―では先生、暇な時にいったい何をしていることが正しいんですか?
「ヒマな時にすること?それはできたら何かを産もうとすることに関係することだな」
―産むってーのはどう言うことですか?
「それは何かを製作すること、「エネルギー」を出すことよ。あるいはその元を作ろうとすることよ。でも何かを生み出すには暇以外のこれまた別の何かが必要」
―それってなーに?
「それかよ。それは例えば旅。はっきりした目的がなくともとにかくどこかに出かけること。それから元気を与える人に接すること、そう言うことが大切だね」
なんて生徒とやりとりしているのが表向きの「日常」である。
しかしその裏では、ほとんどの時間を執筆と構想のために使う。
こうなってくると、何か他のことをしていても、それはデスクに戻った時に書く気を与えさせるものであることを得ることを主体に活動することになるから、一切はある意味で「制作」であり「執筆」である。
この「体勢」の状態の自分がデスクを離れて街に出ると、まるでアゲハの幼虫がアシタバの葉を蚕食するかのように、次々に「反応」が起きてしまう。
JR西荻改札を出ると、その正面はJRと提携する紀伊國屋の入り口になっている。その入り口のところに、JRの構内であるはずであるが、その入り口前に、いくつか出店が出ており、ここのところ長く「モンブラン屋」が店を開いている。連続しているとはそれなりに売れていると言うことである。しかし、その並んだ製品を見ると、マロンモンブラン、抹茶モンブラン、チョコレートモンブラン、いちご味モンブランと非常に怪しい。そしてその上には「栗プリン」が売られていて、どちらも一つ468円(税込)である。さらにその横には、大きな鍋に半分剥きかけた大きな栗が山盛りに積まれて、「京栗販売中」とある。
実はモンブランは、今秋気候変動で栗の生産がうまくいかないか遅れているためか、高級店でも生産数が落ちている。私も美味しいモンブランらしいモンブランを食べた覚えはない。
で、ここに西荻改札を出たところに「モンブラン屋」が店を出している。
いつもこの前を通るたびに思ってしまう。
どう考えてもインチキくさい、しかも安くない。でもこのモンブラン屋が生き残っている理由は何か?
それは結構そのモンブランが本格的に美味しいのではないか?
一瞬そう言う可能性があることを論理的に推察する。
そう疑いを発した警察官の職務質問にかえって相手を悶絶させる、一部の初対面でも「遠慮なく質問しまくり」の「作家」は、そのモンブラン屋に問いを発した。
「これらにはみんな栗が入っているの?」
すると店主は、やや戸惑ったのが見えないくらい素早く、「いえ、栗と抹茶には入っています」と答えた。
「では、栗のを二つくれ。ここでしぶとくやっているのでつい一度買ってみることにした」
「毎度ありがとうございます。入れ物はいいんですか」
もちろんこれには超とぼけて応ずる。それは実は「高速」である。
「ああ箱だけで良い。栗のには栗が入っているのかい?」
「はい、入っています。でも本当の栗がいいのなら、今からでも包みなおしますから、こちらの京プリンにしてください」
「いやその暇はない。いくらか?」
「ハイ、972円です」
店主には明らかになんらかの政府機関にチェックされているにではないかという「緊張」があった。
事務所へ入って、そこでそこにいた女子中学2生、男子高校3生、おまけに火山先生と私でこれを試食実験した。
「う〜ん、これはまま美味しいが、栗の味がしているのであって素材は栗ではない」
「そうだ、それにしてもこの舌にざらつく感はなんの素材を用いてなのだ?」
ここまできて、我々はわかった。
これは「モンブラン」なのではなくて「イモンブラン」なのである。
原材料はサツマイモ。秋でいっぱい穫れて、中には形が悪くて市場に出ないものもあろう。それを加工して、味をつけて、生クリームと合わせて「モンブラン」と銘打って、その横で「京栗」を売りながら改札口を出たばかりのお客をひっかける。不味くはない。ただ材料費が無限に安いのである。
私はこの「ビジネス」を思いついた者になぜか「親しみ」を感じる。
モンブランは食べたいが異常に高い。じゃあ「モンブラン」なのだけれども実は自分では気がつかないサツマイモをモンブランの気分で味わい、それを友達に報告できる。なんとアルプス最高峰のモンブランなことであろうか。これはモンブランを食ったことと同じ。変わらない。
苦労はしているのであろうが元気そうな主人の「若者」は言った。「今度は京都へ行って、またしばらくしたら戻ってくると思うのでよろしくお願いします」。
甘い。彼は西荻の消費者がどれほど辛いのかわかっていないのだ。1回は試すが2回は買わない。それが西荻駅前の店が次々に変わる理由である。最初行列ができたメロンパン屋もあっという間に姿を消した。
しかし、世に、「栗より美味い十三里半」と言う言葉がある。これは秋のイモは、九里より四里以上美味いと言う一面の真理を示している。
つまり、芋と栗の本当の違いがわかるなんて一般の人には無理だ。でも「栗」と言えば高く売れる。そこで登場するアイデアが「イモンブラン」。
私は会話した男が「店主」だと思う。だとすると、こう言う人間にこそ病みがたい「好奇心」を抱かざるを得ない自分はいったい何なのかという、尽きせぬ好奇心の問いが起こる。そして、私の経験的予感は、そうしたことの背景に意外とつながりがあることが見えてくることである。
イモにクリの味をつけて「モンブラン」と言って売る。
あまりにリアルに資本主義らしくって思わず「共感」してしまう。