22日夕、リベラル初級は、幸運で幸福な生徒たちと、『ソクラテスの弁明』を最後まで読み切った。
筆者は浪人中に中村元博士訳の『般若心経』を読んでなぜか正体不明の深い感銘を得ていたが、大学入学後に『ソクラテスの弁明』を読んで、「これは受験勉強なぞする前に読んでおくべきものだった」と大きく後悔した覚えがある。
その「仕返し」がこれである。
大学進学を目指して受験勉強をする前に読んでおくべき必須本、これを読んでいない者は大学というものに通う意味がないという書物。
しかし現在、中高生諸君でこれを読んだ上で大学に進学する者は稀であろう。だが、おそらく大学の先生は皆これを読んでいるであろうから、大学に進学する者は当然このような教養を持ってほしいものだと思っていることだろう。教養課程で読んでも遅くはない。
ソクラテスは、「神」について語り、自分が潔白であることを論理的に証明し、「財産と社会的地位の獲得を第一義にして、個人の魂の最高の向上可能性の追求を忘却することがあってはならない」と語り、その上で自分がこれまでしてきたこと(対話によって覚醒を促すこと)をやめるつもりはないことを宣して投票によって死刑が決定される。その後ソクラテスは死後の世界について、「もしあったとしたら」というニュアンスで語り、自分が死を恐れないことを言明する。
参加者たちは、少なからぬ「ショック」を受けた。そして「ソクラテスは正しいが、今の世の中では実践できない」と口にする。また、どういうわけか、「死後の世界」は想像に過ぎないと皆答えた。そして、このような本を読む機会を与えた親に感謝すると言った。
世の中には、学校の勉強なんか以前に学ぶべき教養や体験がたくさんある。
しかし、財産や社会的地位の獲得を優先して学問を行えば、それは結局人生のためには無意味なことになってしまう。
余暇時間に何をするべきか。あるいは自分にとって良い何かをするための余暇時間を捻出するにはどうしたら良いか。
こう考えると、学校に無駄な部分が多いことが確実に明らかになってくる。それでもそこを有効に使って過ごすにはどうしたら良いか?
授業中にChat-GPTで過ごす?
そんなことも起こるかもしれないが、そのためにはそこに書かれていることを理解する言語力と、判断する教養が欠かせなくなる。
リベラルアーツ初級は、次回5月13日『クリトン』を読む予定。女子の参加者も歓迎する。
今日23日午後は、『徒然草』音読・会読会。第20段以降を一気読みする予定。
EDORGが収録。Zoomでも公開するが、そのために庭のフリージアを切って持っていこうと思う。おヒマのある方の飛び入りも歓迎する。ただしテキスト(岩波文庫)は予め購入持参されたい。ものすごく音読がうまい人たちの集団に接するだけでも意味があると思う。
春過ぎる前に旅に出たくてウズウズするが、土日のスケジュール詰まって6月まで動けそうにない。しかしそれでは新緑遠景が楽しめない。