近地満月前で、本気で「冗談」で書きたくなってきた。いやそれ以外に表現のしようがない。
元三流大学人文系の教授は語るとか書き始める。
―そこには「コード」があったのである
テレビも新聞も週刊誌も用いることのできない「コード」があった。
「報道」と言うものに「コード」があることを垣間見させてくれた大手新聞社さんありがとうね。
自民党国会議員の約半分が旧統一教会と関係があると公表されたが、なぜそれほど多くの自民党議員が統一教会=勝共連合と関わったのかの「理由」についての報道は一切ない。それどころか、利権目当てで立候補した人たちに対して、当然そこにあったであろう「資金」についての言及はない。
そこには確実に隠されているものがあるのである。
とにかく共産主義が嫌だったではすまされない何かがある。
それは、統一教会も、勝共連合も、そして自民党も共通の資金で活動成立していたと言うことである。
国家主義を掲げて多数派を形成する自民党の最大の矛盾点、それは実は政治活動資金の出どころが「CIA」であったことであろう。
「選挙協力」―労働以上に金が動くことは想像に難くない。
その「金」をどうやって提供するかが法制上の問題である。
実はアメリカに最も屈服する政党、それゆえに生き残ってきた経済政党、それこそが「自由民主党」の歴史的な裸の姿であることが国民の目の前に一目瞭然にならないためには、「コード」の活用が必要である。これは第二次大戦後のアメリカの極東戦略の歴史的視点で鑑みなければわからぬことであった。
「資金」は、どのような理由で、そしてどのようなやり方で提供されるのか。そしてその追求を受けないのか。
我々に中国と「敵対」すべきいかなる理由があるのか。
中国と北朝鮮とロシアとの「和平」がなれば、少なくともその間は、現況軍事費を未来教育費に回すことができる。
でも、それを許さぬ、統一教会壺ならぬ、米国武器戦略に「迎合」しなければならない。
それはなぜか。
本当にクサる。
「公表」の背後には「隠蔽」がある。
そしてメディアには「コード」がある。
大丈夫だよ。このブログは「冗談」の成立の可能性を「最尤推定」した上で書かれているつもりなのだから、これを微分した先は「ゼロ」ならぬ「雲散」になる。そしてもし、この『冗談』が伝わるならば、それは「許容範囲」の境界が存在しないことを逆説証明することになる。
以上、なんちゃって。