今年の夏ー植物と動物たちの語ること | JOKER.松永暢史のブログ

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雨が降ったのに、まだまだ残暑が厳しい。

それでも、夜寝る時はエアコンを切ることができるようになった。

自室水槽のメダカの稚魚は、二つあるもののうち、先に8月初旬に生まれた30匹ほどが入っているもののは、もう2センチくらいになり、池に放しても大丈夫そうだ。その隣の第2陣は、針子の状態を脱して白く色がつきつつあるが、まだ1センチ程度でこれでは他の魚と一緒にすれば食べられてしまうから、このまま飼うことが必要だ。問題は今週後半から関西方面旅に出ることである。

今夏は久しぶりで鳳仙花を蒔いたが、これが背丈近く大きくなったジャングル状態で、しかもそこに巨大なイモムシがうじゃうじゃいる。これはセスジスズメガの幼虫だそうで、最初のは花が咲きかけているのですべて駆除したが、2回目に現れた時には放置しておくことにした。幼虫は、初め細長い5センチくらいの黒色であるが、そこに空飛ぶ円盤のようなエメラルド色の「目」が点々と並び、これなら鳥が気持ち悪がるかもと思える。それがやがて長さも太さも人指し指ほどに成長し、色は薄い灰褐色で親の姿をやや想像させるようになった。とは言うもののイモムシ。昆虫は成虫になる前に蛹になる。ここで立ち止まって、「はて、なぜ昆虫は蛹になるのか?」「これは人間だといつにあたるのか?」「蝉は蛹で出てくるのか?」などとダイアローグしたりしてみるが、もちろんその答えは返らない。鳳仙花の根本に枯れ葉を集めて敷き、蛹化を助けることにする。

玄関先の鉢植えのアシタバには例年通りアゲハの幼虫がつくが、これは去年に比べて少ない。これはいつも蛹になる前に突然姿を消すので鳥に食べられていると思われるが、少数の今年はどうか。

クレマチスは元気なかったが、夏の間ちっとも咲かなかった朝顔がどんどん花開いている。何回も水替えをしてきた池のオオカナダモは繁茂し過ぎて水底が全く見えないが、その間をメダカ(親)たちがスイスイ泳ぐ。ここに子メダカを放し越冬させて、春にカエルたちが産卵に来るとどうなるのか。

これまたなぜかよく開花しなかったグラジオラス群はまだ青い葉っぱのままなので、しばらく球根を収穫しないことにするが、これを片付けた後は、膨大な量のフリージアの球根が待っている。スイセンも同様、去年同様多くの人に配る必要がある。

大鉢のテッポーユリは、夏の初めにものすごく茂っていたが、これまたグラジオラス同様で花は少ししか咲かなかった。葉が枯れたので球根を収穫したが、小さいものばかりで、これはやっぱり地面にある程度の間隔を置いて植えないとダメだと知る。まあそれなりに花をつけた庭の池の隣のテッポーユリ群はそのままにすることにし、その上に徐々に刈り取った鳳仙花を「肥やし」として重ねている。

オクラは元気。どんどん花と実をつける。そしてそこにアリとアブラムシがたかるので、毎度それを水で洗い落とす。その隣ではニラが、シュッと伸びた細い茎の先に白い小さな花を咲かせ風になびかせている。さらにその横の車の陰のところからは彼岸花の芽が地上に姿を現し始めている。 これらはすでに秋の光景である。

その他雑草と蚊との戦い。こんな狭い敷地でしかもベランダ栽培を禁止されて、地面の見えているところには皆何かを植えてしまう。おまけに数多くの植木鉢とプランター。

薬草を植えればシャーマンであろうが、それでもこうして例年多種の植物を相手にしていると、いかに今年の夏が異常であったかわかる。

台風の大雨が降る直前、1階のトイレに尾の切れたヤモリが出た。家人が騒ぐので駆除したが、それは雨が上がってからだった。ヤモリは大雨を予兆して避難したと思ったからである。「易」とはトカゲの象形文字であるが、古代シャーマンたちは爬虫類を飼って観察し異変の予兆を知ったという。それが「亀卜」(きぼく)に繋がったという。外では、サルスベリの濃い桃色の花が目立つ。

今週はプールが休みだったので、執筆・デスクワークの気分転換は、もっぱら植物とメダカの観察になった。早くもっと視界のひらけた山々の景色を目にして滋養したい。そして友に会ってゆっくりと話をしたい。

これを書いた後で、墓参りに誘うために母に連絡して、ついでにメダカの世話を頼むと、引き受けてもらえることになった。