歌詞作について | JOKER.松永暢史のブログ

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玄関ミラーDIYでなんとか設置。

水槽水換えホース接合OK。

今朝は遠地点で穏やかで涼しい。

朝起きると、昨夜送った歌詞に友人が曲をつけて送ってくる。

Chat-GPTじゃないんだよ。

映像付きだ。

「味」がある。

こんな愉快なことは少ない。

元気が出る。

散文を書くことに飽きて、詩を書こうとする。

それも誰かが歌をつけそうな歌詞を作ろうとする。

散文の時は机に向かって何かを始めれば何かができてしまうものだが、「詩」だとそうは行かない。

詩は、やってくるのを待っていないとやってこない。

散文は自分の中にあるものを出している感じだが、詩は外部のどこからやってくるものを待って捉えるものであるところが面白い。

じゃあ散文書きながら詩も書けばいいじゃんと思うかもしれないが、そうはなかなかいきません。

でも、自分がこんなことをしているなんて、これはもうどこかシンクロしていて、焚き火同様、5年10年も経つと、みんながそんなことをしているのかもしれない。月の遠近WAVEだって昔は誰も知らなかった。それが今は「スーパームーン」だ。

楽器演奏できない自分が歌を作る。するとそれに知人たちが曲をつけてくれる。

中には、「自分で歌え」などと言ってくる人もあるが、自分で歌うと小っ恥ずかしくてやってられない。

人が声に出して歌いたくなるような詩を作る。

しかし、その作者は匿名である。