。

今の自分でどこが悪い。こうして働いて家族を持って楽しく生きている。

どこにも問題がない。

賢くなる必要がない。

だがしかし、多くの親が子どもを賢くしたいと思うのはなぜであろうか。

賢くなるとはそれまでの自分が愚かであったことを知ることでもあるから、賢くなった者はその環境内にいる変化しない人が愚かであることを知る。親をバカにすることもありうる。

それでも子どもを賢くしたい。

それは経験的に賢くないことが不利であることを知るからであろうか。

それとも賢いことが「得」だからか。

―なぜ我々は子どもを賢く育てたいのか?