新学期を前にした28日中教審は、文科省に対して、授業コマ数や勤務間インターバルの導入を図るように、働き方改革の「緊急提言」を行なった。これは、激減する教員数の確保を促すものの一環であろうが、すでにそのような動きもある中、知識人団体が「追い打ち」をかけるのはなぜなのであろうか。それは中教審がアイデアが出せない人たちによって構成されているからではないか。もしくは「夏休み」を満喫していたからではないのか。
生徒は不登校か公立以外の教育を選択し、教師は精神疾患で次々に辞めて採用試験にも人が来ない。
なぜこのようなことになるのか。
それはその元となる旧弊化システムを改めようとしないで、小手先の対策ばかりやっているふりをしてお茶を濁そうと言う、極めてアタマが悪い高学歴者が教育の主導権を握っているからである。
森さんはまだご存命のようだが、自民党文教族はロクなことをしない。いや子どもたちにとって本当に大切なことはしない。勘違いしている。「神の国」の未来のためになることをしない。自分たちの利益の温存のために、教育という真の国益を生み出すものが荒廃していくことを黙認し続けた。地方で選挙に勝つために、国語力がつかない学校教育を容認放置した。
そもそも、どうして中学受験が加熱したか、続いて小学お受験が盛んになったか、さらにはどうしてお金がある人がインターナショナルスクールや海外留学を選択するようになったか。一方で大学入試は、どんどんAO化されて、一般入試を通じての受験勉強などナンセンスなことになってしまう。そして無意味な暗記学習のセンター試験は継続されることになった。新規の問題を見れば、もはや作成する側が嫌気をさしているようにすら思われる。そこへどんぶらこっと、IT、AI、どころかChat-GPT。しかし、ここでその恩恵を受けるのはすでに読み書きがしっかりできる者だけ。彼らにあっては仕事が楽になって笑いが止まらないことだろう。
子どもも親も教師も、教育についてマトモな感覚の人は、現在の学校教育がもはや「時代」から完全にズレた、根底からオカシなものになっていることがわかる。そこでは本来子どもに与えられるべきものが与えられていない。
しかし「エセ」ともいうべき知識人団体の中教審は、これまで通り砂上の空論か、小手先ばかりの小案を示すばかりで恥を知らない。
文科省同様に、NHK同様に、国民を自分たちから見て「バカ」と見做さなければできないはずのことをしている。
2学期が始まる。
でも何も変わらない。
お金のある者から私立校やフリースクールやインターナショナルスクールや海外留学を選び、そうでない者は不登校を選択する。それもできない者は特別支援学級に送られる。
もしシステムを変えたとしても、もはや未来型の教育に適応できる能力を持った教師たちは数少ない。教育学部の多くも死んでいる。
子どもたちの学力テストの前に、教師の学力テストを義務付けよと言いたい。子どもにやる前に、教師たちの職業適正ウィクスラーテストを実施しろと言いたい。スピーキングテストも教師に先に受けさせろと言いたい。ついでに文科省官僚の子弟の公立校利用率も調査発表してほしい。そうしたらもっと教師になる者が減ることだろう。
どう考えてもどん詰まり状態に見える。
これでもこの状態を放置しても平気なのはなぜか?
それは、それに気づかず平気なほど、人々を愚かな者に見立てているからにちがいない。
もちろんその代表が、歴代の「政権」であるのは言うまでもない。
体制側は、経団連と協力して、ますます多くの「娯楽商品」の提供により、鎮静と忘却をはかり続けることだろう。
普通の人々は、自分の子どもが不登校にでもならない限り気がつけないし、気が付いたとしても「打つ手」がないことを知るだけである。
それにしても、やる方も平気ならそれを受ける方も平気というのは不思議としか言いようがない。
まあそれも、「教育の成果」と考えれば納得がいくが。