世の中にはきちんと返事をする習慣のある人とそうではない人がある。
また世の中にはきちんと返事をする習慣のある子どもとそうではない子どもがいる。
まあそんなことは性格上のこともあるし、人の勝手な習慣なのかも知れないが、たとえば何かを一対一で習う場合、「今のところまでの説明がわかりましたか?」と尋ねられたとき、即座に「はい」と言うのと「うん」と言うのとただ首を縦に振るのとでは全然意味が異なる。「ニュアンス」が違う。また、経験上「なるほど」と答える生徒はさらに理解が深い。
「はっきり了解しました」と「まあだいたいわかりました」と「一応話は聞きましたが・・・」では意味が違う。
もしもはっきりわからなかったのに、「はい」と答えるのでは「アホ」だし、「うん」とだいたいわかったことにして逃げるのも「ドジ」だし、わからなかったのにそれを曖昧にするのは「バカ」である。これは、言語コミュニケーションを無視してものを習おうとすることになるので、どれも教育の対象として「不適」である。
しかし、もしも正しい「了解」が連続するとき、そこに最大限の能力伸長が起こることは明らかなことだろう。
人から何かを習ったり、何かを命令されたり、何かを頼まれたとき、そのときにはっきりと「了解」と答える習慣はどこでつくのか。
たとえば家族で行った温泉の男湯で、父親に、「いいかい、お風呂から上がったら、お母さんたちが来るのも待って、みんな揃ってそれから最上階のレストランに行って食事にするからな」と言われたとき、「OK了解です」のニュアンスの「はい」をしっかり言えない場合、相手は念を押す必要がある。
「それまで何も食べずに我慢していなければならない」はずが、話がわかっていないバカな子は、「腹が減ったから何か食べてもいいか」と口にしてしまう。賢く了解した子どもは、自分が注文するものを想定し、それまでは自由行動時間だからロビーでタブレットを読んで過ごそうとか考える。
別に「差別」をするわけではないが、返事をきちんとしないタイプのお子さんが勉強ができるようになりにくいことが多いのは明らかであろう。
それは、指導者に自分がどれだけわかっているのかわかっていないかを示すことができないわけだから、指導側は、本当にわかっているのかわかっていないのかわからないので、もしも親切であればそれを繰り返し、もしも忙しく「見殺し派」であればそのまま放っておく。「教室」では絶対そうなる。そしてそうしたことが積み重なる。
だから、確実に「了解」を示す習慣のない子どもは決して勉強できるようにはならない。
きちんと上手な返事ができない子どもはまず勉強ができるようにはならない。
これは「事実」である。
こんなことは教育上の「常識」である。
返事がしっかりできることこそが「教育」の基本であるとも言える。
「気をつけ!」「前ヘーならえ!」などはなんで行われているのかわからないが、反面返事をしない子どもを放置するのはどうしてなのか。
これは学校のことではない家のことである。いやスポーツなどの活動の習慣によるものなのかも知れない。「自閉症スペクトラム」ならしょうがないと言うことになる。
「今日はお母さんは仕事があるから、帰宅は6時になります。帰ったらすぐご飯作るから、それまでに必要な宿題があったら終わらせて待っていて。そうしたらその後お風呂に入った後、本を読んであげる」
これに対して、「はい」とか「了解」とか「OK」とか返事をしないで済ます習慣を親につけられた子どもは、通常どんな教育機関に行っても学習効果が上がることはない。
子どもが話を聞いて、それについてしっかりとした応答をする習慣。これは犬を飼う場合の「お預け」の躾同様の基本である。
挨拶と応答。この習慣がついていない子どもを伸ばすことはまずできない。勝手に自分で勉強して伸びていくのは勝手であるが、そんなことはかえって稀だろう。相手の存在に対応することができなければ人からものを学ぶことはできない。「マッサージ」なら受けることができる。
人の話を聞いて自分がどのくらい理解できたのかを表現できない子ども、これを教えるのはやや面倒であり、指導者によっては「不可能」になってしまう。筆者のように、表情だけからアタマの中の状態を読み取らなければならないから、できる人も少なくなる。
返事がまともにできない子ども、そこに先天的「障害」の可能性もありうるが、多くは「後天的に」そうなっている子どもに教育機関を利用させようとすることは矛盾している。受けさせてもまず効果が出ない。教育についてのお金の使い方がわかっていない人たちであることになる。
もちろんそうした人たちは、進学塾教育や偏差値名門校思想の「カモ」である。
でもそうであることがそうである人にはわからない。
自分たちは「教育」のことを考えないで、世間一般水準の観点で我が子の教育を準備なしで預ける。
子どもの能力向上より、学歴獲得を目的とする。
うまくいくわけはない。
そして「ルアー」にすぐかかってしまう。
「目を覚ませ!」とも言いたいが、そう言う人たちは、目を覚まさせられることを「熟睡」の邪魔と感じてしまう。
「親」になれたことも幸い、「子」として生まれてきたことも幸い。
そのことを噛み締めて賢く行動するより、大切なことがあろうか。
ちゃんと返事をせい!