ウナギ取り名人ムチャチョの話ーその5 | JOKER.松永暢史のブログ

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その日の晩餐は、もちろん鰻丼だったが、これはウナギの量とご飯の量が逆転した鰻丼だった。全てムチャチョが水場で捌いて炭火で焼いてくれた。無茶著亭天然鰻の味は「松」の上の極上だった。「極上」には「コリコリ」もある。我々はまるで動物になったようにそれを食べた。これまでこんなに旨いウナギを食べたことはなかった。「大満足」とはこのことであった。

「いつも獲れるんですか?」

「それは季節にもよりますが大体年中」

「それはどうしてなんですか?」

「僕には見えるんです。そこにウナギがいるということが」

「だったら、売って料理店に下ろそうとか考えないのですか?」

「いや、こうして実際魚を獲っている自分が言うのはなんですが、これは獲られて殺される魚の方から見れば最悪のことです。しかし、我が家にはこれがほぼ唯一のタンパク源です。また彼らも自己の生存のために同じことをしているのです。我が家が食べる分だけ獲るなら許されると思ってやっています。自分に鮎の投網漁を学んだ修験道の和尚さんが、冷たい川に入り過ぎて足を悪くした例もあります」

「サルはどうするのか?」

「これから狩猟免許を取得するつもりですが、時間がかかります。それまで共存です」

全てのことがあらかじめ考えられて決定されている。しかも臨機応変である。

「生活芸術家」―それは作品だけではなく、その人の生き方そのものが「芸術的」であることである。そしてその「芸術」とは、限りなく「人間的」と言うニュワンスに近い。作品があるから芸術家なのではない。生活そのものが「芸術」で、その部分に作品があるのが「生活芸術家」である。ドン達哉ムチャチョと澤裕美夫妻はそれを体現していた。

それにしても、彼らが、どうして長良川から熊野山中に居を移したのか、それを聞くのを忘れてしまった。

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「・・・てなところが、熊野のウナギ獲り名人の話。それにしても、今思うと、なぜあそこにムチャチョがやって来て、自分の家に連れて行って、そしてウナギ獲りを見せたのか、わからない」と、助手席の「魚突き男」に言うと、魚突き男は、

「それは多分、先生のことを同類と思ったからじゃあないですか」と言う。

同類?それはどのような「範疇」を視点にした「同類」なのか。

分かっているのは、ここでも向こうの方が「一枚上」の存在ということ。

自分はただ「旅」で流れていただけ。

今回これを書くために改めてネットで調べたが、ムチャチョはその後も熊野に住み続け、数多くの作品の制作・発表を行い、数多くの賞も受けているようで、その活動は眼光同様、光を発していた。

熊野には何かがある。瀞八丁も玉置山もある。他に多くの「聖地」がある。ゆえに今年はできたら熊野を訪問したい。ついでに天川も寄るぜいよ。和歌山県でカタカムナ音読会の主催を希望する人がいれば、是非申し出て欲しい。そうしたらきっとムチャチョに再会できる。(『ドン達哉ムチャチョの話』―了)