東大蹴り医学部卒業それも蹴りする「実情」について | JOKER.松永暢史のブログ

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その生徒に会ったのは10数年ぶりだった。

28歳。もう身長は伸びておらず、かえって以前の精悍さが消え、ややこじんまりとした都会的「ムード」になっていた。

「なぜ会いにきたのか?」と尋ねると、「医学部卒業見通しが決まったので、ご挨拶を兼ねてこれからどうするかの意見を求めにきた」と言う。

医学部卒業!?

この生徒は、中学受験で私の下に通い、茨城県の教育管理の厳しい進学校に合格したが、その学校の在り方に合わず、県下の公立中に転じて、その上で私の指導の下で、東京板橋区の根性詰め込み型の進学高に合格したことまではわかっていたが、その後そこを卒業すると、早大理工に進学するもそこがまた合わず3年で中退し、再受験して東大理Ⅰと名門私立医大に合格し、東大を振って医大に進学し、そこでも割と成績優秀で、来年卒業が確定することになった」とのこと。「医学部」というものの「実態」を率直に吐露して余りなかった。だが、そこには「焚き火」の実践があることもわかって面白かった。

意思決定をする前に合格してしまい、しかもその後でその選択が正しくないことに気がつき続ける。ある意味で「天才」的である。この者は、優秀であるがゆえに、この国で行われている「教育」の矛盾を、ある意味で直感的に把捉しているのである。それはこの国での学業資格修得努力が「人間幸福」に繋がらない可能性が高いことを見抜いた姿であり、その時の相談相手に選択されるのが筆者なのである。

私は医師家庭のご相談も多いし、医者になった友人や生徒も数えきれないくらいある。

その結果、そこそこの経済的な「安定」はともかく、「医者」と言う身分にあっての制約が大きすぎて「自由」がなく、しかも勤務医は場合によっては超ハード。アフガンに散った中村さんではないが、よほどの社会に貢献する意思が強くなければ務まらない職業だと感じている。それにはあまり経済的に「恵まれない」ご家庭の出身でたまたま「優秀者」であることなども「前提」になる。

数多くの事例を挙げて、医者というものであることの「幸福」とは何かの意見交換をする。

どういうわけか妙に優秀で、試験をすれば受かってしまう。世間的に見れば羨ましいこと限りないが、「選択肢」権の大きい人間からすれば、かえってそれは「バカらしい」、正しい「選択肢」は何かという問題に帰結する。

それを私に相談するのは正しい。

鳥取眼科医の例に見習って、ギターなど表現手段をすぐ始めるように強調した。

実はその日は偶然、自分の哲学のコアになった文書の複製コピーを、リベラルアーツの生徒のことも思ってやっていた。その一部を彼に渡し、「リベラルアーツ」への参加を呼びかけた。

彼は知るべきである。

「学校」では決して教えないことを。

この国の教育が「捨象」し続けたことを。