この週末は色々あった。
奥多摩へは、生徒のことはともかく、自分が焚き火に当たるために出かけた。
都市生活的習慣による創造エネルギーの不足を、なんと言っても最大限に満たしてくれるものは焚き火の炎に他ならない。
受験生でこれに来ない者は「愚か」としか言いようがない。
「わかっている者」が、その活動の継続発展のために、「判断・実行」せざるを得ないこと。
スキーでもサーフィンでもフィッシングでもいい。机上学習のためには、自然エネルギーが欠かせない。
そのことがわかること。
「怠惰」でなくなること。
受験する学校だって、実は元気で好奇心に満ちた、生い先の長そうな子どもを採ろうとするにちがいない。
この経験的「真実」―これがわからない者が塾の冬季講習に引っかかってそれを自覚することがない。
教師も生徒も意味なく疲れてコロナ・インフルエンザ。それならスキー合宿にでも参加する方がよっぽどいい。
正月は休んで「英気」を養うことが肝要。
しかし、「初動」即フルエンジンに構えるが、7日に満月過ぎると即8日遠地点ともどかしい。
そして、密かに22日新月・近地点に向けて大盛り上がりの後、穏やかに上弦過ぎて2月となる(以上、Moon Wave Project 2023 Moon Wave Note/カレンダーによる)。
「勝負」より、確実にこのWAVEコンデションをこなし、淡々となすべきことをした者が「無事」になるWAVE。
それを知ってそうすることを「覚醒」と呼ぶ。
次の「大波」は2月下旬まで来ない。
かと言って前の大波の余波は遠い。
「逆転」を目指すのではなく「順当」を選択する。
潮が引いた後に残る石であればいい。
今日は午前にZoomをやると妙に疲れたので、午後は温泉に行った。束の間の休養である。
夕方音読サイコロ授業を2件行って帰宅してこれを書いているが、実は本当には書こうと思うことを2つ用意してあったが、以上を筆記しているうちに消えてしまった。
世はすでに「冬休み」らしい。明日は午後より5件になってしまったが、なんとかやって来る生徒全員に手応えのあるエネルギーを与えたいと思うが、その前に「執筆」がある。先にそれに焚き火のエネルギーを使ってしまおうという「算段」である。
周囲関係者の多くが前向きに展開し続けていることを確認して、これを客観把握―「傍観」して、その次にありうることを想定している自分がいる。
矢田義親著『FOUR WINDOWS』によれば、
「抽象は来るべき自然の暗示」
である。
「暗示」を了解するのは「哲学」ではない。
構造主義をも、「逸脱」ではなく超越する。
それは、ほぼ「直勘的認識」による。
しかし私は「スピリチュアリスト」ではない。
「来るべき自然に気化するために」
存在する「存在」である。
さすがに今日は「冗談」と書けなくなってしまったが、もう夕ご飯なので、これで「冗談」でupする。