解体現場で働く外国人 | JOKER.松永暢史のブログ

JOKER.松永暢史のブログ

教育相談、執筆・講演依頼は松永暢史公式サイトよりお願いします。

私の住む吉祥寺は、年がら年中古い家を取り壊して更地にし、多くは3軒分の土地に分断されて売り出すことが繰り返されている。そしてすぐにそこに新しい家が建つ。この3ヶ月間に自分の家の周りだけでも半径20メートル以内で、4軒の取り壊しがあり、一つはすぐに家が建ち、一つは3軒用更地になって売り出し中で、さらに一つは取り壊しが終わって建設中で、今このデスクの目の前の隣の隣の家は取り壊しの最中である。

私は、子どもの時分から、ちんどん屋から始まって大工さんなど作業している人を見るのが楽しみな性分なのだが、今は解体工事を見るのが面白いので、たまに立ち止まって眺めてしまう。

解体工事現場に日本人の姿はない。

何人かわからない外国人がいる。

話している言葉も何語かわからない言葉である。

髪は黒く、肌もこれは日に焼けているからか赤黒く、ヨーロッパ系ではないけれどもインド的でも東南アジア的でもない人たち。多くは口髭を生やしている。

彼らは決して清涼飲料水を飲まない。いや、買わない。食事も自分が作ってきたパンのようなものに何か挟んだものを食べて公園で水を飲む。

なんでも聞きたくなってしまう性分はやめられない。簡単な日本語なら通じるだろう。トラックの運転席にいるリーダーらしき中年の男に尋ねる。

「どこから来たの?」

この答えは意外だったがかえってありがたかった。

「カワグーチ」

「ノーノーノー、あなたの国はどこですか?」

「チュルク」

彼らはトルコ人で、おそらくクルド系の人たちなのである。

彼らは長野の山の中にいた人たちと同様、元いた所では生活していけないので、職を求めて国外に出た人たちである。

クルド人は人口約3000万人。彼らの住むクルディスタンは、シリア北東部、イラク北部、イラン北西部、アルメニア南部、そしてトルコ東南部の国境近辺にまたがる地域で、もともと極めて古い歴史を持つ民族であるが、大国の圧力や諸所の条約や協定で分断されてきた。彼らは繰り返し独立を試みるが、長年に渡りトルコとイランの軍事的圧力に苦しめられ、シリア内戦でも酷い被害を受けている。

45年前に、イラン西部タブリーズから夜間戒厳令の中、トルコ東部エルズルムを目指して走行中、銃を持った人間に囲まれて尋ねられた言葉は、「コミュニスト?!」だった。

「ノーノーノー、ジャパニーズ」と答えると、彼らは顔を合わせて何かモゾモゾ言い会うと、銃の先で「Go!」と叫んで、そこを通した。今思うと彼らはクルド人だった。

1983年だったか、カンヌ映画祭でパルムドール賞受賞のユルマズ・ギュネイ監督の『路』を観た。これは期限付き仮保釈中の男たちが遥か遠くの故郷を訪ねることの苦難を描いた作品で、クルディスタンの美しい草原と対照的に、どうにもならないクルド人の絶望的状況を描き出していた。

今まで続いていた解体用機械の音が止まって急に静かになり、そこに例の何語かわからない言葉の会話が聴こえてくる。

10月9日はスポーツの日で祝日だったが一日中雨だった。朝傘をさして、仕事に出ようとすると、解体現場にはずぶ濡れの外国人たちの姿があった。彼らは雨具を持たない。ずぶ濡れ姿で働いている。

彼らは知らないのだ。実は日本が休日なことを。

彼らはとにかく喉から手が出るほど日当が必要なのだろう。

日本の解体現場で働くのは外国人ばかりである。

休憩時間が終わったのか、激しい音で解体作業が再開された。